ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

バルトの楽園

2006-07-27 23:01:43 | 映画&ドラマにハマル!

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バルトの楽園」せっかく、公開すぐに見に行ったのに、ブログに書くのに時機をはずしてしまったが、書く(笑)

第一次世界大戦時、チンタオで日本に捕らわれたドイツ人俘虜(捕虜と同じ意)が、日本各地に収容された。鳴門の板東(ばんどう)の俘虜収容所所長、松江豊寿(まつえ とよひさ)は、陸軍の上層部と対立してまでも、ドイツ人俘虜を人道的に扱い、収容所としては、例のない寛容な待遇をした。

ドイツ人俘虜は、日本という言語、、習慣、文化の異なる地域住民と交流を図ることになる。徳島県の鳴門で、ドイツ人と日本人との交流の歴史は、広くは知られているとは言い難かったのを、東映が映画化した。「きけ、わだつみの声」の出目昌伸監督が、メガホンを取り、主役の松江豊寿に、松平健、ドイツ側の将校に、ブルーノガンツ、という名優を配した。

マツケンサンバばかりでない、松平健を見せることが出来、松平さんも満足だろうし、ブルーノガンツも、この前に公開されたのが、「ヒットラー最後の12日間」で、狂おしい独裁者を演じたから、誇り高いドイツの将校を、威厳を持って演じることができ、こちらも芸達者なところを見せた。

ドイツは、どうしても、ナチを連想させるドイツの否定的なイメージを払拭させたいという悲願があり、そのために、努力するのが、ドイツの宿命のようなものだ。

日独交流の暖かなエピソードをつなげたこの映画は、そのドイツの願いに沿った作りになっている。この映画の監督をはじめ、日独の俳優、スタッフは、国が違っても、理解できる共通の思いを、確認しあって映画制作をしたことがわかる。

ただ、それだからか、ちょっと感動をねらいすぎた、わかりやすさが意図的に思えてしまうところがあった。

たとえば、若いドイツの兵士が、ドイツの母に向けて手紙を書いている文章を、日本語でナレーションで言わせるのである。中高年の観客を当て込んでいるから、日本語にしたほうが聞きやすいと思ったのだろうが、「おかあさん、ボクは、今、ニッポンのバンドウというところにいます。」などどたどたどしい日本語で言われると、違和感を感じてしまった。ドイツ人が、言っているのだから、ドイツ語でそのまま言わせて、字幕をつければいいではないか。

松平健さんは、意外なほど、ドイツ語のセリフが多く、努力の跡がしのばれるが、ブルーノガンツとの演技対決の際には、それが負担になったことは、想像に難くない。やっぱりドイツ語のセリフに、感情を乗せるのは、苦労していた。

対するブルーノガンツは、98パーセントドイツ語のセリフだからね。彼が、松平さんが、ドイツ語のセリフが言いやすいように、配慮して演技しているのが見えてしまった。

鳴門には、四国八十八か所巡礼の出発点となる一番札所・霊山寺があり、映画にも、重要なシーンで登場する。

実は、私は、この映画を見て直後、鳴門に営業に行ったのだ。地元の方と、この映画について話し合う機会があり、鳴門にある「おもてなし」の伝統が、映画で伝わるといいなと話されていたことが印象的だった。

また、松江所長が、どうしてあんなにドイツ人俘虜に寛大であったかは、彼が会津藩士として、明治政府になってから、辛酸をなめたからこそであり、窮地にあっても、誇りを失わない生き方を実践してきたからである。この映画は、ドイツでも公開されるようであるが、この日本の歴史のバックグラウンドが、ドイツでは伝わるだろうかと、私たちは、話し合った。

最後に、自由の身となり、日本を離れることになったドイツ人俘虜が、板東人たちの前で、べートーベンの第九を、演奏するところが、映画のクライマックスになっていて、なるほど、クライマックスねとは、思ったのだが、エンドロールでも、延々と「一万人の第九演奏会」に引き継がれ、個人的にはしらけてしまった。

混血の少女と、彼女を引き取って日本に残り、パン屋としてい生きていく決意をしたドイツ青年のその後を、映像でちらっと見せてくれたら良かったのにと不満に思った。

第九を歌わないと、その年が暮れないなどというドイツファンに、私は、ひいてしまう。熱狂的なドイツファンとは、距離を置いていたい。冷静でいたいと思うから。

わかりやすさが、アダになったと思う部分はあるが、総合的に見て、良心的に、丁寧に作られた作品であるし、中高年が映画館に足を運んで、損したとは、きっと思わない映画だ。


2次会

2006-07-18 10:45:17 | ショップ ダンケ

またまた、トウキョウである。仕事関係のご挨拶まわりと打ち合わせ、所属する日本旅行作家協会 も例会もあったしね。会長に、斉藤茂太氏、副会長に、兼高かおる氏、いつも、司会を勤められるのは、中村浩美氏といったお歴々がいらしゃる華やかな会である。

いささか平均年齢が高い1次会から、同世代、3人に、若者ひとりが集まった2次会に流れた。

席について、それぞれ年齢をばらしたら、私が、ひとつ年上ということが判明して、ジャーナリストからは、「おねーさん」と言われてしまった。私たちより、うんと年下のフォトグラファーは、40代の怪気炎に、すっかり当てられたようでありました。私は、紅一点で、大事にしてもらって気分がよかったわ(笑)2次会は、言いたい放題の大盛り上がりとなって愉快でした。皆様、これからもよろしくね。

トラベルライターで、食べていくのは、そりゃ、カッチイだって、憧れですわ。でも、今はその時機ではない。小さな船で漕ぎ出した「オフィス・ダンケ」を、何とか沈没しないように、運営していかなければならないから。

現在、渋谷「Bunkamura」のミュージアム「エミール・ガレとドーム展
2006年7月8日(土)~8月27日(日)  開催期間中無休
で、オフィス・ダンケもビーズのアクセサリーを、出しています。翌日、ご挨拶に行ったが、
客足は、ちと苦しいの。皆様、ゆっくり見れます。どうぞ、お運びください。
ガレのガラスは、繊細で、ため息をつくほど美しいのであるが、渋谷の喧騒にあって、「Bunkamura」という大人の施設は、異質なのかもなあ。
8月22日には、ドイツへ行く。もう一ヶ月ほどになってきたのよね。そろそろ、準備していかないとね。


W杯終了!

2006-07-10 21:11:56 | スポーツ

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終わったね。優勝は、イタリア。

スポーツ音痴のカッチイであるが、杉山茂樹氏の「ワールドカップが夢だった」は、スポーツライターが追うW杯の情熱がひしひしと伝わってきた。彼いわく、「W杯は、負け方を競うコンテスト」「1チームを除く、他の百数十カ国は、皆敗者という現実に、尊さを抱いてしまうのだ。最も美しい敗者は、どこか。」

探偵に憧れる杉山氏は、今回、最も美しい敗者は、どこか?と問われたら、彼は、どこを、誰を書くだろう。

フランスに敗れたカナリア軍団か?そして決勝戦、頭突きを、イタリアのマルコ・マテラッツィ選手に食らわし、レッドカードで退場したジダンか?ピッチで、泣いた中田選手か?

孤高のプレーヤーほど、多くは、本人は、語らない。だからこそ、探偵の腕の見せどころ。独自の捜査で、犯人を捕まえる。

サッカーに魅せられたライターが描くドラマを読みたい。


寄り道

2006-07-06 01:32:13 | 小さな旅・ニッポン編

何年か前、信州へ旅する途中、時刻表を読み間違え、乗り換えしそこない、貴重な旅の半日を、ただ駅の周辺で、ウロウロ過ごすという失敗をしたことがある。

「オバカなあたし!」と悔やんでみたものの、諦めて、4時間の待ち時間を、その見知らぬ小さな町で過ごすことにした。今となっては、その名前も思い出せない。

本来なら、立ち寄るはずのなかった田舎町、もう二度と来ることもないだろう死んだような町、そこで私は、思いがけず、美味しいお蕎麦を食べることができ、初めて「蕎麦がき」というものを口にした。

低い屋根のついたさびれた駅前商店街を歩くと、床屋があって、その入り口に、ステンドグラスがはまっていた。都会では、もう見ることができないレトロな鳥の模様が連なっていた

その先の味噌屋には、えんじ色の暖簾がかかっていた。濃いえんじ色で、風に揺れる布の動きも、穏やかだった。

その前に犬がいた。忠犬ハチ公のようなポーズで味噌屋の前にいた。顔をのぞくと、はにかんでうつむいた。田舎の犬らしく内気な感じだった。こういう犬って好き。背中をポンとたたくと、犬からぼわっと埃が立った。

それから、坂道を行くと、桜の木が両側に植わって、アーチのようになっていた。毎日ここを通って家に帰れる人は、幸せだと思った。

瓦葺の民家の軒先に、かわいい赤い三輪車がひとつ。ところが、「早くしなさい」とお母さんらしき人の金切り声の後に、「うぇーん」という泣き声が聞こえてきて、思わず笑ってしまった。

駅前にある「パーラー」の「ラ」の字が抜けている喫茶店で、コーヒーを飲んでいたら、いい時間になった。駅に向かい、待ちかねた列車に乗った。シートに座って、安堵感がこみあげた。

その町がしだいに遠ざかる。列車は、山の中に入る。緑の木漏れ日が、私の顔にもかぶる。ガタンゴトンと、列車の振動に、身を任せ、目を閉じた。

まだ旅先に着いていないのに、何だかとても旅をした気分になっていた。