思いやりのある人、ジェントルマンだった。
晩年、目が悪くなったことが、受け入れがたいようだった。
77年、役にたってきた目だったから。
いくつも病気を抱えていたけれど、直前まで、うちで穏やかに過ごせた。
父の世話をしてくれた兄家族に、感謝。
末っ子の私は、叱られた記憶がない。
普段は、仕事一途で、子供の頃、遊んでもらったりしたわけでないけれど、その背中に守られてきた。
幼い頃、新しい洋服を買ってもらったとき、必ず着て、父に見せに行った。
「おお、かわいいよ。似合っているよ」と誉めてもらうのは、他の誰に誉めてもらうより格別だった。
娘時代は、友達と遊んで夜遅く帰ってくる私を、しょっちゅう駅まで迎えにきてくれた。
さすがに続くと、不機嫌そうで、車のなかで小さくなっていたものだ。
勝手に、就職先を決め、そして辞め、添乗員のようなヤクザな仕事に就いても、黙って見守っていてくれた。あの時も、毎回、空港に送ってもらったっけ。
音楽など縁のない人だったのに、母に引きずられて、しぶしぶ尺八を習った。母のお琴と父の尺八の合奏がうちの中に、響いてくるのを、聞くのが好きだった。
夏が来る前に、家族に看取られ、苦しむ時間も短く、母の元へ旅立った。
病院からの帰り、咲き誇る紫陽花を見たとき、母が迎えに来たのだと思った。
紫陽花は、母がこよなく愛した花だった。
私は、貴方の娘に生まれたから、幸せ。
私が好きになる男性は、いつもどこか、貴方に似ている。
お父さん、ありがとう。
Mein Vater
Ich bin glueckglich, weil ich als deine Tochter geboren bin.
Die Maenner, die ich liebe, sind immer etwas dir aehnlich.
Vati, Ich bin ganz dankbar fuer dich.