ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

今年もおしまい

2004-12-30 00:00:00 | ショップ ダンケ

ごったがえしたウチのなかで、今年最後の日記をつづることにする。もう、大掃除はあきらめている。

「ショップ・ダンケ」が参加したハービス大阪のクリスマス・マルクト(略してクリマル)は、無事終了した。ハービスのほうからお話をいただいて、11月中旬には、動きだした。ドイツのセンスのいい友人に、現地のクリスマス用品を買い付けて送ってもらったが、結局そのうち、三分の一はつかなかった。アホなドイツ・ポストめ!でも「ショップ・ダンケ」の在庫商品を取り混ぜて、クリスマスだけにこだわらない商品構成にしたのが結果的に良かったかな?何でもありのほうが、雑貨市としては、絶対正解!
http://www.office-danke.com/kachii/Photo/klimaru.htm

ささやかなスペースだが、お客様が足を留めてくださる瞬間は、緊張もするが、嬉しかったな。接客は、楽しかったし貴重な経験だった。しかしこの売り子、計算が遅く、商品を包むのに時間がかかる。商品ご購入の奥様に「お友達を待たしているの。早くしてくれる?」なんて言われたときには、背中に汗が流れたわ。

ハービスの方にも気に入ってもらえて、来年もぜひやらせていただけそう!これからの課題もでてきたし。

ところが4日間終わって見ると、どっと疲れが出た。自分ひとりで何もかもやっているので、気も張っていたのだろう。これから荷物の整理がタイヘン。値段つけや、梱包、商品管理と、ショップ運営なんて、地味な作業が多い。人様の財布の紐は固いし、そんなに甘いもんやおまへんわ。

さて、年末になって、南ンドネシア・スマトラ島沖に、マグニチュード9.0の地震が襲った。災害イヤーの極めつけ。地震と津波の被害は、東南アジア全般に拡大し、死者10万人に達する見込みらしい。前触れがなく、いきなりの津波なのだもの。阪神大震災の10倍の被害だと思うとその甚大さに驚く。南の楽園を襲った悪夢は、残念ながら現実なのだ。観光産業は、テロに戦争に天災と、バブル崩壊後、次から次へと、試練が襲う。平和じゃないと成り立たない産業なんだと痛感する。

ツアーで申し込んだ人たちは、旅行会社が、宿泊場所や飛行機の便を抑えているので、お客さんの動向がつかみやすい。自由旅行者の安否の確認は、難しいらしい。
皮肉な結果になったものだ。

来年こそ、明るく、そして健やかな年になりますように。皆様、よき年をお迎えください。


師走

2004-12-13 00:00:00 | ショップ ダンケ

12月も半ばに入っている。病を治し、11月は、復帰して時間はそれなりにあったはずなのに、ダレダレと過ごしてしまい、あっという間に、年の瀬。

今、2つのプランを抱えている。ひとつは2年前に出版した「ドイツdeワーキングホリデー」の改訂版を出していただけることになり、その作業にあたっていること。

オーストラリアにワーホリビザを申請する人は、年間9000名を超えるのに対し、ドイツは数百名。本の需要は、あまりないと思っていたのだが、改訂版が出るのは、誠に嬉しい。

インターネット時代に即応して、お役立ちサイトを一杯挙げたのだが、これが激しくリンク切れを起こしている。この改訂版の作業をしていて、つくづく、ネットの情報の持続性の短さ、不確かさ、そしてその責任の所在のなさに驚いている。

実際のワーホリ経験者の方と、必死にコンタクトをとり、何人かの方から体験談が集まってきた。海外への長期滞在経験を、「留まって学ぶ」という元来の広い意味に捉えていかなくちゃいけないのではないかと思った。

ワーホリも語学留学もインターシップも、ある種の留学なのだ。ワーホリの制度を利用しながら、現地でトライアスロンの現状を知るべくクラブに入ったり、環境問題に意識を深めたり、ヨーロッパをまたにかけて旅行しまくったりと実にユニークな経験の報告をしてくれた方々に感謝している。

ドイツの場合、ワーホリのビザを取るのはスムーズなので、読者の人が求めているのは、「ドイツの暮らし方」の情報だという見解に達した。ワーホリにこだわらず、ドイツに長期滞在する人に、役立つ情報を提供していきたいと思っている。

もうひとつ、準備を進めているのは、ハービス大阪で「ドイツ・クリスマスフェア」を催すこと。ドイツ観光局やハービスに入っている旅行会社のパンフもおいて、「ドイツ旅行」へあおりながら、いや誘いながら(笑)「ショップ・ダンケ」の商品を展示販売する。在庫のある商品他、ドイツ在住のセンスのいい友人にバイヤーになってもらい、クリスマス商品を買い付けて送ってもらった。アクションを起こしたのは、遅くなかったのだが、まだ一部、荷物が届かないので気をもんでいる。値札つけや、梱包の作業は、けっこう面倒だから。会場は、ココ。12月22日から25日まで。皆様、どうぞいらっしゃいませ。http://www.herbis-osaka.com/f3floor.html


シルクロード浪漫3

2004-12-06 15:00:00 | この人に萌え萌え!

絵的には、吉岡さんが、ウィグルの若者と、馬に乗るシーンが躍動感があってよかった。馬で駆け上がってみて、うちのすぐ裏が、砂漠だと知って驚きの声を上げたが、それは見ている私たちも同じ。

彼らは、砂漠のなかで生活しているのだった。「人が住むと、砂漠が下がる」水をひき、緑を植えているのは、命がけなのだ。
「家族を守るために、砂漠と戦っている」というイミン家のお父さんの顔が、ひきしまっていて、ほれぼれする。信念というものをもって生活している人は毅然としている。

結婚式に招待されたけれど、突然のことで何も用意してなくてと、吉岡さんは、自分が着ていたセーターと使っていたサングラスを、青年にプレゼントする。そして宴のなか、イミンさんに感謝を述べて、さりげなく立ち去る。素晴らしい思い出をかかえて。

番組紹介のページで、語っている吉岡さんの言葉を引用しよう。
「日本メディアシステムスペシャル 
吉岡秀隆 シルクロード浪漫 渇いた3000kmの果てに」
http://www.fujitv.co.jp/b_hp/0111silk/

「シルクロードの歴史をすべて理解することはとても無理ですが、3週間の旅で感じたことは、『シルクロードは人そのもの』ということでした。砂漠や遺跡にも圧倒されましたが、そこに立つと、昔の人の息遣いが聞こえてくるようでした。シルクロードは砂漠に点在するオアシスを辿った人の足跡です。オアシスに暮らす人々は昔も今も、心から旅人を歓迎してくれます。彼らの優しさに触れることのできた今回の旅は、長旅の孤独より、人の温もりを強く感じるものでした。新疆には『寂しい砂漠はあるが、寂しい人生はない』という言葉があります。シルクロードを実際に辿ってみて、ようやくこの言葉の深さを実感しました。
 自分なんて、ちっぽけだといつも思っていますが、シルクロードに来てあらゆることに圧倒され、開き直るしかないなあと改めて感じました。開き直ってやっていけばいいよ、といわれているような…来てよかった。」

開き直っていこうぜ、吉岡くん、あわただしい取材と対極にあるような、じっくりと自然とそこに生きる人を見せる映像とあなたに魅了されました。このような苛酷な旅をする体力は、私にはもうないけれど、僻地であるからこそ、必死に守っている「人の暮らし」があることを教えてくれた気がする。

小さな旅でいいから、旅に出たいな。


シルクロード浪漫2

2004-12-06 13:00:00 | この人に萌え萌え!

添乗員のとき、ヨーロッパへ飛行機で飛ぶとき、空から並々と続く天山山脈を見下ろしていて、ここを昔歩いた人がいると考えて不思議な気がしたことがある。怖れなく飛行機で飛んでしまうことで見落としてしまうものがあるのではないかと一瞬思ったが、仕事の緊張感で、そんなことを深くは考えなかった。

吉岡さんは、自分の体で砂漠の距離感を体験して、夕食の場で「昔の人は、歩いて歩いて、目的がよほどあって、覚悟があったんでしょうね」ともらす。

このドキュメンタリーは、面白いつくりで、幻の踊り子が出てくるイメージシーンが挿入され、一部ドラマ仕立てになっている。吉岡さん1人をカメラが追うシーンでは、旅人というより、突如俳優、吉岡秀隆が立ってるみたいな感じになるのは、さすがかな。やっぱりただ者ではない。

吉岡さんが、しゃべっている言葉は、台本とかにあったんじゃなくて、誰とはなく同行のスタッフに話しかけるという形をとっていて、そのまま自分の気持ちや現地の感想を、話しているっていう感じで、そこが、すごく良かった。

ホータンのバザールで、アイラードさんの知り合いのイミンさんに出会い、結婚式に招かれる。このウィグルの家族と交流を持つ場が、重要な見せ所になっている。どの程度打ち合わせがあったのかわからないのだけど、吉岡さんの立ち居振る舞いは、自然で気負いがない。無理がないのだ。よその国に行って、きちんと挨拶して、人の目を見て話しをする謙虚な態度と柔らかな物腰は、本当にジェントルマン。タレントさんが外国でなんかやるっていうのは、現地のコーディネーター泣かせだとよく聞く。だって、現地の事情も知らなくてワガママだから。

吉岡さんは、ドラマの役と違い、今回、ご自身の素の部分をさらけ出すのはとためらったそうだが、現地の方には、本当に礼節を知るって感じで接し、全身で感じようとする姿勢は、はからずも、私たちに、人柄の良さを見せてくれたように思う。

出されたものを何でもおいしいって言われてたけど、きっと口に合わないものもあったと思うよ。カッチイは、中国添乗のときは、カップラーメンとか持っていってた(笑)人間味が出せる方に出演してもらいたかったという製作者のキャスティングは、大当たりだったね。


シルクロード浪漫1

2004-12-06 00:00:00 | この人に萌え萌え!

ここのところ数日NHKで盛んに「世界遺産の旅」でドイツ語圏をやっているのは横目で見て、カッチイが夢中で見てたのは、友達の好意でいただいた『吉岡秀隆 シルクロード浪漫 渇いた3000kmの果てに…』。

タイムリーなものではない(2004年1月放送)が、俳優の吉岡秀隆さんが初めて挑戦したドキュメンタリーで、大沢たかおさんの「深夜特急」紀行番組以来、心からいいと思った番組だ。

だいたいカッチイは、タレントさんが外国に行っておいしい物食べ歩きする番組の品のなさが大嫌い!「ウルルン滞在記」もやらせを感じて、あんまり好きじゃない。NHKのは、予定調和がありすぎる感じがする。こちらが撮りたいものを撮り、聞きたいコメントを取るという強引さが見え隠れする。ちょっと職業柄、旅番組には、辛口になってしまうんだわ(笑)

去年9月初旬に連ドラ「Drコトー診療所」の収録直後に、吉岡さんは、3週間シルクロードを旅したらしい。カッチイは、中国添乗をしたことは何度かあったけれど、中国内陸部は、シルクロードの入り口の西安まで。砂埃がすごかったのを覚えている。道を歩いていると、目や耳に砂が入ってくるのはもちろん、建物内部にいても、砂がすぐ入ってきてしまう。のどは、すぐやられてしまうから、マスクと水は欠かせなかった。

吉岡さんが旅したのは、シルクロードでも砂漠地帯の深遠部だ。旅の苛酷さは、想像に難くない。さすが「北の国から」で鍛えた僻地役者。タフだ。

ウルムチまでやって来たものの近代都市の騒々しさに幻滅した吉岡さんは、路地裏で見つけたウイグル料理の店で、シルクロードが知りたいならカシュガルに行けと言われる。これで、旅の目的地は決まる。

トルファンへ立ち寄り、そこで前漢時代の巨大都市国家・交河故城を見て「人が作ったものに、人が呆然とするなんて、、」絶句。旅の洗礼を受けたようだった。

トルファンから南疆鉄道でコルラへ。列車の窓からは、3800km超す山々の雪景色が望む。コルラで、日本語通訳を兼ねる運転手のアイラードさんと会い、4WDに乗り全長520kmの砂漠公路でタリム砂漠を横断。自分で体感したいからと吉岡さんは運転を代わってもらったりするのだが、こういうコースを、タレントさんにたどらせるのは、本当にユニーク。緑がだんだん減っていって、砂漠の海に入る。