夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
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苦難は苦難に非ず

2017年03月30日 20時26分34秒 | 日記・エッセイ
苦難は苦難に非ず

昨年の秋に娘の四女の結婚式に秋田市に行きました。
中学校から不登校等と色々な苦難を乗り越えての娘には、嫁ぎ先が一向宗と云われている浄土真宗であることから、
『新しい結婚』の本と『蓮如結びの数珠』を持たせました。
私達の葬式にはその数珠を持ってお参りに来ることであろうと思いながら・・・・。
結婚式の前日に、羽田空港のターミナルの中を秋田空港の乗り場に移動するのに、
体に鞭打ち、バスに乗り、南ウイングから北ウイングへと、奥さんと必死に歩き抜けゲートに着くと
タイムオーバーでもう駄目だと思ってスタッフさんへ尋ねると羽田は晴れていましたが、
秋田地方は大雨警報が出され、秋田空港の天候が悪いので秋田空港を引く返すことに同意して搭乗して下さいと通告されました。
結局出発が一時間程遅れました。
待っている間に親鸞上人が『流罪の地』、北陸で、苦難に遭われ大変な苦労をなされ、
また蓮如上人がお亡くなりになる前に沢山の門徒のまえで『名残おしい』と言われ、
信徒に対する愛深き言葉を残されたことを思い出しました。

『苦難は苦難に非ず、神の御栄えが現れんが為の、神の導きである』と云う法語が心にひろがりました。

ガタガタと機体が揺れ、厚い雨雲を通り抜ける、と針葉樹と広葉樹が入り交ざる山々が見えて来て、
雨の中、穏やかな町並みが広がって来ました。
考えてみますと、秋田は厳しい長い厳しい冬を乗り越えないと穏やかな春が訪れません。
暖かい長崎と違い、厳しい冬の季節を基準にして生活が営まれていると思われました。
前日の夜は雨が激しく降って荒れていましたが、翌日の秋田市の朝は奇跡的に青空が広がりました。
長崎人はどんな人種であろうか興味しんしんと観察されましたが、和気合い合いの和やかな素晴らしい結婚式でした。
西の果ての長崎の地と、雪深い東北の秋田の地、との神秘的な出会いと御縁の深さを思うとき、
限りない神の愛の深さを思い知らされました。

廻心が完成するには懺悔(あらいきよめ)が必要であり、
懺悔が完成するためには『わしが』『あたしが』と云う我の心がくだけなければならないのです。


賛美歌三百十二番
いつくしみ深き 友なるイエスは、
罪とが憂いを とり去りたまう。
こころの嘆きを 包まずのべて、
などかは下さぬ、負えぬ重荷を。

いつくしみ深き 友なるイエスは、
われらの弱きを 知りて憐れむ。
悩みかなしみに 沈めるときも、
祈りにこたえて 慰めたまわん。