夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

瞑想の世界・・・・・目を閉じると無限の世界

2015年12月16日 22時00分38秒 | 真理の言葉
瞑想の世界・・・・・目を閉じると無限の世界

もうすぐ冬至である。
勤務を終えてグズグズしているともう真っ暗である。
しかし明かりが温かく感じられ、明かりが凄く恋しい季節でもあります。
また一二月はイベントが盛り沢山でもあり、一年間の総決算を控えて猛ダッシュの月です。
この季節の夜長にふさわしい美しい名前の『星祭り』と云う供養があります。
また大嘗祭、クリスマス、除夜の鐘、夜が明けぬ前の初詣、丑満つ時の祈願、お参り等は紫外線が遮られた夜の帳が開く時間であり、霊感に溢れる時間でもあります。昼間は色々な雑用、雑念に振り回されますが、紫外線の当たらない夜、早朝の時間帯は深く心が沈潜する時であります。
特に深夜、早朝の時間は心が集中する霊感的な時間であり、偉人たちはこのような時に深い祈り、瞑想をなされ、
深い思想の発見、仏、神からの啓示を享けられました。






生命は物質の化合では出来て来ない。
本当に生きている『いのち』はいくら試験管の中で拵えようと思っても出来ないのであります。
物質は『無』が『いのち』の振動によって『化生』したものでありますから、色んなものは拵えられるけれど、物質だけでは『いのち』が出てこない。
死骸にお薬を服ましても効かないのはそれであります。
物質の中に『いのち』が入って来ると効いてくる。
紅葉の色も、花咲く色も、吾々の生々とした肉体の姿も悉く生命の振動でありまして、
モノでなく、コトバであります。



吾々の肉体も神の『いのち』の振動により『無』から『コトバ』により創られたものであります。
だから肉眼で見える自分自身の『肉体』も本来『無』いのであります。
実在するのは神の振動である無限なる『いのち』そのものである。
眼を閉じ、五感で感じられる一切の世界を絶って、本当の世界である、この神、仏の『いのち』の振動を直感的に観ずる行事が瞑想であります。








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