ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

笑顔なき帰国

2006-06-26 22:15:21 | スポーツ

ジーコ・ジャパンが、24日午後、帰国した。W杯ドイツ大会、1次リーグ敗退という結果になってしまった。

主将の宮本さんをはじめ、メンバーの固い表情がつらいなあ。

中村俊介くんの「課題の残る大会でした」という言葉が、全てを語っているような気がする。

見上げるような体躯を持つ他国の選手と比べて、日本人の身体能力の差は、いかんともしがたいのではないかとも思うけれど、確かに競り合いになったとき、一瞬のうちにボールを奪われる場面を、何度も見せられた。

世界の壁は、高かったね。

中田選手の、オレ様流は、チームプレーであるサッカーには、なじみにくいのかもね。試合終了後の会見のインタビュアーの質問も、トンチンカンだったけれど「聞いてますか?」って、突っ込んだりするナカタくん、おばさんは、心配するのだよ。もうちっと、寛大になって。

イチローが、アメリカを舞台にしても、ヒーローになれたのは、野球というスポーツだったからかもしれない。


六義園

2006-06-18 23:09:24 | ショップ ダンケ

「MARKTE」のあるビルの1Fは、「Luftig」というカフェだった。豚しゃぶサラダ、かぼちゃの冷製スープ、パンのついた美味しいサラダランチを食べた。

本棚には、カレル・チャルペックの「ダーシェンカ」があり、ワンちゃんが可愛くて、見入ってしまった。オーナーは、ボブディランのファンなのか、ディランの本が、何冊もあり、ボブ・ディランの特集の1969年のミュージックライフがあって、目が、点になったわ。居心地のいい時間を過ごして、外に出て、「六義園」のお庭を、散歩して、出張の最後にした。

Rikugienn1_1 ちょうど雨上がりで、ちょっと足元がぐずつくが、緑は、雨に洗われて美しかった。

平日の午後だから、すいているが、優雅なオバサマたちの一群がやってきて、急にかしましくなる。でも、大阪のオバチャンとは、違うわァ。東京弁で、お上品(笑)

かと思うと、おじいさんが、一人、ぼーっとしていたり。ビルの谷間に、こういう庭園があるなんて、贅沢ね。

Rikugienn2_1 あじさいの季節なんだよね。あじさいって、あじさい色ってしかいいようがない微妙な色。

小さく固まったつぼみが、これから開いていくんだと思うと、当たり前だけど、自然って、すごい。水滴のついた花びらが、きれいでしょ。

帰りに、京都駅で、「川勝」のお漬物を買って、その日の夕食に登場させる。東京出張づいてるけど、このペースは、どうなるでありましょうか。


MARKTE

2006-06-18 14:03:33 | ショップ ダンケ

さて、東京出張最終日15日は、「駒込」とやらに出かけた。というのは、ドイツ雑貨のお店「MARKTE」に行ってみたかったからである。

Maerkte1

ここは、ドイツのベルリンの蚤の市で見つけた雑貨ばかりを、集めているお店なのだ。品ぞろいのテイストには、ちょっとうなった。センスがいい!

オーナーの塚本さんは、かっこいいお兄さんで、ザ・コンランショップを退社後、「riddle design bank」を設立され、このお店を、2003年12月にオープンされた。

「女の子がカワイイと思うものを、必死で、ボクは探しています。」とおっしゃっていましたが、いやいや、全体を貫く、スッキリ感、スタイリッシュなところは、男性のセンスだと思いましたね。これだけの点数の雑貨があるのに、ごちゃごちゃした感じがないもの。

Maerkte2 ドイツ(ポーランドも入っているそうだが)の蚤の市に特化して、1点ものの雑貨を、扱う実店舗を持つところは、ここだけだろう。

なまじドイツに暮らした私には、東独のグッズや、旧・東側諸国のものは、安っぽく、 古い社会体制をイメージさせてしまうのだが、若い雑貨オーナーから見ると、デザインそのものに着目し、新鮮な目でチョイスしていることを知り、こちらが、教えられる。

心臓発作により、昏睡状態が続いて、ベルリンの壁崩壊、東西ドイツ統一の事実を知らない母親のために、必死で、それを隠そうと奔走する息子の奮闘を描いた映画「グッバイ・レーニン」には、東の生活スタイルが映し出されるが、東ドイツ人と、西ドイツ人とでは、笑う場所が違うと、友達が言っていた。

日本人が見ても、ジェネレーションが違うと、また目線は、違うところに行くのであろう。ベルリンが、いい例になるのだが、西に染まった旧・東ドイツの町で、東ドイツを感じさせるものを見つけるのが、最近の街歩きの「お楽しみ」のようだ。


ラッキー!

2006-06-17 20:41:18 | ショップ ダンケ

東京国際フォーラムを後にしてから、有楽町を歩いた。

元・添乗員なので、街歩きしていて、ピピピと来るのである(笑)
有楽町の駅前に、東京交通会館があり、長野県東京観光情報センターがあるのを発見。

東山魁夷画伯のミュージアムが、長野県にあると、アート・プリント・ジャパンの方に、伺ったので、その資料があるか聞きに行った。

観光協会は、専門学校で、国内観光地理の授業をするときに、情報源であったのだ。
タダで、観光パンフレットを、どっさりもらってきて、授業中回すと、学生も喜んだ。
観光地理は、ビジュアルなものを見せないと、地名の羅列だけになってしまうからね。

広報の方が親切だったので、長野県の観光トレンドの説明も聞いた。何せ、長野県は、北海道に次いで、観光資源の豊富なところなのである。

長野オリンピックのおかげで、交通のアクセスがさらに良くなって、長野が、信州観光の起点になる。「牛に引かれて善光寺参り」というが、ランドマークは、善光寺。その近くに、「長野県信濃美術館・東山魁夷館」があるわけだ。

東信州エリアは、国際リゾート地、軽井沢がある。このおハイソな高原リゾート地に、「エルツおもちゃ博物館・軽井沢」 というのがあるのを知る。うふふ、また営業で回るところが、見つかったわ。

島崎藤村の愛した小諸も、情緒のある町らしい。上田は、映画ロケ支援組織・フィルムコミッションが盛んな町で、小泉堯史(たかし)監督の「博士の愛した数式」も、ここで、ロケしたというから、この映画のファンであるので、行かねばなるまい。

もう一つの信州観光の基点は、松本である。蔵が多く残り、大正レトロの風情の漂う松本の街歩きをしてみたいものだ。漆黒の「松本城」は、国宝で日本最古で、名城だ。「松本民藝館」も、じっくり見てみたいな。サイトウキネンオーケストラフェスティバルも、市民音楽祭として根付いている。信州の文化的拠点だろう。

安曇野、上高地、乗鞍は、山男ならずとも、ハイキングに最高のよう。これからの季節は、森林浴にいいだろうな。やっぱり、日本アルプスは、長野の観光のハイライトね。温泉も、長野県は、多い。

同じフロアの隣に、「滋賀県東京観光物産情報センター」もあるので、のぞいてみる。ここには、オミヤゲモノも置いてあって、絵付けのある和ろうそくが、可愛くて、夏にドイツに行くから友達にあげるのに、いくつかお買い上げ。そうすると、くじ引きができるいうので、ガラガラと回してみたら、きゃああああ!当たっちゃいました!一等賞!

彦根プリンスホテルの宿泊券!めちゃくちゃラッキー!!堂々の5つ★ホテルに、お泊りができるなんて!今年のアタシは、ついてるかも?


東山魁夷画伯とドイツ

2006-06-16 22:03:00 | ドイツ・ドイツ

あーあ、日本は、初戦、オーストラリアに負けちゃったね。せっかく1点先取してたのに、後半、点を立て続けに入れられちゃって、ガタガタに。守護神、川口ボールキーパーの呆然とした顔が、イタかった!

さて、テレビ観戦を終えて、またまた東京出張へ。

ゴールデンウィークに、東京国際フォーラムであった「熱狂の日 音楽祭 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」のモーツァルト市場の主催者「アート・プリント・ジャパン」の「2006クリスマスカード・2007カレンダー・秋商品・年末商品受注会」にお招きをいただいたからである。

華やかな雰囲気の会場で、ちょっとドキドキ。「あ、コレ」と思ったのは、東山魁夷シリーズである。

画伯は、1933年に、ヨーロッパの美術の研究と生活を体験されている。ネコも杓子も、留学する今とは違う、73年前、はるか戦前なのだ。私は、新潮文庫で、東山魁夷小画集「ドイツ・オーストリア」を持っている。

画伯は、それから36年後1969年に、奥様を伴われて、ドイツ・オーストリアの旅に出られた。やすらぎを感じた旅だったと印象を述べられている。

アート・プリント・ジャパンの東山魁夷シリーズグリーティングカードの「赤い屋根」は、ローテンブルグ。市庁舎のてっぺんまで上れるので、そこからのアングルだろう。

「ニュールンベルクの窓」は、多分、カイザーブルグからの眺め。

「夕べの聖堂」は、小画集にあったからわかったけれど、リンブルグ。

グリーティングカードのなかで、ひときわ美しい切り立った山に囲まれたバイエルンの湖を描いた「緑響く」ベテヒルスガーデンのケーニッヒ湖かな?青く、深く静かに澄んでいる湖。この湖の真ん中で演奏されるトランペットの演奏が有名なのだ。

幻想的な「沼の静寂」や「白馬の森」は、東山魁夷画伯の捉えた「ドイツ」の本質を映した風景だと思う。

このグリーティングカードは、「ショップ・ダンケ」で取り扱うことに決定(笑)

画伯は、「ドイツ・オーストリアの旅」の画集の冒頭で、「憧憬と郷愁」と題した一文を載せられている。転載しよう。

「憧憬と郷愁、別離と帰郷、それが旅の姿である。しかし、もし、この二つの異なった方向が一つの輪に結ばれていたら、そのような宿命を持つ旅人は、いつまでも輪を描いて歩き続けることになる。」

画伯は、1984年に、「しかし、恐らく私の旅の輪は、東へ巡り帰ってきたところで、終着点を持ったと、いま私は思っている」と記されている。

戦後、天地を見渡す山々を描いた「残照」から、唐招提寺全障壁画に繋がる画家の歩んだ旅路は、辿るべき地点に到達されたのだろう。

人にとって、生きていくこと自体が、旅である。私は、ドイツと日本との間を、行き来して、いつまでも、輪を描いて歩き続けるのであろうか?

その答えはまだ出ない。だって、今も旅の途中なのだから。