夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

子の病は親の病である。

2017年05月06日 15時31分16秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
子の病は親の病である。

親にストレス等が蓄積すると子が病むことになります。
子は親の心の傾向に敏感に反応します。
病院の小児科でも子の側でお母さんと一緒に入院生活を送りますと、お母さんが安心してストレスが解消されますと、
子も癒されることになります。
隣人の病も我が病であると感じて慈しみをよせますと、互いに癒され心豊かになります。

聖徳太子は『大悲息むことなし、機に随って化を施す』と言っておられます。

衆生病むがゆえにわれ病むなり
無痴より愛欲生じ、則ち我が病生ず。
一切衆生、病むをもって、この故にわれ病む。
一切衆生の、病滅すれば、則ち我が病滅せん。
このように維摩詰は言っているのです。

一本の毛の孔の中に大海の水を注いでも、その中に泳いでいる魚や亀や、生類はいっこうに平気である。
波長の違う世界にはどんな生物や神仏がいてもわからない、しかし波長を変化すれば、
その座を立たずして、帝釈天の世界へでも、梵天王の世界へでも行くことが出来て、
しかも瞬間にして移動するのでありますから、往来するような感じがおこらないのであります。
またこういう不可思議解脱の境涯にある菩薩は神通力によって仏身とも変化し、辟支拂(びゃくしぶつ)とも
聲聞の弟子ともなってあらはれ、帝釈天とも、梵天王とも化身し、あるいはこの世に生まれ王者となり、
轉輪聖王(てんりんじょうおう)ともなることが出来るのであります。
そして十方世界の衆(あらゆ)る声、上中下の音ことごとく変じて、天地の神々の韻(ひびき)として、
その中に十方世界の諸仏の説法の声をきくことが出来るのであります。      
                                           維摩経・・・不可思議品

『注』

辟支拂(びゃくしぶつ)・・・自らさとって生死の苦界を解脱して修業者の究極の境地(阿羅漢果)を証し、
              しかも説法せず教団を組織せず、ただ信者のために神通力を示現するだけの聖者。独覚とも云う。
聲聞(しょうもん)・・・仏の教えを聞き、無限に長い時間をかけて修行した結果、阿羅漢の位に到達する聖者。
轉輪聖王(てんりんじょうおう)・・・武力も用いず、ただ正義のみによって全世界を統治する理想的な帝王。