CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

五年目の三月。。。

2016-03-02 15:38:02 | 被災地のこと(記録と記憶)


今年の梅は、長い時間、楽しませてくれている。
その分・・・香りが今一つな気もしないでもないが・・・きれいに咲いている。

福島県三春は、三つの春が同時にやってくるという・・・
梅、桃、桜・・・見事な春の訪れである。

5年前・・・三春町の体育館で子どもたちと遊んだ時間が懐かしい。
あの時、就学前だった、そら君は、今はもう高学年のお兄ちゃん。
どんなふうに成長しているのかしら・・・
もらった、スナック菓子が私の部屋にはそのままある。
広い体育館にダンボールで仕切られたスペース・・・
そこで暮らすそら君、自分のお菓子を私にくれた。
そしておもちゃなどない中で、二人でガムテープを転がしてあそんだっけ。
小学生たちが帰ってくるのを待ちながら・・・コロコロ、転がして、笑い転げながら。。。

私の一人芝居をみんなに楽しんでもらって・・・

あの日が私の被災地めぐりのスタートだった。
震災から一か月過ぎた4月の終わり・・・三春町から私の避難所訪問が始まった。

三春町の春は、まだ少し先になることだろう。
梅の花を見上げながら・・・東北を想った。

そう5年前の3月11日。
私は午前中、我が家の前の公園でふきのとうの写真をとっていたっけ・・・

発声練習をしているときに、その揺れは東京までやってきた。
駐車場の車がはねていた・・・
近所中外に出て、お互いの無事を確認した。

何が起こったか・・・どこで何が起こっているのか・・・
津波の映像をみながら、現実のこととは思えないまま、茫然としていた。

娘が帰ってこない・・・いわゆる帰宅困難者となった娘は、道を歩いていた。
ただ、ひたすらに歩いていた、5年前の3月。
そんな遠いはずではない。
もう五年・・・まだ、五年・・・

翌日の報道で「海岸にはおびただしい数の遺体が・・・」との言葉に私の思考はとまった。

『おびただしい』あまり使わない日本語だ。
『おびただしい』その言葉が、耳の中でなんども響いていた。

五年目の春・・・

非被災者の私たちは、何をすればいいのだろう、何ができるのだろう。

だんだん、見えなくなってきている。
報道から見えてくるもの、そこに映し出されないもの、見えないもの・・・が、気になってしまう。

五年目の三月・・・

今、青い空を見上げながら、東北を想う。

そうだ、家の前の公園のふきのとう・・・ちょっと見てくることにします。

あの時逢った人たちのところに、歌を届ける術はないものかしら・・・
毎日、考えているけど、その方法が思いつかないでいる五年目の三月であります。

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