
気温が乱高下する今年の春。
当日は、3月下旬だというのに冬に戻ったかのような肌寒さ。
今回は、懇親会を兼ねた「ストロベリー企画」にふさわしく(?)、女子会
となりました。
産地交流部会では、2年前のあの震災直前の日曜日、奇しくも山元町のいちご農家さんを訪ねていたのでした。
いちごに対する熱い想いを語っていただいたわずか5日後、自慢のハウスは流され、美しいいちご達はすべて泥にまみれてしまったのです。
いろいろな想いを胸に、2台の車に分乗し一路山元町へ。
いちごの立て看板のかわいいご案内で、『夢いちごの郷』農園さんへ。
ハウスに入ると、いちごの香りに包まれテンションがあがります
。
広ーいハウス。
受付をしたら、さあ30分間いちご食べ放題
「うーん、甘い」「甘い株があるんじゃない?」「見て、この艶っぷり
」
はしゃぎながら、心おきなく完熟いちご
をいただきます。
品種は、食味の安定した“とちおとめ”。
大満足で幸せな30分でした。
その後、『夢いちごの郷生産組合』組合長の菅野さんからお話を伺います。
あの震災の日、菅野さんは選果場にいました。
当時の様子を、生々しく語ってくださいました。
幸い、菅野さんの四世代8人のご家族は皆さんご無事でしたが、一瞬にして大切なハウスが流され、すべてを失ってしまいました。
膨大ながれきの撤去のため自衛隊の重機が入り、その後のべ1,000人のボランティアの方々が手作業で片付けに奮闘して下さいました。
そんな中、菅野さんは自分にはいちご作りしかない、一年でも休めば気持ちが切れてしまうと、すぐ行動を起こしたのです。
つてをたよりに苗を手に入れ角田に代替地を見つけて定植し、蔵王にハウスも作りました。
そんな菅野さんを、文字通り北は北海道から南は沖縄まで、たくさんのボランティアの方々が全国から手弁当で駆けつけて、力になってくれたのです。
いちご栽培を学びに来ていた関係で交流のあった、ミャンマーからも・・・。
「気持ちが折れそうなとき、力づけ、背中を押してくれたのは、そういう人々の応援でした。」
菅野さんのことばに、胸に温かい感動が広がりました。
そして、行政の支援も決まり、昨年にはいちご団地も着工・完成し、11月に初出荷することができました。
いましがたたくさん食べた甘くておいしいいちごたちは、多くの人たちの力で実ったんですね。
いちごの後は、山元町の春の定番「ほっき飯」を目指して、除塩作業の続く田園地帯を走ります。
和風れすと「海仙」さんで、お約束のほっき飯。
ふっくらぷりぷりです。
ゆっくり大満足のお昼ごはんのあとは、オープンしたての産直市場でお買い物。
お茶もいただきました。
今年度最後の行事となった、今回の「ストロベリー企画」。
報道等で見たり聞いたりはしているものの、産地交流部会は県内の被災された産地に実際におじゃましてお話を聞きし、応援していきたいと強く思ったのでした。