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文字を読んで眼が疲れない、記憶力、平衡感覚の維持のために

字源解釈と記憶補助

2008-10-07 22:36:34 | 文字を読む

 「件」は音読みでは「ケン」、訓読みでは「くだん」ですが、文字の形が「人」と「牛」でできているので、なぜこのよう漢字が作られたか不思議に思われます。
 「件」という字は「ものや事柄をかぞえることば」で、訓読みの「くだん」は文書などでは「前述した事柄」の意味です。
 それではなぜ「人」と「牛」と書くのかというと、漢和辞典を引くと「物の代表としての牛と、牛を引く人」などとあってなんだか要領を得ません。
 そのせいかどうか、「くだん」は「顔が人間で体が牛の化け物で、人語を解し流行病や戦争など重要なことを予言し、いうことが常に当たっている」ので、「よって件の如し」という風に使われる。
 というような説が九州や中国地方で広まっていたそうです。
 
 「くだん」という言葉自体はこのような説が現れるより数百年前からありますから、この説は後から考えられたもので、漢字遊びの一種でしょう。
 「人」と「牛」から、人面獣身(人面牛身)と考えてしまうところがユニークな解釈で、普通なら顔が牛で体が人と考えそうなものです。
 顔が牛で体が人だと、地獄の獄卒で牛頭、馬頭というのが昔からあるため、それとは違うということで体が牛で、顔が人という怪物を考え付いたのかもしれません。
 この漢字そのものは中国で生まれたものですから、中国でそのような怪物が考えられていたかというとそういうことはありません。
 そのうえ「くだん」は訓読みですから、人面牛身というのは、日本で創作した落語的字源解釈のようですが、案外まじめに受け取る人もいるようですから面白いものです。

 人と動物を組み合わせた漢字というのは「件」だけではなく、漢和辞典で調べれば「伏、佯、偽、像、、他」などがあります。
 これらを「件」の「人面獣身」式で解釈すれば、「伏」の場合は体が犬で顔が人といくところですが、里美八犬伝の伏姫は犬の精を受けて八犬士を生むというので別として、「佯」は「いつわる」という名前の体が羊で、顔が人間のうそばかりいう怪物だということになります。
 「偽」は旧字体が「僞」で「爲」は鼻の長い「象」の象形文字だということですから、これも体が象で顔が人の、うそばかり言う怪物だということになります。
 ところが「人」と「象」でできた「像」はどうなるかというと、これは「姿かたち」とか「形が似ている」という意味です。
 「像人」といったからといって象のような人間という意味ではなく、「人に似ている」という意味です。
 「」は体が虎で顔が人ではなく、またタイガーマスクでもなく、「チ」と読むときはどういうわけか「車輪」の意味で、「コ」と読むときは「虎」の意味です。
 「他」は「也」が「蛇あるいはさそり」で「人」+「蛇」というかたちですが、これも蛇人間の意味ではなく「ほか」という意味です。

 ようするに「人」と「動物」を組み合わせた漢字で、人と動物を肉体的に合体させた意味を表そうという発想は中国漢字にはないようです。
 「くだん」のような字源解釈は事実ではないのですが、それではこのような解釈が絶対だめなのかというと、そうとばかりはいえません。
 このような説明であれば、荒唐無稽ではあっても印象には残りますから、「件」が「くだん」とも読み、人偏に牛と書くということは強く記憶されます。
 「羊と為(ぞう)は「うそつき」だと覚えるとすぐに覚えて忘れにくいでしょう。
 漢字の字源解釈というのは多分に思いつきのようなものが多く、場当たり的で一貫性がないのですが、記憶補助ぐらいに考えればよいのかもしれません。
 


単語の構成要素と意味

2008-10-04 22:53:52 | 文字を読む
 英語の話者の場合、会話ができるのにアルファベットが読めなくなる失読症という症状があります。
 日本人の場合も脳に損傷を受けた患者が、ひらがなやカタカナが読めなくなることがあるのですが、かなは読めないのに漢字は読める場合があるといいます。
 このことから、漢字がマジカルな力を持っていると思ったり、あるいは日本人の脳が特殊であるように感じるかもしれません。
 しかし、これは初期のころの脳科学者が、漢字が文字であると同時に、単語であり一文字で意味を持っているということを考慮しないで、カナやアルファベットの一文字と同列に考えて比較してしまった結果です。

 失語症が発見された初期には、アルファベットやカナなどの表音文字がわからなくなるという例が目立ったのですが、その後研究が広がるにつれ、英語でも単語なら読めたりする例も発見されています。
 また漢字の場合でも、漢字一文字は読めても熟語になると読めないという例(たとえば花が読めても花弁となると読めないなど)がでてきています。

 たとえば漢字の「花」は単語としての構成要素に分解すると草冠に「化」で、草冠が意味の範囲を示し、「化」が「カ」という音声を示しています。
 したがって、「花」という字が読めても、もしこれらの要素をひとつずつ順に示せば、意味がわからないという可能性が高いのです。
 カナやアルファベットは一文字単位では意味がなく、文字列となったとき単語の音声を表し、その音声が示す単語の意味をあらわすということになります。
 したがって文字を十分に読み慣れていれば、文字綴りの形が単語の意味と結び付けられ、綴りを見れば意味が思い浮かぶようにもなります。
 アメリカで速読術のようなものが最初に作られたのも、読みなれれば単語を音声に変換しなくても、見るだけで瞬間的に意味が思い浮かべられるからです。

 アルファベットは音声を表すためのものであるといっても、それは文字を覚え始めのときのことで、何度も文字を読んでいれば、いちいち音声に直さなくても意味がわかるようになります。 
 また単語によっては耳で覚えるよりも先に、活字などの形で目で先に覚えるものもあります。
 英語の場合は特にギリシャ語とかラテン語、フランス語などから借り入れた単語が多く、普通の人には読み方がわからないものもありますから、文字と意味が直接結びついてしまっている場合もあります。

 日本語の場合はカナのほかに漢字を使っていて、意味の部分は漢字で書かれる場合が多くなっています。
 ところが漢字は基本的には中国のもので、外国語ですから読み違いが多発しても当然で、意味は漠然とわかっても間違った読みをしている場合があります。
 意味がわかる場合でも、熟語の場合などは全体として意味がわかっていながら、ここの漢字の意味になるとわからないという場合もあります。
 「会議」なら「会して議する」というように直解できても「銀行」「会社」「遊説」など、個々の漢字の意味を理解しないまま熟語全体として意味を理解している場合がかなりあります。
 こうした例では、単語を覚えるときも構成要素に注意を向けるとかえって記憶の負担が増すので、単語全体の意味を覚えたほうが手っ取り早いのです。
 


読書スピードと目の疲れやすさ

2008-10-02 22:52:25 | 文字を読む

 日本語は縦書きと横書きが並存していますが、これは日本特有の現象のようです。
 もともと縦書きであった中国でも現在は横書きになっているのですから、漢字を使うと縦書きでなければならないということではありません。
  ビジネス文書は数字が多く使われるので、横書きが便利なため、ほとんど横書きですが一般の書籍や新聞雑誌は縦書きがまだ主流です。
 新聞などは横書きにしたら売れなくなるので、縦書きでなければならないという人もいますが、中国では新聞が横書きになっているのですから、本当は日本の新聞が横書きであっても差支えがないのかもしれません。
 
 日本語は縦書きのほうが読みやすいか、横書きのほうが読みやすいかという場合、読む速度を比べることで判定しようとするのが一般的です。
 これまでに行われた研究では、小学生から大学生までを対象として、縦書き文と横書き文を読ませ、その読書スピードを比べることでどちらが読みやすいのかを判定しようとしています。
 普通に考えれば、目が横に二つついているので視野は横に広く、また視線の移動も横のほうがスムーズなので、横書きのほうが早く読めるのではないかと予想されます。
 しかし実際に読書スピードをはかってみると、小学生は縦書きのほうが速く、年齢が高くなるにつれ差が縮まり、大学生になると、あまり差がないという結果でした。

 これは字を教える国語の教科書が縦書きのため、縦書きに先に慣れているためで、大学生になれば横書きにも慣れてきているので、差があまり見られなくなっているものと考えられています。
 少なくとも、横書きのほうが生理的に読みやすく、その結果速く読めるというようなことではなく、慣れの問題が大きな要因になっているということのようです。
 もし、縦書きも横書きも、慣れれば読むスピードが換わらないなら、すべて横書にしてしまったほうが能率的です。
 縦書きから教えられているのに、慣れてくれば横書きの読書スピードも縦書きとほぼ同じというなら、最初から横書のみにしていれば、横書の読書スピードのほうが上回る可能性もあります。

 しかし読みやすさというのは読書スピードだけで決まるものではありません。
 どちらのほうが目が疲れないかという問題もあります。
 校正をする場合、横書のほうが疲れやすいという話がありますが、これは横書のほうが、少ししか目を動かさずに読むことができるためです。
 横書のほうが視野が広いので、目に入る文字数が多く、結果として焦点を固定した状態で読むことになり、目を少ししか動かさないで、固視に近い状態で読み、毛様態筋を緊張させやすいためだと考えられます。
 縦書きの場合は、上下に視線を動かすので、固視しなくなるのと、多くの文字を捉えようとすると、目を大きく開けるので、焦点距離が長くなるためです。

 図は縦書きの文章と横書の文章を、逆方向から書いたものと、180度回転させたものとを並べています。
 横書の場合は180度回転して逆さまにしても、文字の配列を逆にしても比較的に楽に読めます。
 縦書のほうは、逆方向からの読みに慣れていないということもありますが、たいていの人は、横書に比べ逆方法はとても読みにくいと思います。
 これは下のほうから読もうとすれば、上の方の文字が認識しにくくなり、視幅が狭くなって全体が読み取りにくくなるためです。
 横書の倍は行全体を見やすく、目をほとんど動かさないで読めますが、縦書の場合は目を動かさずには行全体を読み取りにくいのです。
 縦書の場合でも正常方向の文字並びの場合には気がつきにくいのですが、逆方向のならびになると、行全体がよく見えていないことに気がつくのです。
 読書スピードはともかく、ある程度長時間文章を読むときは縦書のほうが目は疲れにくいのです。