joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

ガヤガヤ

2005年04月29日 | 店舗を観察して
ついにコンポを買う。

きのう三ノ宮(神戸の中心)に出たついでに家電屋さんによってみた。前にも言ったように、三ノ宮には家電屋が少ない。星電社とベスト電器というふたつくらい。

最初ベスト電器に行くと、ここでは1万円以上の品から5年保証がついてくる。それこそ僕の求めていたことなので嬉しくなった。で、肝心の商品を見ているとあるコンポが気になったけど色がイマイチで、「もうこれ1台しかないんですよ」という店員さんの説明なので星電社に行くことにしました。

ところでベスト電器は三ノ宮のダイエーのビルにあるのだけど、なんだか店内がくすんでいるように暗い。活気が感じられないのです。立地も中心的な商店街から少し離れているのに店内まで暗いことで、とても損しているんじゃないだろうか。

そう思ったのは星電社に行ったときにお店がパッと明るく、また売り場面積が実はあまり広くないので人と商品がひしめいているので活気があるように感じたからです。

船井幸雄さんによると、お店の売り上げを上げるには、

・ 売り場面積を半分にして、そこに商品を押し込めること。
・ 売り上げの高い商品と低い商品を調べ、後者を切って前者を集中的に並べること。
・ これを何度か繰り返すこと。

だそうです(他にもあったと思うけど)(船井幸雄著『経営のコツ―99.9%成功する』より)。

その理由を書いてなかったけど、とにかく商品と人で「ごったかえす」というイメージを演出することはきっと大事なことなんでしょう。マツモトキヨシなんてそんな感じだ。

今回のコンポ・ラジカセ選びでは郊外の家電屋も回ってみたけど、中には適当に既存の建物を借りてただ商品を整然と並べただけの店もあった。そのお店も店内が何かくすんで見えた。そういう店はこころなしか人が少ない。まぁ、その店もできて何年か経つので利益を上げているのかもしれないけど。

商品にもよるけど、目の前に商品しか見えないというくらい、場所を狭く感じさせるのは小売で重要なことなのかな。そのお店に入ったとたん、何十メートル先も見渡せるのは、とくに家電屋さんにとってはよくないのかもしれない。


涼風


読まなくてもワクワク 買わなくてもワクワク

2004年12月09日 | 店舗を観察して
今日、神戸の三ノ宮のセンター街にあるジュンク堂で本を買いました。

時間帯が夕方だったので、レジにも人が並んでいます。元々いつも盛況な店なので、なおさらレジ前は混雑しています。

図書券と追加のお金を払うと、小銭のお釣りが来ました。わたしは本をかばんに入れながら、同時に小銭を財布に入れなければなりません。わたしはたった今書籍を買ったお客です。だから、お店の売り上げに貢献したはず。もっと丁寧に扱われてもいいはず、と単純に発想します。

しかし、ここのジュンク堂は、後にも人が並んでいるので、「早くどいてよ」という無言のプレッシャーを(こっちが勝手に)感じてしまいます。かばんを片手に持ち、それに本を入れながら、同時に小銭を財布に入れる。それをすばやくしなければ、という心の焦りにおそわれます。わたしがすべての動作を終える前に、店員さんはつぎのお客さんの対応に忙しいのか、わたしの前から消えていきました。


ジュンク堂はJR神戸線の多くの駅で店を出しています。少なくとも、神戸一帯では彼らは成功しているような雰囲気です。実際、店内は広くて白い明るさが行き届いていて、清潔な木目の本棚が並び、雰囲気はどの店もとてもいい。私の家から歩いて行ける舞子店などは、何メートルにも広がるガラス窓一面から明石海峡大橋と海を見渡すことができ、天気のいいときなどはリゾート気分の書店になります。

本の品揃えも、ちょうど注目を集めている本を外さずに、三ノ宮店のよう中心的な店などは硬いものから柔らかいものまでバランスよく揃えていながら、舞子店や明石店などの中規模店では装丁や内容が明るい雰囲気の本を目につくように配置している気がします。そのためか、なんだか癒されるような印象があります。きっと、消費者の目には届かない細かい目配りがもっとされているのでしょう。

それだけ神経を使って店作りをしているのに、なぜか僕とここの店員さんとは相性がよくないことがある。アルバイト店員が多いからなのか、たまにとても不愉快な思いをしたこともあります。

また、女性の店員さんがおおいのだけど、彼女たち正社員風の人たちは、すこし疲れた顔をしながら、本をどう置くかに必死で、あまりお客さんとのコミュニケーションにはそれほど気を使っているようには見えない。もちろん、失礼な態度を彼女たちが取っているわけではないし、質問するとちゃんと丁寧に答えてくれるのだけど。

ジュンク堂のHPでは、現社員の方が、「本屋の仕事というのは結構孤独なもので、接客をしながらもお客様の心に触れることは稀です」とおっしゃっています。店員さんの立場ではそう感じられるのかもしれません。

でも、喫茶店ではレジ前しか店員さんと接触しない店が増えているけど、本屋さんでは、とくに大きな本屋さんでは、地味な本を探しに来ることもあるので、お客は店員さんが頼りなのだ。そんなとき、ないかもしれない本を質問するのだから、こちらは心細い。表面上はクールに装っていても、店員さんに対してびくびくしながら質問しているのです。

だから、むりやりな笑顔を作るのはしんどいだろうけど、お客さんの不安な気持ちをほどいてくれる対応をしてくれると、とてもうれしい。とくに、本屋は街の中にあり、街というのはお互いが知らない顔同士の人であふれかえっているのだから、よけいに心細くなっているので、人にやさしくして欲しいという気もちもあります。まあ、こちらの一方的なわがままなんですけどね。

でも、お店の内装には神経をとても使っているように見えるのに、なぜか店員さんの対応には会社として全然気を使っていない感じがして、そのアンバランスさが目立つ感じがします。これは、苦情ではなく、どうしても目についてしまうこと、という感じです。

実際、神戸近辺のジュンク堂のお店の雰囲気はいいと思う。東京駅にある八重洲ブックセンターや新宿のアルタ近くの紀伊国屋のような超有名店とかよりもよっぽどいいと思うのだけど。


東京にいたときに僕が好きだった本屋さんは、恵比寿駅のアトレにある有隣堂でした。 べつに品揃えがいいわけじゃないけど、なんだかお店の雰囲気がウキウキさせるようなおしゃれな感じがして、近くに来ると(そこでは本を買わないのに)よく立ち読みしました。

多くの芸術ファンの要望で閉店が取りやめになったことで有名な青山ブックセンターも、たしかに楽しいお店ですね。でも、置いてあるファッション雑誌にしても、普通の書籍にしても、ぼくにはちょっとあまりにも洗練されすぎている印象もあったかな。趣味がよすぎるというか。でも、残ってくれたのはうれしいです。


本屋さんの店員さんは、概してぶっきらぼうな感じがする。そこが変わってくれると、もっと楽しい場所になるのだけど。


涼風

てかてか光る

2004年11月30日 | 店舗を観察して
きょう、レンタルしたビデオを返しに近くのビデオ屋さんに行きました。神戸線朝霧駅近くにあります。

このレンタルショップは、TSUTAYAほど全国的ではないけど、関西にポツ・ポツと店を出しているチェーン店です。

そういえば、先週この店に行ったときに、矢野顕子のCDがどこにあるかたずねたら、体の大きい男性の店員さんが一生懸命に探してくれた。こっちは借りるとも決めていないのに、なんだか申し訳なかった(結局、矢野顕子は一枚しか置いてありませんでした)。


レンタルショップは、もう、こういうそこそこ大きなチェーン店だけが生き残ってきた感じですね。僕が小学生・中学生のころにビデオ・レンタルは始まったけど、そのときは雨後の竹の子のように小さな店があちこちで出没していました。でも、最近はある程度大きなフロアを構えた店だけが残っている。選択肢が多い店にお客が行くのは自然なので、予想できたことなのでしょう。


僕自身はこういうレンタルショップの存在はとてもありがたいです。

ただ、レンタルビデオのお店に入ると、なぜか物悲しい気分になるときが多い。それは、コンビニに入ったときの小さな虚しさに似ています。どちらも、それらのお店に入ったことをすぐに忘れようとします。

ビデオ屋もコンビニも、とてもプラスチックな、安っぽい感じがする。置いてあるモノも、お店の雰囲気も。壁も廊下も、妙にテカテカして、汚く光っている感じです。

そしてあの音楽。いかにも「今流行り」という若い人向けの音楽なのだけど、コンビニやレンタルショップで聞くと、すごい刹那的に聞こえてしまう。これは、僕の趣向性にその音楽たちが合わないことと、そのお店のプラスチックな雰囲気が相乗しているのだと思う。


レンタルショップがなぜ虚無感を呼ぶのだろう。それは、お店の中にあるものが手軽な娯楽たちにあふれていて、しかもその娯楽たちが少しのお金で手に入れることができるからだと思う。少しのお金で無限に欲望を満たすことができる、少なくともそういう幻想を消費者に与えるからかもしれない。

これは、ゲームショップでも同じなのかもしれない。

ゲームにしても映画にしても、それは楽しい娯楽だけど、人生の変わりになってくれるわけではない。現実逃避的な手軽な娯楽という側面があります。その逃避の手段を無限に用意してくれている、レンタルショップとはそういう存在です。

そこが、何か虚しさを呼び起こす原因かもしれない。

レンタルに行くと、若い夫婦とその小さな子どもがたくさんいます。その光景は、あまり見ていて気持ちいいものじゃありません。なんだか、家族そろって、ささやかな娯楽に逃げている、そんな光景に見えてしまうのです。あまり収入が多いように見えない家族だと(若い夫婦だからそうであって当たり前だし、また実際は全然違うかもしれないけど)、余計に見ていて虚しい社会の風景に感じます。

海岸で子どもと遊ぶ親子は見ていて飽きないのに、なぜだろう。

やさしさがほしい

2004年11月12日 | 店舗を観察して
きょう、JR明石駅のスターバックスに入り、カフェ・アメリカーノを飲みました。

中谷彰宏さんが、「世の中に同じコンビニはない。店長次第で同じチェーン店でも中身が変わる」と言っていたけれど、これはあらゆるチェーン店にあてはまるんでしょうね。同じスタバやドトールでも、店長やその地域のマネージャーが違うと雰囲気はきっと違ってくる。

同じスタバでも、JR神戸線の某駅ちかくの店舗に入ったとき、店員さんの対応がとても不親切に感じて嫌な思いをしたことがあります。

明石駅のスタバは、店員さんがfriendlyだし、必ずしも広い店内じゃないのになぜかゆったりしたスペース感があるし、壁ガラスから光も入るし、大抵いい気分で店を後にできます。

スタバとドトールを比べると、スタバの店員さんの方が対応が自然な感じがします。それだけマニュアルに縛られてないのかな。ドトールの店員さんはマニュアル通りに規則的に話している感じ。だから、店によっては、スタバの店員さんはとても愛想よく感じてこちらも気持ちよくなります。ドトールの方が機械的に感じることがあるかな。

マニュアル通りに愛想よくされても、こちらは嫌な気持ちはしないけれど、とりたてて感動することもないように思います。僕がマクドナルドに愛着をもてないのはそのためなのだろうな。


そうではなくて、自然に優しくされると、コーヒー店に入っただけでとてもうれしくなります。

そうするための一つの条件は、きっと、店員さんたちが仲良く楽しく働けるかどうかなんでしょうね。それも、内向きに仲良くなるのではなく、たのしくみんなでお客さんをもてなそう!という外向きの明るさ。

それが一番難しいんでしょうね。人間と人間の関係が関わることだから。だからこそ、いいお店は消費者にとって貴重で大切なものになります。

わかっちゃいるのだろうけど

2004年11月11日 | 店舗を観察して
神戸の中心、三ノ宮のセンター街を歩いていると、必ず、いくつかの店では、店頭に店員さんが立って「お客に来て欲しいよ~~~」というエネルギーを放出しています。

そういうときの店員さんの顔は、かっこよくもきれいでもありません。店頭に出ているのに、なぜか仏頂面で、とても人に対して愛想よくは感じません。

そんな風景を見ると、べつにその店にほんとは嫌なところがなくても、なにかその店には欠陥があるんじゃないかとこっちは思ってしまいます。もちろん、そういうお店にはお客さんはいません。


とてもかわいそうだと感じます。きっと、とても苦しいのだろうな。本人たちはやっと神戸のセンター街の中心に店を構えたのだから、そこに至るまでにもいろいろあったのかもしれない。そして、やっと店を出したのに・・・

苦しいのは想像できるけど、何もせずに店の前に立っちゃダメだよ。ますますお客がよりつかなくなるよ。

人は、お客さんがたくさんいるにぎやかな店に入りたがる。にぎやかだと、「何かあるか見なきゃ」とこっちも思うのでつられて入る。

人は、お客さんが少ない静かな店に入る。だって、一人でほっと落ち着ける空間は、街にはとても少ないから。とくに三ノ宮のようなガヤガヤしたところは。

人は、多くの人が行くところに自分だけは乗り遅れたくない。同時に人は、一人でそっとしておいて欲しい。

店の前に立っちゃダメだよ。多くの人がいるわけでもないし、そっと一人にしてくれそうな雰囲気もないから。

ダイエーについて

2004年10月14日 | 店舗を観察して
御存知のように、ダイエーが産業再生機構に自社の再建を委ねるそうです。なんだかテレビのニュースの扱いを見ていると、ダイエーが倒産でもしたかのような悲壮感が漂っているのですが、「再生」機構なんだから、もっとポジティヴな報道をしてもいいとも思います。

僕自身の個人的な消費者感覚からすると、今のダイエーに足を踏み入れると、なんだか物悲しい気がする。これは、うちの近くの地方店だけじゃなく、例えば神戸の中心地のダイエーに入ってもそんな感じがします。たとえ人がある程度入っていても。

なぜなのだろう。なんだか、今のダイエーは、まず廊下がとても安っぽい感じがする。適当に汚れている白色という感じで、他に壁もただ薄いコンクリートがあるだけという感じで、建物にワクワク感がないのです。

これは単に経費の問題なのだろうか。たとえば、一頃ほどではないとしても、ユニクロの店には活気がある(or戻ってきた)。でもユニクロの商品は安いし、ユニクロの建物も取り立てて豪華な内装がされているわけではない。

そこには一つのテーマを打ち出しているから、「今自分はユニクロの価値観(安いけど、清潔でシック)を共有しているのだ」という気分にお客はなれるのだと思います。ユニクロの店に入るお客は、「神様」というより、お金を出して、「ユニクロ」という一つのストーリーに出演・参加しているのかもしれません。

これはユニクロだけじゃなく、スターバックスやHMV、amazon、なんかにも共通しているように思います。そのお店が打ち出す価値観、ライススタイルに参加することに、お客自身がワクワクしている。

関西ではあまり見かけないけど、小売ではマツモトキヨシなんかもそうなのかもしれませんね。

それに対してダイエーはどんなストーリを出してくれていただろう。昔はともかく、最近のダイエーはだだっぴろい建物に整然と商品が置かれていただけで、その整然さが逆に退屈感をもたらしていました。

たしかに安いものも置いているけど、なんだかただ商品を置いているだけ、っていう感じで、足を踏み入れても全然ワクワクしない。まあ、主婦層の人はもっとべつのことを感じているかもしれないし、うちの近所のダイエーはそこそこ繁盛しているみたいだけど

(ソース)