ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

ショップ ダンケ オープン

2003-05-26 00:00:00 | インポート
今日は、実は、カッチイの誕生日なのだが、この日に合わせて、カッチイ悲願の「ショップ ダンケ」を開店する。トップページから、リンクが張ってある「ショップ ダンケ」へどうぞいらしてください。

カッチイがセレクトしたドイツ雑貨のオンラインショップ「ショップ ダンケの構想は、1年以上前からで、ドイツに行く度に、こつこつ、これぞと思うドイツ雑貨を買いつけてきた。カッチイは、ドイツで暮らし、添乗員・ガイドという仕事を通して、ドイツ雑貨が、機能的で使いやすく、使うほどに愛着のわくものだということを身をもって体験してきた。ドイツ商品は、愛すべきドイツなのだ。

しかし自分の好きなものが、人に受け入れられるものかどうかはわからない。いつも自問自答しながら、サイトを構築してきた。まだまだショッピングサイトとして完成度に不備があることは、自分でもよくわかっている。特に、ネットショップにとって命の写真に関しては、まだまだ不満が残っている。しかし、今後それは、手を入れ直していくことにして、Go!と踏み切ることにした。

このサイトを見ている方には、ドイツ在住の方も多いようだ。どうして、町に売っているあの商品が、こんな値段にと思う人もいるだろうが、個人輸入しているので、精一杯の価格設定なのだ。また情報サイトであった「カッチイのドイツ旅行案内」に、ビジネスを持ち込んだことに、ひいてしまう人もいるかもしれない。しかしカッチイとしては、今後、どちらにも誠実に取り組んでいくつもりだ。「ショップ ダンケ」は、カッチイがSOHOとして営む「オフィス ダンケ」の重要なパーツとして考えている。

「ショップ ダンケ」は、OCNをプロバイダーにして作り、ニフティをプロバイダーにしている「カッチイのドイツ旅行案内」とは、相互リンクを張っている。カッチイが、今の持てる力を注ぎ込んで一生懸命つくった「ショップ ダンケ」をどうぞよろしくお願いします。いろんなご意見をお聞かせ願えればと思う。うーん。ドキドキ。デビューだもん。


SARSショック

2003-05-20 00:00:00 | インポート
はああ、えらいことになってきた。ついにSARSウィルス日本に上陸か?
日本を観光して台湾に戻った医師が、SARSを発症したと認定されたことで、日本旅行中、ウィルスを撒き散らしたのではないかという大騒ぎになっている。

今日になって、台湾人医師の宿泊先や食事場所など詳細な旅程が公表された。
インバウンドの外人旅行ってこんなルート回るんかと感心して見ている自分がいたりするが、まあ5日間、精力的に動くツアーだ。台湾人医師が動いた全ルート上にある観光・宿泊施設では、キャンセルが入ったり、観点地域の宿泊予約を断るなど、波紋が大きく広がった。この台湾人医師と修学旅行で同宿だった高校が、休校の扱いになると聞いては、そこまでと思うけれど、安全第一といわれれば仕方がない。

アジアを専門に扱う旅行会社は、悲鳴をあげている。事実倒産したところも出た。SARSが、夏くらいまで続くと、経済的なダメージは、例年の20%ダウンだという。日本人は、海外旅行せずに、国内旅行に切り替えるんじゃと思っていたけど、読みが甘かったね。北海道や九州みたいに、アジアからの観光客の依存度が高い観光地もあるしね。関西のホテルは特に痛手があるだろうな。(都ホテルはなじみがあるので深く同情)関空はますます地盤沈下するんじゃないか?>ブラックユーモア

SARS感染者への治療を行っている病院で働いていた台湾人医師(救急センター勤めらしいが、SARSは院内感染が多く報告されている)が、のんきに日本旅行に出たのは、軽率だったんじゃないかと批判がある。責めるのは、酷な気がするのだが、あまりに甚大な影響が出てしまったことに、人間一人の行動の重さに、改めて驚いてしまう。

質が少し違うかもしれないが、毎日新聞のカメラマンが、不発弾をアンマンの空港で持ちこんで、それが爆発し、1人が死亡、5人が重軽傷を負わせた先日の事件を、思い出してしまう。本人は、ほんの軽い気持ち、オミヤゲ気分だったのかもしれないが、なんといっても人を死なせてしまったのだ。「こんなことになるなんて」と本人が一番思っているに違いない。悪意があったわけではない。しかし自分は、事件に巻き込まれたのでなく、事件を作ってしまったのだ。ほんのちょっとの気のゆるみが、何かを暴発させてしまう。甚大な被害を生んでしまう。
そんな事件の当事者になる可能性は、誰にでもないわけでない。


モノの値段1

2003-05-15 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

世の中、デフレで、モノの値段は、下がっていると言われる。若い女の子は、なかなか値段にシビアで、親に誕生日プレゼントに、自分のコンポを買ってもらうのでも、主導権を握るのは、もちろん本人。姉妹で買うからとか、これも買ってあげるから、まけなさいよおとお店で、大人も顔負けの値切りを演じて見せたらしい(身内の話です。都会っ子は、さすがにさといですわ)

そこは、電化製品全般を扱うそこそこの規模の中型店だったそうだ。そこでは販売員の権限で、ある程度の値引きが可能ならしい。超大型店になると、事情は違う。

たとえばの例。カメラ好きの兄貴いわく大阪駅前の巨大店○ドバシカメラでは、ライカの数十万するカメラが、普通は鎮座ましますのに、ごろごろ置いてあって、触ってみることができるそうだ。欲しそうに見ていると、すかさず、販売員が近づいてきて、入念に説明をしてくれるそう。でもその人は、○ドバシカメラの人じゃなくて、ライカの人が出向で来ているということだ。だから、ためしに値切ってみたところで(関西人は、得意ですね)「値段のことは、私は何ともできないんですう。」になってしまう。誰に対しても、ワンプライスなのだ。

中型店で「お客さんには負けましたわ」を言わせることが、客にとっても買い物の最大の醍醐味であったりする。販売員との駆け引きを真剣に楽しむのだ。

大型店の○ドバシカメラにしてみれば、メーカーから社員を出向でおくってもらえれば、よく売ってもらえる。なにせ自社製品なんだから、商品知識は豊富だし、モデル商品を提供してもらえるし、○ドバシカメラの社員としては責任を負うこともないから、願ったりかなったりだ。押しの強い客だけが得をするより、ワンプライスの店のほうが、フェアといえばそうだ。カッチイなどは、こういうお店のほうが、買い物しやすい。良く買ってくれる顧客に露骨に優遇するお店は、小額しか買わない客は、あしらわれるような気になって気分はよくない。


雨上がりの日

2003-05-10 00:00:00 | インポート
木曜日の朝は、災難だった。家を出るとき、曇り空を見上げて、携帯用のかさを持って出たのだが、勤務先の最寄の駅に着いて驚いた。バケツをひっくり返したかのようなどしゃぶり。学校までの15分、少しもひるむころなくカタキのような豪雨。もうぬれねずみなんていうもんじゃなかった。

ノースリーブの女子学生は、脱ぐに脱げないと半泣き。足に水がしみていく気持ちの悪い感覚をみんなが共有していた。スニーカーの学生が、一番悲惨だったわね。時間が少し経って生乾きになって、学生がクーラーを入れてくれというのでスイッチを入れたら、ナマ暖かかった部屋に、涼しい冷気がいきわたった。これはこれで、風邪をひく原因になるんじゃないかしら。みんな、ぐったりしていて授業どころでない。声を張り上げるこちらも、つらい。こんな朝は、本当に初めてだった。

翌日は、昨日とうってかわった晴天。空の青が美しく、日の光に緑が映える。これぞ5月の御天気だ。「風薫る5月」というではないか。実は、カッチイは、5月生まれふたご座。本名は、ここからとられているのだが、男性の名前としても通用する名前だ。ドイツ人には、母音が重なったあとにrという子音が来ると発音しにくいらしく、私が説明すると、rはlと間違いなく(泣)聞こえるらしい。もっとカンタンな言いやすい名前をつけてほしかったと思ったけれど、やっぱり親がつけてくれたんだからね。学校で名簿を見るたびに、子供の名前をつけた親の意気込みを感じるよ(笑)英語教室などでは、よく外人教師が呼びにくいからと、英語名を日本人につけさせる。カッチイも昔YMCAに通っていたとき、「kathy」キャシーと名乗っていた(笑)が、やっぱり名前は本名を呼びあうべきだろう。

ゴールデンウィーク中かかって、サイト内の見栄えをリニューアルしている。まだ終わっていないのだけれど、ページ全体に統一感を出したいと思っているのだ。グリーンを基調に淡い中間色を使い、壁紙もボーダーを取り入れた。文字情報が多いページは、やっぱりバックが白がすっきりする。カッチイは、絵を描けたりするわけでないので、素材屋さんから、いろいろコラージュするのがせいぜいなのだけれど、自分の気に入る素材を探してくるだけで、すごい時間がかかる。けっこうやりだすと凝り性なんだよね。かっこいい、使いやすい、わかりやすいウェブサイトへの道は、遠いなあ。


ゴールデンウィークの1日

2003-05-02 00:00:00 | インポート
久しぶりに大阪のミナミに出て、女ともだちに会った。彼女は、旅行会社に勤めていたときの同僚で、東京で結婚後も、旅行業界で働いている。ふたりで前に行ったことのあるお好み焼きやさん「とんべえ」に行く。しかし、お好み焼きでなく私達は、ここの名物「ぺっちゃんやき」を頼む。キャベツが入らない具沢山のねぎ焼きで、たっぷりのねぎの上に、ふわふわのかつおぶしを散らして焼く。ゆるいマヨネーズをかけるのがおいしいんだよね。もちろん青海苔も忘れずに。このてのものは、鉄板から、テコで、ふうふう言いながら食べるのが正統派。ふたりで、焼きそばも仲良く分けて食べた。

なにわの味を満喫したあと、心斎橋筋を少し歩く。まあ、ふたりで驚きあったことは、心斎橋筋のお店の入れかわりが激しいことだ。南堀江にある実家には、1年ぶりという彼女は、「知ってるお店がもうないよお」と嘆く。ミナミに出てきたら、道頓堀川に出て、極彩色の「かに道楽」や「グリコ」の看板を見ないとミナミの気分が出ない。でも、道頓堀通りの昔からあったおうどんやさんの「今井」もない。あれっと思ったら、看板が。このあいだの法善寺横町の火災の被害にあったという。大阪の人間は、法善寺横町のかいわいの復興を心から望んでいる。「アメリカ村」あたりの若者向けの雰囲気と違って、このあたりは、美味しいものが安くて食べれて、気楽な飲み屋さんがあり、映画館やお笑い劇場があったりする。年をとっても、こういう都会の面白いスポットを楽しむばあさんでいたいものだ。

「ル・アイ」で、デザートのケーキセットでお茶。イラク戦争とSARSの流行でご難続きの旅行業界の憂い話に、どうしてもなってしまう。彼女は、旅行手配をするランドオペレーターでずっと仕事をしてきているが、どこも支払いの資金繰りが大変だということだ。海外のホテルは、ツアーキャンセルになっても、キャンセル料をばんばん取っていくという。この先、働いていくにしても私達は、理想がないとやりきれない。お互い「50歳定年説」をぶちあげる。「40代、ゲンキなうちは働く。でも50歳で、花のリタイアよ」と。ホントに引退できるかは、大いにギモンなのだが、そこまでしか考えられない。それ以上のビジョンは見えないということだ。とりあえずは、今日のことだよね。またの再会を誓って、ミナミで彼女と別れた。