夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

先祖供養の功徳について

2015年04月16日 21時42分37秒 | 真理の言葉
先祖供養の功徳について


霊界と現実世界があり、この世の一曲が終わっても人間は不死であり、肉体が死んでも、人間はそのものは消えて無くならずにつぎの世界である霊界に移るのであります。
霊魂の行く世界には、多種多様の苦しみの境涯があって、その境涯にあって、霊魂の浄化作用が行われるのである。
霊界に於いて霊魂の背負う“悪行”を浄化消滅する自然の道は、苦しみを償うことによって、その悪業が清算さるのであるが、それには長時間かかる。それで祖先及び自分の家系に属する縁者の霊魂が苦しんでいるのを急速に救う道を講じてやらなければならないのである。
これを救い得たならば、霊界の霊魂自身及びその影響を受けるべき現実界の両様の救いとなるのです。
霊魂の浄化は消極的には“懺悔”と積極的には“真理を悟る”という二つの方法によって主として行われる。
そのうちの真理を悟るというのは人間の実相は本来“如来”であり、神の子であり、本来“無罪”の実相をその霊魂が自覚して、悪業存在の世界から解脱して“如来”の境地に超入することであります。
祖先及び縁者の霊魂を成仏させてあげるのが、現実界の子孫及び縁者の義務でもあり、それが自分自身に報いられて来て家族全体の健康ともなり、繁栄ともなるのです。
神性を自覚した霊はどんな形式によっても祀ってもらう必要はないのありますが、未だ悟りの境地に達していないで、肉体的自覚を脱し切っていない霊魂には食を欲するものには食を与え、薬を欲するものには薬を与え、宮を欲するものには宮を与え、仏壇を欲するものは、仏壇を与えてこれを供養して誠をつくすことが、これが祖先に対する道となるのです。
霊魂を祭祀する時には生前好みたる食物を供えてあげるがよいです。
霊界は念の世界であり、念を食物として生きているのであり、物質の供物の大小、多寡によるものでなく、供えるの念が霊界に放送され愛念が原動力となり念送されて霊界に念で作られたお供物となって出来上がる。
吾々は供養の念を供えて、供養の念を食べて頂くということになるのです。
善念特に真理の想念は、最も霊魂を向上せしめる滋養物となるのです。
それ故に霊魂に対して真理の経文を読誦する行持があるのです。
供養するにあたっては普通は五十年したら、自然に霊魂の浄化が行われ、迷っている霊魂がほとんどいなくなることになります。
しかし非業の最期を遂げたようような霊魂は五十年過ぎた霊魂でも名前を呼んで供養したがよいです。
無縁仏は供養しないほうがよいです。また先祖の宗旨を変えないほうが宜しいです。
甘露の法雨を読誦することにより現実界の人間の病苦、苦悩はもちろん、霊界の諸霊もその読誦の真理を聞いて悟りを開き迷える障りの霊も守護の霊となり、病が癒やされ、運命が好転等の色々な奇跡的功徳を生ずることになります。
また先祖の前で甘露の法雨を供養する場合にはただ尊敬と報恩・感謝の念でもって読むこと。
この聖経はあなたが伝承されてきた宗旨の教の真理を解りさすい現代の言葉で書かれたものですから、心を集中してこの聖経をお聞きいただき、真理を体得して、仏陀の境涯に達し給わんことをこいねがいますと唱えてから読誦するがよいです。
また毎日読誦する時間を決めること。
香をたいて、高級神霊、仏、菩薩の降臨しやすいようにする。
特別定めた祀り方はないのです。他の宗旨によって色々な祀り方があり、改式する必要はないです。
位牌を作ってその位牌に向って、名前をとなえて話しかけてあげると、現世のわれわれと霊界と交信するアンテナをつくることになってよいのです。
拝む人の心に描かれた浄土の中に、そして拝む人の聖経の真理の中に先祖を摂取することになるのです。
そのため先祖供養はぜひ必要でありまた供養することにより現実界の人間の病苦、苦悩はもちろん、霊界の諸霊もその読誦の真理を聞いて悟り、病が癒やされ、運命が好転等の色々な奇跡的功徳を生ずることになります。










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