創価学会のことをブログに記すようになり、そういえばあの人は今頃どうしているんだろうな~?とたまに思い出すことがあります。
私が高校生の頃、家庭訪問に来ていた女子部の人もその一人。
あれですかね、家庭訪問に来るのって女子部の部長さんって決まっているのかな?
度々言っていますが私はまっっっったく学会のことに興味がなかったもので、家庭訪問に来る人のことも名前すら覚えていないという有様でして、ましてや役職など存じ上げるわけもなく。
まあ、その頃家庭訪問に来ていた女性がいたわけです。20代前半でしょうかね。大人しそうで、割とキレイな方だったので余計なお世話ですが「もったいないな~」と思っていました。
で、何回来てもらっても私が靡かないのは分かっているはずなのに、それでも月に2~3回くらいは来る。今ならそれ(家庭訪問)がほぼ義務化されているからと理解できますが、当時はそんな学会側の事情も知らず。
とても大人しそうな人だったので、思わず言ってしまったんですよね。
「何回誘ってもらっても(座談会や会合に)行く気はないから、来てもらっても無駄ですよ・・・」って。
毎回断るのも可哀相になるような雰囲気で申し訳ないという気持ちと、この人なら言えば引いてくれるんじゃないかという今なら甘すぎるとも思える勘違いもあってのことでした。
そうしたらその女子部の人、いつになく頑なな雰囲気になって「私、今クロさんのこと困らせてるんよね。私の妹も(信仰について)迷っててそれと同じやと思うねんけど・・・」と言い出し。
あれ?私のことちょっとでも信心してると思ってるの?と、そこで認識の食い違いに違和感を覚えました。
私が「いや、妹さんとは違うと思うんですけど・・・」と言っても何故かそのお姉さんは私を妹さんと同じとしてしか話してこなくて。妹さんは子供の頃は一緒に信心してたそうですが、中学生くらいから学会からは遠ざかるようになったとかで。
お姉さんは「困らせてごめんね」と言いつつ、こっちの言い分を理解しようとしてくれなくてなんだか「あれ?思ってた(大人しそう・言えば引く)感じと違う・・・?」と、私の方が押してはいけないスイッチを押してしまった気分になって焦ってしまいましたw
私としては生まれてこの方、創価学会に傾倒したことはなく信心も活動も拒否反応しかありません。もちろんアンチ情報を知る以前からです。ただただ、母親が学会員であるためにそのような家庭訪問があるのだとしか思っていませんでした。
玄関先でお誘いを受け、それを断る。一種のパターン化した儀式を済ませるだけ、というのが私と弟たちへの家庭訪問でした。本人たちに学会員である自覚すらないのです。
それは向こうも当然承知の上で家庭訪問に来ているのだと思っていたのですが、どうやら学会に縁した人間が信心しないことがあるなんて有り得ない、といった感じの女子部のお姉さんの反応。
こちらもこちらで、向こうの認識を完全に誤解していたようです。
お姉さんはそれからもコンスタントに、まるで何事もなかったかのようにこちらが引っ越すまで家庭訪問に来ていました。
私は内心、妹ガンバレ!と思わずにはいられませんでしたw
ふと思い出す、あのお姉さん。妹さんを含め、今頃どうされているのか。
押してはいけないスイッチを押すまでは本当にごく普通の会話のやり取りができる人だったのに、あの大人しそうでお綺麗な様子ならきっと男性にもモテたであろうに、なんとも「もったいない」と今になっても思います。
いわゆる「創価スイッチ」と呼ばれるような激しいものではありませんでしたが、本当に乗り越えられない壁を感じた出来事でした。
今日の聖教1面に『池田大作全集』がとうとう全150巻刊行されたとの記事。
4段に積み上げられた全集の写真と、執筆中の名誉会長の写真が並んで載ってました。
「……信念のペンを執り続ける池田名誉会長」と説明が。 いつの写真だよ!(笑)
27年に及ぶ大事業…だそうですから、記念すべき最後の巻を執筆中の写真がよかったのにね。
記事によるとこの全集、最初の構想は全75巻だったそうな。
それが1997年に倍増の150巻に方針転換したわけです。
友達に聞いた話だと、とにかく購入を勧められた時は全部揃うと100巻だと言われてたようです。
私の想像では100巻だとガンジー全集と並ぶし、ドイツ・ワイマール版ゲーテ全集143巻を超えるには150巻にする必要があったんでしょうね。
「…150巻に及ぶ個人全集は、歴史的に見ても世界最大級のスケールだ…」と自慢してるけど、巻数倍増=儲け倍増(笑)
1巻(税込)3497円ですからね。 最初の頃は2900円だったみたいなので、とりあえず1巻約3200円として計算すると150巻ではなんと48万円!
重さもハンパない。 巻によって違いがあるのでとりあえず1巻1.4キロとして150巻ではなんと210キロ! ひぇ~ですね。
床を補強せねば(笑)
「…発刊開始から27年。年間ベストセラー・全集部門で27年連続第1位になるなど、日本の出版界にも大きな足跡を残した『池田大作全集』…」と。
そりゃ第1位にもなりますわね。 ノルマで会員に買わせているんだから。
内容だって聖教に載せて大白に載せて本として出版したものを、また改めて全集に載せてるんでしょうにね。
210キロのこの全集、読む人いる? 学会員の家には必ずデカい本棚がありますが、収納しきれないですね(笑)
そういえば真新しいような『香○抄』が何冊も古本屋にあったっけなぁ(笑)
全集は古本屋も困る?(笑)
その日、聖教が日刊化されて50周年を迎えたと。
それで原田会長が談話を載せていました。
こんな記述がありました。
「…私自身、入社当初から、歴史的な日刊化の編集作業に参画できた身の福運を実感しています。……50年前、池田先生が教団機関紙を日刊化したことが、どれほどの大英断であり、広宣流布の大発展に寄与したか、計りしれません…」と。
ちょっと驚いたのは『教団機関紙』っていうフレーズ。 私の記憶では『教団機関紙』なんて初めて目にした気がしますね。
新聞協会にも入っていないし、正に『教団機関紙』ですわね。
聖教の創刊時は旬刊で、その後は週間→週2回版→週3回版→日刊へと変わっていったとか。
こう言ってはなんだけど、年中行事の記事なんか毎年ほぼ同じじゃないかと思えるような内容だしねえ(笑)
ネットも普及している時代に、日刊である必要はないでしょう。 そうすれば配達員さんも苦労することないし。
今日の聖教2面にきのう行われた創価学園『栄光の日 』記念行事の様子が。
東京校と関西校のキャンパスを映像・音声でつないでやったそうです。
相変わらず名誉会長からはメッセージのみ。
映像や音声を同時中継してるんだし、サプライズで創立者が映像に登場したなら学園生たちは超~喜んだでしょうにね。
いつもの疑問。なぜやらないのかな? て言うかやれないの?(笑)
こちら側は、学会が用意した答えに沿った質問・疑問や、学会員としてあるべき問いかけをしているのではないのですから。
「思考停止」とよく言われますが、学会員さんたちにしてみれば本気で自分の頭で考えに考えて対応していると思っていることでしょう。「頭を使わずにどう返答できる!?」とでも仰りたいことでしょう。
しかし先に述べたように、学会(員)の枠内で答えを探すため、それは既に記憶の中に落ちている材料を拾い集めているに過ぎません。
自分の感じたことや心に生まれるものに目を向けず、記憶の中の「学会用答え材料」を探すことを思考するとは言わないのです。
自らの振る舞いに当てはめられないことが、自分の中からの答えでないことを証明しているようなものですね。
足の怪我は大変でしたね。そんなときまで正座を強要するなど正気の沙汰とは思えません。
「あなたが業が、深いから注意を受ける」との言葉もあまりにも酷い。
酷いんですが、言いそう。
というのも、私の母親も病気で体のあちこち悪いんですが、それを毎晩酔っ払っては自分の前世の業が深いからと布団で(何故か)軍歌みたいなのを口ずさみながら泣く→轟音いびきで爆睡・・・というパターンがありましてw
子供の頃は母親のこの醜態というか、可哀相なんですけど納得できない理論展開に胸が痛い、みたいなものがありました。
すみません、ウチのことをつらつらと。
学会と関係なくても病気や怪我もあると思いますが、よけいな苦しみ、悲しみを背負わなくてただ今ある現実と向き合っていればどれほど自分も家族も楽なことか・・・と思わずにはいられません。
本当にまだ梅雨が明けていないなんて信じられないくらいですw
あぁ、でも関西ではそろそろのはず。夏本番ですね。
「池田大作全集」全150巻もいいんですが、戸田全集はなぜに廃刊にしてしまったままなんでしょうね~。
現在の学会員さんたちのキング・オブ・師匠である池田センセーの師匠なのに。
学会員さんの中からも声が挙がらないなんて不思議ですねー(棒)
>私の想像では100巻だとガンジー全集と並ぶし、ドイツ・ワイマール版ゲーテ全集143巻を超えるには150巻にする必要があったんでしょうね。
うーん。ギネス狙いですか・・・。
この名誉をあの世に持っていったら、虚しくてやってられないと思うんですが。
本当にもったいないと思うのは、ここまでできる経済力や人材を手にしながら方向性が完全に間違っているんですよね。
もしも本当に「善なる団体」として助けを必要とする社会に奉仕活動なりをしていれば本物の名誉と賞賛がどれほど世界中から寄せられたことでしょう。
今からだって遅くないのに・・・。
池田氏本人や学会上層部がこんな簡単なことを本気で分かっていないとは思えません。
聖教の新聞記事でも散々言っていることですが「できることをしない」という方が不自然さは極まります。
それはつまりそれだけの理由があるということ。
本物の名誉と賞賛、すなわち「世のため人のため」を無視してでも成したいことがあると、そう考えるのが自然だと思います。
それが金銭欲なのか、権力欲を満たすためなのか、あるいは今までの自らの行いを批難されたくないという保身からなのか、それら全てなのか。
ま、まさか本気で池田宣揚の果てに創価学会の素晴らしさが世界に広まってその信仰が世界を救う・・・と本気で思ってたら目も当てられないですねww
うち(実家)にも何冊か「人間革命」「新・人間革命」の本があるんですけどね。揃ってはいないです。10冊もないかな。
で、母親はその本を開いた形跡もないというw
何故なら本屋の袋に入ったままテープも剥がされていないから!!そのまま押入れに積んであるんですよ。
聖教新聞の連載を読んでいるから?
いえいえ、うちのママン聖教新聞もテレ欄しか見ないんですよ!
蛇足ですがうちは一般紙も取っていて、聖教新聞が不要論が巻き起こされないためだけにわざわざテレ欄だけそちらを見るんです。アホとしか言いようがない。
古本屋でも宗教本は引き取ってくれなかったり値段0円で処分扱いになったりもしますよね。
それでも学会の本が古本屋にずらっと並んでいたりもしますがw
学会員さんだとしたら売った人は多部数購買で手元の1冊以外を残して売るのかなーと思ったりしたんですが、それだと投票権入りのA○BのCDと一緒じゃw
>歴史的な日刊化の編集作業に参画できた身の福運を実感しています。
ていうのも「福運」の使い方が凄くなってますねw
活動に参加できるのが「福運・功徳の効果」てやつですよね。どんだけ学会活動の地位を上げたら気が済むんだかw
「教団機関紙」という名称も、私も見たことはないです。
「教団」自体もあまり使わないですよね。
聖教新聞(聖教新聞社)を一般紙(株式会社)と誤解している学会員さんは多いです。私の母親もそうでした。
それは無論、学会や聖教がそのようにミスリードしていることも大きいのですが。
今回の記述のように、たまにポカをするのはワザとなのか単なるミスなのか。
学会のこういうところが読めないですんよねw
今回の創価学園の記念行事、池田氏の音声は(編集が)間に合わなかったのでしょうか?
音声のみもなかったんですねぇ。
だからリアルタイムで登場すれば万事解決なのに、できる(ハズ)なのにしないっていうね・・・w
ですので自分の主張を前面に出すというよりは、ただ思い込みが激しくてこちらの言っていることが理解できなかったのだと思います。
思い込み、というより先入観ですかね。
おそらくですが、妹さんのことも自分の解釈で思い込んでいるのではと、当時から思っていました。
妹さんは「迷っている」のではなくて、普通に嫌なんじゃないのかなーと。
私も「迷っている」んじゃなくて最初から何もないんですけど、そういうことがあるということが信じられなかったのでしょう。
私の母親、父親もなんですが酒飲みで。
確かに、毎晩呑んでないとやっていられないみたいなことも言いますが、私にしてみればそんなぐでんぐでんに酔ってよけいにしんどいだろうと思うのですけどね。
ビールだって沸いて出てくるわけじゃないのに。
子供としてはもっとちゃんとしてほしい、そんな風に情けなく思っていました。
ただ、母親が学会員でなかったとしても、この酒癖の悪さは同じなんだろうなぁと思います。
いつもコメントを投稿して下さるばかりか、私のこともお気遣い下さりありがとうございます。
私などまだまだ文章力も人生経験も未熟な人間。
それでもこのようにお心を寄せて下さる方がいて、とても励まされています。
学会活動を経験された方のお話は、今現在悩みを感じておられる方々にとっては大きな救いにも、覚醒のキッカケともなることでしょう。
私の方こそけいこさんに助けられています。これからもお気軽にコメントくださいね。