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夢から慈しみの世界へ

神と自然と人間の共生
神一元・善一元・光明一元の生活
人間の生命の実相は『仏』であり、『如来』であり『神の子』である

不幸と病気が消える人生

2016年06月16日 19時45分51秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
不幸と病気が消える人生

沢山の若い研修医が学んでいますが、
青年の柔軟さと謙虚さと清新さは清清しい限りです。
親ツバメが雛鳥に頻繁にエサを運んでいます。
雛鳥は歓びに満ちた鳴き声で親ツバメに応えています。
此処にも佛の生命が鳴り響いています。




不幸と病気が消える人生

山川草木国土悉皆成仏とお釈迦さんがさとりをひらかれたとき言われたのでありますが、悟りをひらくというのは、
物質と見えているものは実は『物質』そのものではないのであって、
神のいのちそのもの、佛のいのちそのものの現われだと知ることであります。
山や川や、草や木や国土と見えているいるものも、実はと言えば宇宙に満ち満ちているところの
、盡十方に満ち満ちている無礙光如来のあらわれだと云うことであります。
『心』というものと『物質』というものが全然別なものであるならば、これは全然波長が異なるものでありますから、
認識の仕様がない、認めることが出来ない、感ずることが出来ないのであります。
ところが『心』が『物』を感ずることが出来るのは、物質と見えているものは実は物質ではないのであります。
物質は物質には非ず、心の顕われている相(すがた)であります。
体に現れる病気というもの、あるいは肉体に現れて来るところの色々の状態というものも、
悉くこれは心の相(すがた)であることが解るのであります。

常に健康でありたいと思う人は、病気を心に描いてはならないのであります。
『今日は辛い辛い』『今日は頭が痛い』『今日は体がだるい』と言って悪いことをことさら言葉に現して自分の心に印象する、人に訴えて同情を得るつもりが、自分の心に深く病気の症状を印象して、その心に描いた症状が具象化して、ますます病気を悪くすると云う結果になるのであります。
心理学的には自己暗示であります。
自分で自分の潜在意識に病気を自己暗示して、自分の心の内に病気の観念を深く印象して、
それを現実の世界に物質化してわれわれの目の前に客観化して現して苦しむことになるのです。
自分の潜在意識の中に、自分がすでに健康であるところの相(すがた)を描けば、
それによって心の描いた通りのものが現れる原則によって、健康が回復するということになっているのであります。



愛はすべてを癒す。

2016年06月15日 20時20分20秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
愛はすべてを癒す。

一切の怨念は無いのである。
一切の憎しみは無いのである。
一切の悪感情は無いのである。
愛は苦難を浄化して法悦にかえる。
愛を滅ぼすものは自己の憎しみだけである。
どんな小さな贈物も愛念の象徴として立つとき、
それは華麗な光彩をを放つのである。
天国の扉をひらくものは科学ではない、
愛なき科学は地獄の火の中につき落すのである。
愛があるとき科学がなくとも、常に其処に天国の扉がひらかれる。
愛は赦しである。
今まで人を愛しないで、従って未だかつて愛を失わない人よりも
失っても失っても愛せずにはいられない人の方が深い経験を得て、
魂が向上する。




病を癒す心

白隠禅師や、黒住教祖が精神的混乱の結果、肺結核にかかり度々喀血したり、血痰を排泄していたのが、
心機一転、雨上がりに澄みきった爽やかな風と明るい光が放つが如き心境になったとき
ビタミン等何ら栄養素を取らないでいながら、たちまちその肺結核が快癒してしまった実例は、
いかに精神上の調和と不調和とが胸部疾患に如何に影響を与えているかをものがたっているのである。









負の心と歓び・・・・・・無限の富

2016年06月14日 20時46分18秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
負の心と歓び

人格の二面性は誰にも存在するものですが、多重人格はあまり聞くことはありませんが
人間の内なる世界は魔可不思議な世界であります。
二面性の人格と二重人格とまたある条件が整うと完全に二つの人格が置き換わる人格があります。
例えばAの人格とBの人格が存在する場合、普段の生活はAの人格が存在している時に
ある条件が整うと突然Bの人格に変わることがあります。
このある条件と云うのは、心に負可がかかると内向していた性格が表面化します。
変わったBの人格はAの人格をある程度理解しているためにAからBへの流れを理解しています。
しかしBの人格からAの人格に変わった時にはBの人格の起こった事を薄々は理解していますが、殆ど忘れ去っています。
心に負可がかかる状態とは殆どが生活の中で失敗、色々な障害等で心が追い詰められた時
その劣等感(過去の心のコンプレックス等)を撥ね飛ばすために攻撃的な心理状態になります。
それ故にAの人格はBの負なる人格の状態を殆ど覚えていません。
普通の人間にもこのような人格の置き換わりは多少存在します。
頻繁にこのような状態が起きますと心の煩悶が激しくなります。
軽い状態を単なる悩みとして処理してしまいます。
心の悩み、障害は人間の心の非難場所でもあります。
悩みがある為に、歓びの世界へと到ることが出来ます。






無限の富

先ず富を実現しようと思ったならば、有限の富の形を念ずるよりも、神が無限の富の本源であり、その本源に既に無限の富が成就していることを念ずべきであります。現在あるどんな小さな『富』でもそれを神の恵みとして感謝して祝福することが必要なのであります。
現在与えられているものに感謝しなければ、次のものは与えられません。
すべての貴方を取り巻いている多くの物に感謝するのです。
そこから驚きべき祝福があなたの生活に反響して戻って来、無限の供給が流れ入って来るようになるのであります。






















愛国心と愛郷心とは異なっている。 (依存と甘えは愛の一種であります)

2016年05月31日 22時21分31秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
依存と甘えは愛の一種であります。

自己防衛の自我が強くなると他を強く意識して依存性が強くなります。
依存性が強いと他に対して反応が敏感になります。
その依存が満たされないと激しく意識の混乱が生じます。
その依存の対象を排除しようとして意識が高揚します。
依存の対象(他を受け入れる)に対して協調性が減退します。
しかしその依存が満たされると意識が安定しますがその依存が益々強くなり
最後にその依存の対象を自身の自我の内に呑み込もうとしますが、
元々その依存の対象と自分自身の自我とは相容れないものを深い心では理解しており、
この事を内面の潜在意識が認識していて現在意識の表面の心である自我が苦しみます。
これは認識していない内面の心である潜在意識と認識している表面の心である現在意識との抑圧、葛藤であります。
やがて隠されている潜在意識と現われている現在意識との間に厚い障壁が出来あがり、
いわゆる二面性を持つ人格のようなものとなって表現されます。
この二面性は時々対象性、非対象性となって入れ替わって表出します。
これは動物などには顕われることはなく人間特有の心の現象であります。
このような心は普段の健全な人間にも内在していて、これが強く作用すると普段の生活にも支障を来たすことになります。
このような悩ましい輻輳(ふくそう)している心を癒すには、心の奥底に内在する抑圧している心を浄める必要があります。
それには深い知らない心を認識させて導く精神分析、カウンセリング等と現在では様々な方法がありますが、
根本的には他に暗示を受けることなく、自分自身が理解して自らが癒すことが必要であります。
これを仏教では悟る(覚る)という言葉で表現しています。
『覚る』という言葉には既に『悟る』ことへの解答が心の中に存在しているということを暗示しています。
親鸞上人が小さな善行である雑行雑修をはなれ、唯ひたすらに阿弥陀仏に回向せと言ったことであり、
イエスキリストが第一の戒めは精神をつくし、心をつくし、力をつくして神を愛せよと言ったことであります。
神も阿弥陀仏も既にすべての人々、一切の衆生(有情、非情有りとしあらゆるもの)の中(うち)存在しているのであります。

人間は神の子であり、佛の子であり、素晴らしい無限の愛と無限の喜びに満ちた存在であります

このことを自覚するのが『覚り』であります。





愛国心と愛郷心とは異なっている。

愛国心と愛郷心とは、一つに重なり合っていることもあるけれども、それは本来異なるものであるのである。
自分が生まれ郷土が好きでなつかしく、その風景には無限の執着を感じるーこれは愛郷心である。
しかし単なる愛郷心の中には壮麗で偉大なるもの、権威をもち、理想をもつ無形の力を指す『国家』というアイデアがないのである。
愛郷心は、むしろ感覚的なもの、眼に見え、耳できき、手で触れる種類のものである。
それは『祖国』そのものではなく、祖国の中に含まれている色々の現象に対する愛である。
現象は祖国そのものではないのである。
しかしそれは祖国の中に含まれていて、祖国のいのちが産み出して来たいろいろのものであるから、
そういう『郷土愛』をわれわれは時々『祖国愛』と混同するのである。










国家にも明るさが必要である。

2016年05月21日 21時04分56秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
国家にも明るさが必要である


職場の若い女性が足の裏に魚の目が出来て痛いと訴えて来ました。
皮膚科で切除して貰ったらと答えますと。
そうはいかない様子で困っている様でした。
その時、私も足の小指に大きい『たこ』が出来てその痛みが長い間続き、靴を履いて仕事をするのが困難な状態なのを忘れていることに気がつきました。
何時の間にかその痛みが自然と消えている事に、この女性の件で知らされました。
痛みをつかんでいる間には痛みが消えることはありませんでしたが、自然とその痛みを忘れ去っている事実に、
あり難い心が起きてきました。
以前でしたらこの様な出来事にも、無意識に当たり前と思う心が存在していたのでしょうか。
そのようなあり難い感情はわきあがりませんでした。
この世界に生まれることも奇蹟であり、死することも奇蹟であり、全ての苦しみも、痛みも、喜びも、
全ての出来事がその刹那、刹那に神に生かされているあり難いことであります。




あなたが明るい運命を受けるためには

宇宙には『暗いアイデア』もあれば『明るいアイデア』もあり、
暗いところでは『暗いアイデア』を受像して『暗い形』のものが生まれて来る。
これに反して明るいところでは『明るいアイデア』を受像して『明るい形』のものが生まれて来る。
それだから諸君が、明るい幸福な運命を受けようと思うならば『明るい心』をもたなければならない。
暗い心をもちながら切磋琢磨し努力しても明るい運命や繁栄は出て来ない。


不思議な普遍的な叡智に生かされいる力と仲良くしましょう。

2016年05月08日 15時50分51秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
不思議な普遍的な叡智に生かされいる力と仲良くしましょう。

今日は母の日で奥様は夫々の子供達のカーネーションの花で囲まれています。
仏壇にもカーネーションをお供えました。
母も法華経の熱心な信仰者であり、誌、文を綴っていたそうです。
実母との生活は僅か一年程でしたが、その後養母に育てられ、二人の母がいます。
母の御姿は覚えていないですが母の生命(いのち)、魂が今此処に私の心に生きて私を支えているようであります。
男性にも僅かですが母性なるものが存在します。
そうでないと母なるものが理解することができません。
神様はこのように行き届いた愛を私達に与えて頂いています。

母の霊の前にぬかずく吾、今貴女の妙々なる御愛に生かされているなり。

                  南無妙法蓮華経・・・・・・・ 



普段の生活の表面の心(現在意識)では何もストレスを感じないのに、
ある時に急に胃が痛むのです。
臓器の中でも胃は、表面の感情等にも勿論反応しますが、特に潜在意識(秘められた心)には敏感に反応して
自律神経を刺激して痛むのであります。
器質的な原因もありますが、これは表面の心(現在意識)で認識したある事実、機縁、契機を通して、
潜在意識が反応して不安を生じるのであります。
此の不安は隠されていて、表面の心では知覚することが出来ないですが、その不安の変わりに胃が痛むのです。
人間の身体的機能の障害も前述のような痛みの反応が見られます。
いわゆる病は気から言われているように潜在意識がなせる業であります。
例えば仕事をしている時、急に頭痛、胃痛、激しい空腹感に襲われたします。
これは自分の行動、心の動きの中では自分自身は何が原因かは認識出来ませんが、潜在意識が認識してこのような痛みを起すのです。
表面的な行動、表面の心が認識する良き事も、悪しき事も、善意、悪意、不安なるもの等の
すべての感情、物事は潜在意識に蓄積されるのです。
これらに蓄えられた業(意識の蓄積)が再び普段の行動で起きた機縁、現在意識の心で思った感情の意識(業)によって
潜在意識に抑圧されていた、隠されている感情等が形を変えて前述のように身体的機能の障害の痛みを起すのです。
ですから今、既に吾々に宿っている不思議な妙々なる仏心(ほとけごころ)なる力により、
明るい善なる心、天地一切の人々と、ものと、事とに感謝して生活することが潜在意識に不快なるストレスを蓄積しないことになります。
明るい善なるものを蓄積することにより、潜在意識に隠蔽(いんぺい)されていた感情等が、浄められ
明るい善なるものが、自分自身の潜在意識の奥底に内在している本来の姿である
『如来』様が外界に顕れ出てきて、善き運命が開かれことになるのです。



あな達のその心臓を動かし、肺臓を動かしている不思議な力のことです。
そしてすべての人類の心臓を、肺臓を同じ設計につくったところの不思議な普遍的な叡智です。
その力をわがものせよと云うのです。
あなたが自分の力で心臓の鼓動や脈拍を自由に変化出来るならば、そんな力はみとめないで好いかも知れません。
しかし自分でどうにもならない力が、あなたの身の内にあると云うことを知ったならば、
先ず此の力と協力することが懸命なことだとお悟りになるでしょう。
この不可知の絶大な力を、貴方の幸福に、健康に、一切の人生の出来事に協力させることが出来るか出来ないかが、
あなたの幸福や、健康や調和ある世界の実現を左右する鍵となっているのです。

































                     



悪に抵抗することなかれ(五月晴れと憂鬱の五月病と自閉的な不適応)

2016年05月04日 15時15分06秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
悪に抵抗することなかれ(五月晴れと憂鬱の五月病と自閉的な不適応)

悪に抵抗することなかれ

毎年この連休の時期は青い空が広がる五月晴れでありますが寒暖の差があり急激の気温の変化に適応出来にくい季節であります。
人間の心も憂と鬱が交錯する一種の適応障害である五月病があらわれたりします。
よく休日明けの月曜日も前日に仕事を休んでいることから憂鬱な心がもたげ直ぐには適応し難いところがあります。
所謂月曜病なるものが見受けられます。

気温の変化等の自然環境の変化に潜在意識が作用している自律神経の機能が適応出来ないと体調を崩したりします。
自然環境、社会的環境に適応していないことを現在意識(表面の心)で自覚している時にはそれ程不安が生じないですけれども、
それを自覚していなときには潜在意識に内在していて、深いストレスとなって心全体が不調和になり、
身体疾患等の色々な症状が引き起こされ、自分自身の心が思うことと実際の行動とが伴わないアンバランスな不安定な心になり、
自分自身の心で自分を縛り身動きが出来ない心の牢獄の中に入り閉じこもる自閉的な心になり、
不出勤、不登校、色々な障害(不適応)となって顕在してきます。

しかしこれらの様々の症状はこれらの障害(不適応)を自覚するヒントであり、それを理解することで癒すことにつながります。

本来は人間には自然環境、社会的環境に適応出来る能力を持っています。





自分本来の自己実現に価値に置く事と自然環境、社会的環境に順応することを対立的に考えると
自分自身の自己実現を押し隠し環境に合わせようとすると偽りの自己を創ることになりこのことは仮性適応な状態であり、
心も相反することになりストレスが増大することになります。

それを改善するには自己が尊い素晴らしい存在であることを認識することが始まりであります。
自己が生まれ出た原点に立ち帰ることです。
どのような人間でも一人の父と一人の母より出でたものであり、これより以外に出でたものは無い筈であります。
今この瞬間に生かさせて、空気を吸わさせて頂いている事実、食物を食べているあり難さを思うとき、
父の愛なるもの、母の愛なるものが無かったなら、
今此処に自分の存在も素晴らしい価値の自己実現も有り得ないことであります。
父母に素直に感謝するとき不思議にも心が平安になり喜びに満たされます。

此のことは集合無意識的にすべての人類意識であり全てに存在する事実であります。
イエスキリストが第二の戒めに説かれた『汝の隣人を愛せよ』の事実はすべての人類は兄弟姉妹であると云うことであります。
如何なる人も兄弟姉妹である自分自身を攻撃する者もいない筈であります。
目の前に現れる厳しい人々、荒々しい環境は吾を幸福の世界へ導く観世音菩薩の慈悲の顕れであります。
苦しみ、悩み、痛みは吾を真実の世界へ誘う症状であります。
苦しみ、全ての経験を素直に優しく有り難く受けとめ感謝することが、イエスが汝の右の頬を打つ者あらば、これに左の頬をもめぐらせて打たせよ、十里の公役を強いられなば二十里を行けと云った無抵抗の真理であります。

真に悪に無抵抗になるときにのみ、それは自我さえも滅し去って、ただ神のみ、善のみが目の前に顕れるるのである。
そのとき真の自我、実相の自我、絶対自我が本当の姿をあらわして自由自在の境地に達するのである。










神は恐れを与え給はないのですから、如何なるときにも恐れることはないのです。

2016年04月15日 22時22分25秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
神は恐れを与え給はないのですから、如何なるときにも恐れることはないのです。

今回の地震のようにある日ある時間に突然運命は訪れることを知らされました。
勤務先の病院で私が取り扱っている有毒であるエチレンオキシドガス薫蒸消毒装置が稼動中であり、
安全の為地震への対応すべく、自宅から当直の施設係りへ直通の電話を入れましたが、
電話が込み合っていて、なかなか繫がらず、相当時間が経ってから連絡が取れました。
後に施設係から連絡が入り異常は無いとの事でした。
ガス漏れ警報器が装備してありますが、このような時には電話も当てには出来ない事が思い知らされ、
自らが現場へ足を運ぶことが大切であることを教えられました。




平らな地面に二十㎝幅程の線を引いて、その中からはみ出さないで、真っ直ぐ歩けと言われたら、
誰でもはみ出さないで歩く事が出来ますが、しかし同じ幅の道が断崖絶壁の高さにあり、
その上を落ちないで歩く事はなかなか困難であります。
それは下の深い谷底を見て、落ちたら大変なことになると思うと体の平均を失って落ちてしまいます。
平らな地面では体の平均を失わないのに、断崖絶壁の高さでは体の平均が失われるのは、
恐怖で『心の平均』が失われてしまうからです。
『心で落ちるかも知れない』と思うから落ちるのです。
水泳でも水に溺れると云う恐れがなくなると人間は水に浮くのであります。
恐れると云う事はどのような事でありましょうか。
例えば高いマンションから下を見ると落ちるかもしれないと恐れます。
フェンスも何も無いと足が震え本当に落ちたりします。
落ちるかもしれないと恐れたのは、実際に落ちた事よりも先に思ったのです。
実際に起こっていないときに恐れて、その恐れた通りに落ちるのです。
このように恐れるのは、まだ実際にもの事が出てきていない時に恐れるのです。
恐れを無くすには、恐れているものは、実際には、まだ来たらないものは、今、此処には無いものであることを知ることであります。
想像の恐怖であります。
自分の心で自分自身を落とし入れ、自分自身で恐怖を描き自分自身が恐れるのです。
そして恐れたものを招きいれ苦しむのです。
神は恐れを与え給はないのです。


われ歳きはまりて安養浄土に還帰すといへども和歌の浦わの片雄波、よせかけ々々還らむにおなじ、
一人居て喜ばはニ人と思ふべし、二人居て喜ばは三人と思ふべし、一人は親鸞なり。
 
                                                    親鸞上人




病気は神様からの有り難いお知らせの『ベル』である

2016年04月13日 20時08分15秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
病気は神様からの有り難いお知らせの『ベル』である。

頑丈な体を持つ同級生が循環内科に入院して来ました。
ある曇りの日に突然『ふーと』なり気を失い救急車で運ばれたと話しました。
それは心不全(うっ血性心不全)ではないのではないかと尋ねると
その通りで長い間病気には罹ったことが無いのにと気を落としていました。
君は野菜を食べているかと問いますと野菜は嫌いであると答えました。
野菜食(ベジタリアン)の食生活をすると血液がサラサラになり循環が良くなり心臓に負担がかからないよと勧めました。
ニワトリのような鳥の生活を始めたらと言うと笑っていました。



肉体を物質の塊と見ないで、それを霊的存在であると観ることは、
肉体を地面の泥のような低さから、霊的存在まで高め上げ尊び崇めることです。
グレンクラークは肉体を美しきものと考えました。肉体を神の智慧と愛と生命との具体化したものであり、
その肉体の姿を美しくリズムカルに、爽快に運動しているのを見るのは神の栄光であり、神の子の祝福であると観じたのです。
グレンクラークは肉体を肉体として観ないで、また物質として観ないで、神の愛と真理と歓喜の霊的表現として見たのです。
病気を神様からのお知らせである『ベル』だと考えたのです。
天理教で病は『天よりの手紙』と云っているのと同じようなものです。
神と人間と直接接触できるのであると云うことがわかると
人間の肉体の素晴らしさが本当にわかってこれを真に愛することが出来るようになります。
肉体の各部分は『神の神霊の各要素』であります。
『心臓は神の愛の霊的表現』です。血管を流れる血液は、意識の通路を流れる『歓びの霊の表現』です。
『心臓は愛の表現』でありますから、弱い心臓、または心臓にストレスを持っている人は、
神を、隣人を、真理の言葉を、周りに起こって来る全ての出来事を、
天地の一切のものをより多く、心込めて完全に愛するようにすれば恐れが無くなり、喜びに満たされて、
終には癒されるのであります。


















                     




心が治れば、病気が治る。

2016年04月02日 16時37分31秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
心が治れば、病気が治る。

雨模様も去り、風光る花曇りの合間からときおり日が射し込み、爽やかな週末です。
昨日は山桜が満開の里山の宅での素晴らしい輪読会でした。




有るところに十数年鼻の病気である蓄膿症を患っているお爺さんの所のお話です。
お爺さんの嫁さんが四人の孫を残して亡くなり、その後に息子に後妻さんがやって来ました。
そのお爺さんと息子の後妻である嫁さんとは大変仲が悪いのです。
その嫁さんがお爺さんに対して何をしてくれても、気に食わず、いつも 鼻にかけてブツブツと小言を言っていたのです。
そこに隣人がそのお爺さんの処に、善いことが書いてあるので読んだらよいと真理の本を贈呈されました。
『人間は神の子であり素晴らしい存在である』と云うような真理の本の三ページ程を読んだだけでお爺さんの心から、
鼻にかけてブツブツと言っていた不平を言う気持がなくなり、十数年鼻の病気である蓄膿症が癒されたのです。
『俺は今まで悪い事をしておった。四人の継子がある家に嫁に来て貰ってくれるだけでも有り難いのに、
感謝しなければならないのに不平ばかりを言っている自分の心の持ち方が間違っていた。』と嫁に感謝して、懺悔したそうです。
このようにお爺さんの心がくらりと変わり親切、丁寧になって家族の仲が良くなり家庭が明るくなったそうです。

病気も『治りたい』と云う心だけではいけません。『治る』と思わないと駄目であります。
『治りたい』と云う“たい”の力を『希望の力』と云います。
『治る』と信ずる力を『信念の力』と云います。
『希望の力』をもっていてもそれを成し遂げることが出来ないのは『出来る』と云う『信念の力』が足りないからです。
ナポレオンの心の辞書には『出来る』と云う『信念の力』の言葉ばかりで、出来ないと云う言葉はありませんでした。




























睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・最終回 就寝時の心の持ち方一つで運命を支配することが出来る。

2016年03月31日 21時25分13秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・最終回 就寝時の心の持ち方一つで運命を支配することが出来る。

あなたは何処に行こうとも、常に神に護られている。
人間に一番必要なことは、美しく生きるということである。
自分の言葉(想念)が、自分の運命をつくるのである。
喜べば、喜びが喜んで集まりて、喜びが来たる。
明るい心は繁栄と健康を引き寄せる。

迷うのも悟るのも自分自身なのですから、自分が仏心(本来の真実の心)に向かう心を起しさえすれば自然に目的に近づけるのですし、
道に明るいとか暗いとかいうのも、結局は自分自身が原因なのですから、正しい教えを信じ、かつ努力しさえすれば、
必ず正しい目的に到達できるのであります。

                              般若心経秘鍵 弘法大師 空海



就寝前の心を平和で何もつかまない、執着心のない、もの静かな状態でいることが必要なのであります。
利害のない、損得のない、昼間見た風景や、テレビ等の何気ない、感情が伴はない客観的な映像を
閉じたまぶたの裏に意識的に思い浮かべていると自然に眠りを催して来ます。
不眠症の患者が何も考えない、何も思い浮かべないようにして、眠ろうと考えようとして失敗するのを逆にとって、
努めて思い浮かべるようにして、しかしながら、何の感情も利害も損得も伴はないことを思うのです。
仕事の後、あまり魅力のないテレビドラマを懸命に見ていると段々と眠たくなっていつの間にか眠ってしまうことになります。
例えば、満月のお月さんの姿を心に描き、あるいは夕日の黄金色に輝く姿を心に描き、
気に入ったモネ等の風景画、阿弥陀三尊、キリスト像等を想像することも好いのです。
就寝直前の心に描かれた模様、心境は暗示として潜在意識の世界へ印象されます。
そして蓄積保存され、やがて五官で感じられるように顕れ、現在意識の世界へ現実化され出てくるのです。
就寝時の快い、不愉快の心の持ち方のひとつで、翌朝の生活の些細な失敗、成功の運命までも関係しているのです。
潜在意識の観念が自己の運命を支配しているのでありますから、就寝前の善き暗示を活用しなければならないのです。
不眠症等の色々な病気はある意味で病気をテコにして自分の陰に隠れている成就しえない負の遺産を言い訳にして、
自我を通しているようなものであります。
このような病気を自己弁解の口実にする心を決然として捨て去ったとき、不眠症等、
その他色々な病気などが癒される人々があるのです。






















睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑬ すべての音に感謝して音を味方にしましょう。

2016年03月30日 21時40分14秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑬ すべての音に感謝して音を味方にしましょう。 

現代は様々な音の中に暮らしています。
吾々は谷川のせせらぎのような自然な音、金属の音、テレビの音声等の造り出した音、飛行機の爆音等
多種多様な音の世界に依存しています。
すべての五官を閉じて瞑想することはある意味で音のない世界であります。
しかし音のない世界は却って普段の人々の心を不安に落とし入れたりしもします。
またそれぞれ音にも好き嫌いがあります。
ある禅僧は瓦石が跳ね竹にあたりまた鉢に当たった音で悟った云います。
またベートヴェンは晩年まったく耳で音を聞き取ることの出来ない状態の時に第九交響曲等の霊感溢れる曲を作曲しました。





周囲が騒々しくて眠れないのは、その喧騒に敵意を持ち自分の心がその喧騒と和解していないからである。
ある人が激しいロックの音楽をうるさいと嫌悪して眠れないと云う人が好きなバロック音楽を聴きながらスヤスヤと眠ってしまうこともあるのです。
このことはそのバロック音楽の音を憎んでいないで、心を開いてその音を愛し、和解して調和しているからです。
ある病院に一人の不眠症、神経衰弱の患者が入院し、道路の曲がり角に隣接している病室に入りました。
その曲がり角の道路は危険を避けるために、自動車が警笛をひんぱんに鳴らすのです。
それは夜間の午前一時でもかまわず自動車の警笛を鳴らすのです。
その患者はその自動車の警笛を憎み、またこのような病室に入れた医者を憎み一夜を過しました。
翌朝、医者が回診に来たので、患者は昨夜の自動車の警笛、不眠などを訴え、
これではますます神経衰弱は悪くなるばかりであると云ったのである。
その医者は夜間病人を悩ます自動車が病院のそばを通るのであるならば、
この道路を夜間だけ自動車の通行禁止をしてもらうように県に交渉しょうと思うので、
ついてはどのような自動車が夜間に何台通るのか、一晩記録して報告してもらいたいが、
自動車も色々な警笛の音があるので、種類別に昼間調査して、夜にノートに書き留めて置いて頂きたいと云ったのです。
翌朝その医者が回診に来て、昨晩は何台の自動車が通りましたかと尋ねました。
患者は『あいにく二十三台手帳に書きとめましたがそのまま寝てしまいました。』
その患者は自動車の警笛が自分を傷け、うるさいものであると思っている間は自分を悩まし、害を与えていたのです。
しかし医者からの依頼で自動車の警笛の調査する為に、ポジテイブな前向きな心でその警笛を聞いたので、
そのうるさいと思われていた音は彼を害することは出来なかったのです。
すべての人生の出来事はそれが、病苦であろうが、災害であろうが、吾々にある教えを伝え導くものである。
自動車の警笛を素直に聞き入れ、その意味を知りたいと謙虚な心になりその事実に従い、
和解するとき害されることなく安眠出来た如く、そのような心境になり、またなお一層、有情非情すべてのもの事に
感謝するとき、一切のものは吾々を害することは出来ないのです。
・・・・・続く
















睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑫ 寝る間の心の準備と暗示を唱える言葉について

2016年03月29日 19時31分29秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑫ 寝る間の心の準備と暗示を唱える言葉について

ザを敷いて、弁当持参で桜見物の人が見られるようになりました。
水も温み、人の心も温み、花びらもほころび、心も和み、若白鷺も水辺で舞い遊びいよいよ春爛漫となりました。
睡眠薬の中にも純粋に心を縛り、閉める作用の成分と反対に心を醒ませ、弛緩させる作用等の色々な成分が入っているようです。
いわゆる心の緊張をとり、心がパラダイス(Paradise)になり、リラックス状態でないと安眠がとられないと云う意味でもあります。
心がパラダイス(極楽状態)になりますと安眠ができるのであります。




寝る間の暗示を唱える言葉について
神よ我に流れ入りたまえ(Lord fill me with Thyself)ロード フィル ミー ウイズ ザイセルフと心で唱えて、
静かに鼻より、静かに静かにゆっくりと吸いながら、その息を空気と思わないで、神が流れ入ると観じながら、
全身に神がみちみちていると想い、また神様に抱かれていると観じて眠ることであります。
また唱える言葉を日本語ではなく英語で『Lord fill me with Thyself』と唱える方が却って言葉の意味にとられなくて
心が落ち着くことになります。
意味にとられると心は覚醒状態となります。
例えば『おんまかきゃろにそわか(十一面観音菩薩)』と云う意味不明の梵語の陀羅尼等を唱える方が、
感銘が深くなり、意味にとらわれないために心が落ち着くと云うのと同じようなものであります。
憎んでいる人があるならば、その人と心から和解して、また赦して、その人と心の中で穏やかに、
理性的に調和の道を見出し、感謝して眠ることです。
憎む心は相手を攻撃して縛りつける心であるので、心が興奮し緊張するので眠れないのです。
眠りは心を完全にゆるめ開放することであるから、緊張、弛緩を妨げるすべてのものを避けなければならないのです。
・・・・・続く



睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑪美しい睡眠を招く方法について。 其の弐

2016年03月28日 21時29分01秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑪美しい睡眠を招く方法について。 其の弐

最近スーパー等の買物でも老若問わず皆さんひと品ひと品、製品の裏表、表示等を見て吟味して、
商品を決めておられます。
環境問題、健康、安全食品等に敏感に反応されている様子がうかがわれます。
ひと昔は、生産者と消費者との距離が近く、互いに知り得る関係であったため信頼関係が好かったのですが
合理的な計画生産等とにより距離が遠くなり、相手が見えない時代になり、前述のように商品の吟味にこだわる様な時代になりました。
人と人との信頼関係は互いに一つ一つ心を寄り添わせ、重ねて出来上がるものですから、
先祖代々、長い期間培った信頼は無闇に壊すものでは無く、繋いで行くことが大切と思えます。

仏陀のさとりは、決してはるか遠くにあるのではなく、
自分自身の心の中に本来存在していて、
きわめて近くにあるものなのです。
同様に仏陀の説かれる真実の教えというものも、
どこかよそにあるのでなくて、自身の中にあるのですから、
この身をおいて他にこれを求めても決して得られるものではないのです。

                                             般若心経秘鍵 弘法大師 空海





眠りに入ろうとする瞬間に片足等がこむろ返りして激しく痙攣して目が覚めてしまい、
また眠るまで時間を費やすことになる事があります。私も夜中に突然痙攣して目が覚める時があります。
生理的には肉体の緊張がゆるんでいないときに急に睡眠への移行によって
肉体のの緊張が解除されるときの突発的変化の急さに起こるもと思えます。
心霊学的に睡眠と云うものを霊魂が霊界への遊行であると考える場合には、
霊魂が急激に霊界へ移行するときの急激な肉体の弛緩が墜落のような感じを与え、脚が痙攣するのです。
それ故、睡眠前に肉体を完全に弛緩させて置いていたならば、
急激な弛緩がおこらないから、睡眠中の墜落感、脚の痙攣は起こらずに済むのです。
それではどうしたら肉体を弛緩させることが出来るのであろうか、
左の手で右の手を支え、右の手は完全に力を抜き左の手に完全に任せ切りにして、
突然に支えている左の手を取除くと支えられていた右の手はぶらりと急激に落下する。
もし右の手が落下しなければ右の手に緊張が残っていたことになる。
何回も繰り返し、ぶらりと落下すれば其の手は完全に緊張がなくなったのである。
そして寝床に入り、先ず左手、右手、左足、右足、胴体、頭部等、身体の各部へ弛緩せよと命ずる。
自分の力は全身どこにも無いが如く、まるで丸木のかたまりかのように、投げ出されているような気持になるのです。
無我放棄の心境になる実修でもあります。
次に布団等を神様、佛様、慈悲の御手であると観じて、
『自分は完全に神様、佛様の慈悲の御手に自分の全身をまかせ切っている』と心の中で数回唱えるのです。
そして『自分は神様、佛様に支えられ、守られているのである。
何ら心配もなく、不安もないのである』と念ずるのです。
このように神様への全托への練習であるのです。
眠ろうと焦る必要はないのです。眠ろうと焦るときに却って反対観念が起こってくるのです。
・・・・・続く





















睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・⑩ 美しい睡眠を招く方法について。

2016年03月27日 20時36分57秒 | 健康・病気・精神分析・心理学・先祖供養・霊的実在・心霊の諸相
睡眠の本当の姿を知りましょう。・・・・・⑩ 美しい睡眠を招く方法について

前日研修会がありましたが、五時間の研修は次第に肉体的に厳しくなりつつあります。
しかし不思議なことに五分程でも緊張を取り、リラックスして休息しますと活力が復活します。
これは機器にも云えるようでもあります。連続して使用するよりも、機器を時折休ませた方が機器の為にも良いようです。
休息の最大なるものは睡眠であります。




仏典には、釈迦が山中で王様の隠している黄金を見て、毒蛇に例えられたと云う話しがある。
今の世でも無数の悪徳は、金がさせるわざである。
多くの人達もその毒気にあてられ、判断力を失い、利己主義に陥り、執着してついに地獄のような世界へ墜落する。
そして夜は不眠に苦しめられる。
安眠は人生最大の極楽であり、どんな貧しくとも、
八時間の安眠の得られる人は、人生の三分の一は極楽生活をしているのであります。
安眠するには、心が平安でなければならない。
安眠を得る最大の方法は自分にとってお金や、財産等の利害の問題を寝床にいて考えないことである。
利益を奪うもの、また利益を失わしめる者は敵であり、その敵が現われかもしれないと云うことは恐怖であり、不安であり、
恐怖と不安は、それを取り除こうとして反撃の心にかりたてられる。
反撃するには精神が高揚して緊張しなければならない、高揚して緊張していては眠ることが出来ない。
こう云う精神状態になるとたとい眠れても、その眠りは極めて浅いのである。
だから安眠したいと思う人は、就寝数十分前から、生活上の悩み、持ち越し苦労、取り越し苦労等の執着を捨て、
全ての問題を神様に全托して、『無敵の心境』になっていることが必要であります。
安眠は心の安らかさの反映でありますから、心が天国ような状態に有らしめることが必要であります。
ですからここが既に天国極楽浄土であると想うと、
利益を追求する必要もなく、利益を奪う者に敵意をもち、身構えして反撃する必要もないのであります。
『すべてのものが既に満ち足りた世界を心に描いて平和な心境に入ってから寝床に入るべきであります。』
これは瞑想でもあり、祈りでもあり不眠症の人だけではなく、すべての病を癒すには是非必要なことであります。
・・・・・続く