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相田みつを美術館

2007-02-17 18:51:07 | 小さな旅・ニッポン編

ゴールデンウィークのイベントの打ち合わせで、東京へ出張した。前泊入りしたので、会場となる場所に併設されている「相田みつを美術館」に行った。

Aidamitsuo

作品を見て思ったことは、肉筆で書くことの、強さである。彼が書いたと、誰もがわかる独特の毛筆の書。

近代以降、詩人たちは、自分の作品が、「活字」になることを、前提として詩を書いた。

活字は、肉筆にまとわりつく情緒的なものを洗い流す。相田みつをは、活字の普遍的な浄化作用を、あえて拒否し、詩を、書として表した。短歌に精通し、禅とという思想的な背景を持つ、彼の詩は、館長の相田一人氏のおっしゃるように(「相田みつを 詩のひみつ」)覚えやすい、わかりやすい、読みやすい。

相田みつが描く、その書は、字体、配置、バランスまで、細心の注意を払って描かれ、言葉は、視覚的に立ち上がる。散文の作家は、逆立ちしても、この手は、使えない。

ハイデルベルク大学で、ブンガクの最初の授業を受けて、こりゃお手上げと早々に退散した私は、当時ドイツの大学で唯一であった「東洋美術史」を副専攻に選んだ。「東洋美術史入門」の授業で、教授が、掛け軸の絵の説明をしているとき、日本人が、毛筆で字を書くことは、どんな影響を与えていると思うか?」と問うた。

ポカンとする私たちを前に、「日本には、今でも、小学校から、書道という授業がある。子供の頃から、墨をすり、墨汁をふくませた筆で、字を書くことで、心を落ち着かせ、集中する。精神修養の一つとして、書になじんでいるのである。書は、書道といい、教育の一環なのであーる。」のたまわったことは、良く覚えている。

ヨーロッパでも、その人の筆跡の特徴、個別化されるが、日本でいうところの書道(Caligraphy) はない。書のひとつの文字のハネや、かすれにまで、心動かされるのは、私たちが、漢字と、ひらがなを使う日本人で、書道に、触れて育ってきたからに他ならない。現代っ子より、書になじみのある中高年の世代に、相田みつをが支持されるのも、納得のいくことだ。彼の作品を、毛筆で書き写すことが、ファンの間では、浸透しているらしい。

日中友好条約の調印のドキュメンタリーで、双方の首相が、筆で、サインをしていたのを見て、「うーん、なるほど、私たちは、毛筆の国の人たちなのね」と感慨を持ったものだ。万年筆で、しゃっとサインするのとは違う重みがある。

さて、美術館のお土産コーナーで、作品のポストカードを買った。今の自分のフィーリングで、直感的に選んだ。活字にすると、雰囲気が伝わらない。ポストカードを並べて、写真に撮ってみました。