夢から慈しみの世界へ

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永遠を今に生きる少年

2017年03月27日 20時16分48秒 | コラム・人文
永遠を今に生きる少年
 
ここに一枚の焼き場に幼い弟をおんぶして立つ少年の写真があります。
依然からこの写真の存在は知っていましたが、公演会場の長崎新聞社のロビーで見かけ、この本を読んで見ようと思い、
昨日、本が届きました。

序文に海兵隊のカメランマンJoe O’Donnell,(ジョー・オダネル)がこのように書いています。
『重大な目的をもってこの火葬場にやってきた強い意志がかんじられました。
しかも足は裸足です。少年は火葬場の淵までくると、かたい表情で目をこらして立ちつくしています。
背中の赤ん坊はぐっすりと眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は火葬場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。
白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶのひもを解きはじめました。このとき私は、背中の幼がすでに死んでいることに初めて気づきました・・・・・・
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し沈黙のまま去っていきました。』

私の勤務している病院も当時は海軍病院であり、長崎市からたくさんの被爆者が運ばれて来ました。
この少年ももしかしたら、此の地海軍病院の近くの火葬場に立っていたかも知れません。

この焼き場に立つ少年はまさに目の前で、るいるいと重ねられた尊い遺体が石油で燃え盛る炎の火で焼かれている光景を直立不動で見つめる姿は、尊い、浄らかな、美しい姿に感じられました。

『衆生劫盡(つ)きて、大火に焼かれるると見る時も、我が此の土は安穏にして・・・・・・曼荼羅華を雨(あめふら)して、佛及び大衆に散ず。』
という法華経の言葉が心の中をかけ抜けました。

この少年はまさに『永遠を今に生きる』菩薩のように観じられました。