ショップ ダンケ

ドイツ雑貨「ショップ ダンケ」のオフィシャル・ブログ

ひと区切り

2005-05-28 00:00:00 | ショップ ダンケ

神戸の美術館展が終わりを迎え、東京の美術館展への準備に追われていたので、2週間以上、HPの手を入れることがだきなかったが、やっとひと区切りがついた。

自分が、コレと思った商品が売れると、やったね!と心の中で快哉する。美術館に来られるお客様が、手にとられる売れ筋商品というのをつかめたし、自分がセレクトした商品に自信を持てた。

「ショップ・ダンケ」には、実はまだそれらの商品をアップできていないのだが、久々ぶりに新商品のカテゴリーをアップさせた。「マット」と「ペット」だ。
ペットをしつけるのが実にうまいドイツ人は、ペット・グッズも充実している。犬の首輪など、首のあたるところに、二重に縫製してあったりして丁寧だ。

今にして思えば、ウン年前に、ヨーロッパで買い物をする日本人のお客様をアテンドしていたころに、いいなと思っていた北欧やイタリアのものが、脚光を浴びるのは、やっぱりねと思う。しかし原則的には、自分がよく知っている「ドイツ雑貨」にこだわりたい。ドイツ製品に、安かろう悪かろうはない。日本と同じ程度の生活レベルの国だし、1ユーロが、¥140近い現在では、仕入れはきつい。

まとまった数なら、フランクフルトの見本市で面識のできた相手から、仕入れるのがベスト。大手がコンタクトのない中小企業を見つけている。こちらが注文しているのだから当然だが、即、返答があるのは、安心できる。

文法的なミスは、あれこれやらかしていると思うドイツ語のビジネスレターを送信しているが、クレームがあるときは、しっかり言う。ビジネスのやりとりなんだから、お互い言いたいことは、はっきりしている。ドイツからの直輸入であるので、返品は面倒なことになるし、先払いが原則なので、こちらの発注は、慎重を期する。度重なるメールとファックスの往復に忙殺された。私は、東京の展覧会に賭けているのだ。

「ショップ・ダンケ」の商品ラインは見えてきたし、「カッチイのドイツ旅行案内」でも書いていきたいことは一杯あるのだが、いつも問題は時間がないことだ。自分の能力や体力には限界があるし、ひとりでやれることなんて、どんなに転がったところでしれている。ただ、自分に決定権があるのは、SOHOの醍醐味だと思う。

舞い上がっていませんとも。地道に、自分にできることを、こつこつやっていきます。週末は、ぐっすり寝たなあ。


5月8日

2005-05-11 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

先週の金曜日、雨に降られて、風邪をひいた。熱はないし、食欲もあるが、味は、ほとんどわからない。こういうとき、大好きなコーヒーを受け付けなくなる。うちのショップのハーブティに、はちみつを入れてガブガブ飲みながら、新聞を読んだ。

1945年5月8日は、ドイツが、連合国軍に、無条件降伏した日なので、8日前後は、そのニュースが、国際面に出たね。「ドイツAkutuell」にもその関連のニュースをリンクしておいた。ドイツと日本は、同じように敗戦国となり、戦後復興して、経済大国となった似たような歴史を持つと言われるが、似て非なる部分のほうが多いと思う。

ナチスによる大量虐殺を実行したという事実に、ドイツは謝罪の道を選ぶしかなかった。ひきかえ、日本は、過去の植民地支配と侵略に「痛切な反省」と「心からのおわび」という美辞麗句に飾られた中途半端な態度に終始してきたから、中国を初めとする周辺諸国から、ドイツを引き合いにして、ドイツは真摯に反省しているののに、日本は、反省が足りないという主張に出られる。

ドイツに暮らしていたとき、アジア人同士で固まる傾向があって、私もタイや台湾の女の子と親しくしていたが、いざ戦争の話題になると、びしっと日本の侵略に対し激しい意見に合い、おろおろしたものだ。戦争に直接加担しなかった私たちの世代も、日本の外に出たら、きちんと日本が、歴史に向き合わなかったツケに対面することがある。

平和教育に携わる人たちは、ドイツをお手本にして、自国批判の立場にたち「平和論」を展開する人も多いが、ドイツは、反省一辺倒に終始してきたわけでない。ドイツは、NATOの枠内で、再軍備にふみきり積極的に、アメリカとの関係を築いた。ドイツの歴史の授業で、アデナウワーの果たした役割が、非常に大きかったことを教えられた。ドイツは、徴兵制度を敷き、ドイツ基本法も何度も改正している。そしてEUを発展させてきた。ヨーロッパでのドイツの地位を模索しながら、リーダーシップを取ってきた。要するにしたたかなのだ。

ヨーロッパの真ん中にあって、自国に、自国民以外の人が住むのが当たり前になっている状況に、人々が慣れ、受け入れているというのは、日本の比ではない。
なんと言っても地続きで隣国なのだ。日本が島国であるという地理的状況は、よくもわるくも日本人を鈍感にさせてきたように思う。


Blog(ブログ)

2005-05-05 00:00:00 | ショップ ダンケ

が、大流行だよね。

ブログは、ホームページを作るよりカンタンで、記事を時系列にアップしていけるという手ごろさで、一気に普及してきた。実は、今までブログには、否定的でした。

管理人を直接でも知らない限りは、その人の日常のゴタクには、つきあいかねるかななんて思ってたし、カテゴリー分けはしてあるが、このブログが、何を伝えようとしているかは、一目瞭然というわけにはいかず、時系列に、けっこう丹念に読み込んでいかないといけない。

HPを持っていれば、ブログの必要はないと思っていたのだが、カッチイの旅行案内に紹介している老舗個人サイトの管理人は、続々、ブログをHPのなかに組み込んでいるんだよね。

最近、自分のサイトの日記と掲示板の扱いを考えると、ブログ導入をしたほうがいいのかと思う。

「カッチイの日記」は、一回にアップできるのが1000字だ。書き始めると、長くなる傾向があって、普通それに納まる字数いっぱいまで書く。しかしマイアイドルについて語ったりのような興がのってくると(笑)、何回かに分けてアップすることもある。アップした順に、記事が下がるから、見てくれるひとには、見やすいとはいえない。
長くなるものに関しては、「雑記帳」に入れたほうがいいかもしれないと思う。

うちの「掲示板」は、書き込む方も、返信するカッチイも、通常より、文章が長いようだ。だから、書き込みやすい印象を与えていないかもしれない。ドイツ以外のことで何でもと言われても、躊躇もあるだろう。

日記形式で書いていく記事に、コメントがつけられるブログだと、発信者と受け手の相互コミニュケーションも取れるし、どのような記事に関心を持ってもらえるかリアクションもつかみやすい。

コメントとトラックバックの機能の活用で、アクセスアップにもつながるしね。
「ブログ・ランキング」というのもよく目にする。何の話題に、みんなが食いついているのか、分析する材料にもなる。

しかしながら、ブログは、継続的な更新性が、必要事項だ。毎日更新していくようなネタと根気が続かないと思う。ネットにしがみついている時間を今以上取るのも、きついしなあ。
ゆえにまだ導入には、二の足、サンの足くらい踏んでいる。

でも、下記のようなサイトを、ちょこっと見ている。
「初心者の為のブログマニュアル-ブログをとことん調べます」
http://hammer.livedoor.biz/


脱線事故後、1週間

2005-05-02 00:00:00 | カッチイ’s ジャーナル

GWに突入したが、今日で、ちょうどJR脱線事故から1週間だ。連日、関西ではずっと報道されている。運転手やパイロットといった仕事は、安全を預かる仕事だから、勤務中、気を抜けない性質の仕事だ。カッチイには、こういう仕事の適性はないな。ホラふきの営業マンタイプ?だから(笑)

安全に運転をして、定刻に到着するのが、当然だから、仕事の評価は、ミスを犯した際の減点主義でいくのはある程度理解できるにせよ、現在報道で伝えられる限り、JRの懲罰主義は、陰湿なようだ。乗務員手当てのカット」「反省リポートや就業規則の書き写し」「次もし同じようなことをしたら、運転手を辞めるなどの決意書を提出」、さらには「草むしり」まであるという。

これらの責任の追及ばかりの教育が、次なる事故を防ぐのにどれだけ役にたつのだろうか。運転手の若さ、技量不足を問題にする声は大きい。彼を運転手として採用したJRの責任を問う声もあるが、ひとりの人の職業の適性を、見極めるのは、そんなに簡単なことでない。ただ彼は、オーバーランの遅れを取り戻そうと必死だったに違いない。平常心を失ったのだろう。

運転手として、パニックに陥ることほど危険なことはない。オーバーランの距離を短くするための相談が、車掌としたとされるが、そのときの二人のやりとりに、興味を持っている。もっと詳しいことを知りたいと思う。ミスを犯したとき、落ち着きを取り戻し、回復することをバックアップするシステムが機能していたのだろうか?そのことが安全のために、何より大切であると思うから。

列車利用者としては、駆け込み乗車は、もう絶対やめようと思ったね。
乗り遅れちゃと必死に走って、車掌さんを、ひやひやさせることが、ダイヤを遅らせる一因にもなるのだし、そんなにあせって何ほどのことなのか。

何か、車内で、普段と違うことが起こったら、不安になるが、それに対するアナウンスがきちんとあれば、こちらも安心する。安全確保のための点検のためだと言われれば、文句言わずに待つくらいの、度量は、関西人のイラチにも必要だよね。

昔から、多くの少年があこがれる職業のひとつが、バスであれ汽車であれ飛行機であれ、「運転」する仕事である。人命を預かり、走行中の安全を確保する仕事が、
責任が重いだけに、誇りとできるようなシステムを、JR西日本は、確立することが求められている。