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図はイアン.ロバートソン「なぜ月曜日は頭が働かないか」にあるもの。
A図を見た場合、はじめはなんだろうかと思っていろいろ考えてみてもこれといった答えが出てこないでしょう。
濃い部分と薄い部分があるので、ある部分が何かの模様のように見えても、全体としての見え方につながらないと結局これだと納得する見え方にはなりません。
つぎにB図を見るとこれは一目で見て「サイ」だとわかります(ただし、サイを知っている人だけですが)。
これを見た後でA図を見ると最初はサイには見えなかったのに、サイの絵が見えてきます。
最初は見えなかったサイがB図を見ることで見えるようになったことについて、この本では「サイを見つけ出すという経験が脳を変える」つまり「神経細胞の結びつきがかわることによって、脳に新たに彫り込みがなされた」としています。
A図を見たときには意味のない点の集合にすぎなかった模様で、「対象を認知する役割を担う細胞はあまり反応していなかった」のが、B図を見て「見逃していた意味を見つけ出し活動を始めた」というのです。
つまり、経験によって神経組織の結びつきが変わるというのですが、このような現象からは別のことも考えられます。
まずA図は点の集まりでサイの絵だと見ることができるのですが、サイの図にしか見えないということでは必ずしもありません。
B図を見てサイだと思うのはサイを知っていて、サイのイメージをパターンとして記憶しているからサイだとわかるのです。
B図を見てサイのイメージパターンを思い出したために、こんどはA図を見てサイのイメージと結びつけることができたのです。
A図がB図とよく似ているために、つまりA図とBずが共通部分が多いためにB図から引き出されたサイのイメージが、A図を見ることによってもも引き出せるようになったのです。
サイを見たことがなく、サイの形をパターンとして記憶していなければB図を見ても、動物か何かの形だなと思う程度で、はっきりとしたパターンとして記憶には残りません。
そうすればあとからA図を見ても、B図で見えたものと同じ形だとは確信できなくなります。
B図は濃い点と薄い点、白い点の集まりですが、ひとつひとつの点に注目していっては大変に時間がかかるだけでなく、なんだかわけがわからなくなってしまいます。
近接する濃い点をつなげ、何らかのものの輪郭線と見るために、サイのイメージが記憶から呼び起こされるのです。
輪郭線を作る点以外の点、つまり図の大部分のを無視することによって、サイの絵だとわかるのです。
図が膨大な数の点から成り立っているから、視覚による情報処理がそれらのので点を一つ一つ処理するという膨大な作業だと考えるのは早計です。
記憶されているパターンにあわせて、他の要素を棄てる作業をしているのです。
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