ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

夏の催事から、秋、冬への準備

2007-09-23 08:38:17 | ショップ ダンケ

オフィス・ダンケ」を運営しだしたのは、、1998年の頃からだが、そのころは、それは副業で、本業に転換することを望みながらも、メインの仕事として、専門学校の講師を10年務めた。ホテル学科の担任も務めながら、授業のオファーを受けられるように、旅行学科の授業のほか、英語、ドイツ語、就職対策、時代の要請に合わせて、パソコンを使った授業など、レパートリーを増やしていった。

ワールドカップの開催を控え、2005年には「ドイツ年」が始まり、ドイツ関係の催事が多くあり、「ショップ・ダンケ」に、声をかけていただくようになり、展開が出てきたが、学校との両立に苦しんだ。

学校側の事情もあったが、もう、限界と思い、2006年春に、学校を辞め、オフィスダンケを、本業にした。独立して、2年目。プロフィールのところに、ショップダンケが関わった催事を記しているが、うーん、今年は、自分でも走ってるなあと思う。出張が、月に2度くらいのペースである。

巡回の美術館展である「ピカソ展」に合わせて、この1年を、地方の美術館へ、商品の搬出、搬入で移動することになった。

ゴールデンウィークは、東京国際フォーラムで開催された「ラ・フォルネ・ジュルネ・ジャポン 熱狂の日 音楽祭2007」、その後、「鳴門市ドイツ館」の行事に出かけることをはさみ、8月は、「軽井沢八月祭」に出店させていただいた。

成熟したリゾート地である軽井沢で、「財団法人ソニー音楽芸術振興会」が、さまざまな観光施設の協力を仰ぎ、レベルの高い音楽祭を目指プロデュースしたのだが、このメイン会場「大賀ホール」での物販に、出店できたのは、光栄だった。

9月は、「JATA国際会議・世界旅行博」に、プレスとして参加した。業界最大の国際観光会議は、旅行業界で職種を変えて働いてきた私に、とても興味深い内容だった。観光分析や、業界の動きを見ていくのは、大好きなんで(笑)

旅行博のほうでは、ドイツ、オーストリア、スイスのブースに張り付いて、資料集め。特にドイツ観光局では、ゲーテ街道や、ドレスデンのプロモーションに、ドイツから来ていたスタッフと知り合いになれたのは、有意義だった。ドイツ旅行の企画をし、元・同僚が運営する「KTトラベル」と組んで、ドイツツアーを催行させるのは、オフィス・ダンケの悲願なのである。2008年には、1本は、実現させたい。

「オフィス・ダンケ」の次なる目標は、クリスマスマーケット。梅田スカイビルでのクリスマスマーケットでの出店が決まり、正式に契約した。

梅田スカイビル」の公式サイトのイベントのドイツクリスマスマーケットをご覧ください。11月16日から、12月25日までの42日の長丁場なんで、体力勝負。

旅行会社勤務、添乗員、ドイツでの現地ガイドを経て、日本に帰国して、専門学校での教職に就きながら、オフィス・ダンケとして、独立した道のりは、10年を要し、時間がかかったが、それは機が熟したのを待ってのことで、正解だったと思う。

日本社会に、再適応を果たし、ドイツでの経験を、上手く発揮させるのには、これだけかかったということだろう。複眼的な思考を持てるのは、私にとって、何よりの財産だろうと思う。2年目で、方向性を出せば、3年目は、もっと実りがあるはずだ。

カッチイのドイツ旅行案内」で、ドイツ旅行情報の発信をし、「ショップ・ダンケ」では、ネット販売と、催事での実売に、力を注ぐ。

催事のために、日本各地に出かけることは、「ディスカバー・ジャパン」で、とても楽しい。日本は、「観光立国」を目指すということなんであるが、それは、地方経済の活性化を意味する。地方へ出張すると、日本がいかに、中央集権なのであると実感する。

観光分析のレポートを、研究者として書いていくことを、望んだときもあったが、観光マーケティングのレポートを挙げるより、「オフィス・ダンケ」で、ドイツ雑貨を売り、自分のツアーを作ることのほうが、断然、具体的で、エキサイティングである。私の資質は、多分、専門職として仕事をするより、コーディネーター的なことのほうが向いていると思われる。

あと10年は、「オフィス・ダンケ」の運営を頑張らなくちゃね。自営なんで、定年はないが、60代くらいになったら、トラベルライターの仕事にシフトしたい。

夢は、大きくね(笑) 語るのは自由だし(爆)


対話(Dialog)

2007-09-05 18:15:16 | 徒然草

本当の対話(Dialog)とは、言葉のキャッチボールをすること。
投げられたボールが、放物線を描いて、ミットの中に、収まったとき、
心は、震える。
パシッと響くその声に、耳を澄まそう。

微笑みを前に、自分でも思ってみなかった方向に、ボールを投げてしまうこともある。
でも、相手のミットから、ボールは、こぼれ落ちることはなく受け止められる。

優しく聞いてもらえた時、”安心”に包まれ、守られる。
思いやりを、口にするのに、何のてらいもない。

理論武装の鎧は、たやすく脱がされてしまう。
饒舌だったのに、胸が一杯になるから、ただ、沈黙を返すしかない。

二人は、その場に流れる空気を、共に吸い、感じるだけ。
そこには、貴重なコミニュケーションが成立している。