今年の梅は、長い時間、楽しませてくれている。
その分・・・香りが今一つな気もしないでもないが・・・きれいに咲いている。
福島県三春は、三つの春が同時にやってくるという・・・
梅、桃、桜・・・見事な春の訪れである。
5年前・・・三春町の体育館で子どもたちと遊んだ時間が懐かしい。
あの時、就学前だった、そら君は、今はもう高学年のお兄ちゃん。
どんなふうに成長しているのかしら・・・
もらった、スナック菓子が私の部屋にはそのままある。
広い体育館にダンボールで仕切られたスペース・・・
そこで暮らすそら君、自分のお菓子を私にくれた。
そしておもちゃなどない中で、二人でガムテープを転がしてあそんだっけ。
小学生たちが帰ってくるのを待ちながら・・・コロコロ、転がして、笑い転げながら。。。
私の一人芝居をみんなに楽しんでもらって・・・
あの日が私の被災地めぐりのスタートだった。
震災から一か月過ぎた4月の終わり・・・三春町から私の避難所訪問が始まった。
三春町の春は、まだ少し先になることだろう。
梅の花を見上げながら・・・東北を想った。
そう5年前の3月11日。
私は午前中、我が家の前の公園でふきのとうの写真をとっていたっけ・・・
発声練習をしているときに、その揺れは東京までやってきた。
駐車場の車がはねていた・・・
近所中外に出て、お互いの無事を確認した。
何が起こったか・・・どこで何が起こっているのか・・・
津波の映像をみながら、現実のこととは思えないまま、茫然としていた。
娘が帰ってこない・・・いわゆる帰宅困難者となった娘は、道を歩いていた。
ただ、ひたすらに歩いていた、5年前の3月。
そんな遠いはずではない。
もう五年・・・まだ、五年・・・
翌日の報道で「海岸にはおびただしい数の遺体が・・・」との言葉に私の思考はとまった。
『おびただしい』あまり使わない日本語だ。
『おびただしい』その言葉が、耳の中でなんども響いていた。
五年目の春・・・
非被災者の私たちは、何をすればいいのだろう、何ができるのだろう。
だんだん、見えなくなってきている。
報道から見えてくるもの、そこに映し出されないもの、見えないもの・・・が、気になってしまう。
五年目の三月・・・
今、青い空を見上げながら、東北を想う。
そうだ、家の前の公園のふきのとう・・・ちょっと見てくることにします。
あの時逢った人たちのところに、歌を届ける術はないものかしら・・・
毎日、考えているけど、その方法が思いつかないでいる五年目の三月であります。
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