民主主義を掘りくずす言動が日々続く橋下大阪市長ですが、マスコミの異常な取り上げ方もあって、人気がとても高くなっています。橋下氏の進む道は、格差をさらに拡大させるものなのに、そのことに気づかない、気づけない状況になっています。
3月19日のしんぶん「赤旗」で下記のインタビュー記事が掲載されました。今の状況を理解するのに役にたつ分析です。
この中島岳志准教授は、このインタビューの最後に自身で語っていますが、「保守派」を自認されている方です。「保守派の私でさえ、“共産党だけがマトモなことをいっている”と感じてしまうほどです」と言わざるを得ない時代になってきていると言うことです。認めていただけるのはうれしいのですが、危険な時代になってきているということでもあります。(引用部の下線は上田が引きました)
北海道大学大学院准教授 中島 岳志さん
ガラポン幻想と既得権益攻撃
アンケートと称した市職員への「思想調査」など、橋下徹大阪市長が進める独裁的な“政治手法”について、北海道大学大学院の中島岳志准教授に話を聞きました。
--------------------------------------------------------------------------------
憲法違反の「思想調査」などで市職員を攻撃する橋下徹大阪市長に、なぜ20~30代の若者の支持が集中するのか。背景には、二つの意識形態があると思います。
一つは「ガラガラポン幻想」です。
橋下「維新の会」の「維新八策」の内容は、何十年も前から見飽きてきた新自由主義・構造改革の焼き直しです。ヨーロッパでは90年代の終わりに終わっています。日本でも2009年の政権交代でパラダイムシフト(社会全体の価値観の変化)が起きるはずでした。リーマン・ショックや「年越し派遣村」を受け、世論の大半が小泉「改革」はおかしいと思い、新自由主義にノーをつきつけた。
ところが政権交代後の民主党政権があまりにもふがいなく、自民もダメ、民主もダメとなったとき、冷笑主義(シニシズム)が加速しました。そこから、現状をガラガラポンしてほしいという一種の英雄待望論が出てきているのだと思います。
もう一つは、インターネット上で「リア充批判」=(ネット上の仮想空間ではなく、リアルな現実の生活が充実している人間への批判)と呼ばれるものです。いわば既得権益バッシングです。
生まれた境遇も学歴も自分とあまり変わらないのに、たまたま公務員などの安定労働者になったような人たちを攻撃する傾向です。
橋下氏や「大阪維新の会」がうたう「グレートリセット」(壮大なやり直し)や公務員攻撃は、このような「負の感情」に乗じているのです。実際に、橋下氏は知事選で、公務員の「既得権益」こそ大阪の貧困の原因だと攻撃していました。
しかし、こうした既得権益バッシングでは、公務労働はいっそう非正規雇用化し、民間労働者も低賃金化するという「負のループ(循環)」をもたらすので、貧困層はまったく救われません。
新自由主義という古い時代への回帰ではなく、真に新しい代替策を示す政治こそ必要なのに、一部の政党や政治家は「維新の会」にすり寄っています。保守派の私でさえ、“共産党だけがマトモなことをいっている”と感じてしまうほどです。
橋下徹さんは、父親はやくざ、父方のいとこ(男性)は人殺し、橋下さん本人は民。
そんな橋下さんのことは、信頼できませんね。
橋下さんの父親、いとこ、そして出自までがあばかれて、それが批判されていることはたいへん悲しいことだと思っています。
特に、私の活動の原点は、民の解放を描いた「橋のない川」との出会いでありましたので、民であったことなどをあげつらうことは認められない行為だと考えています。
私は、橋下氏が首長に選出されたことは、巨大マスコミの影響や一時的な英雄待望ムードのなかでの誤った選択だと思っていますが、しかし、民であったことが“拒否”の対象にならなかったというこだけは大いに評価しています。
日本の民主主義の成熟度はまだまだ低すぎますが、身分差別という制度が、心の中からも消えつつあることに社会の進歩を感じています。
ですので、私が橋下氏を信頼していないのは、父親や、親族や、その出自からではなく、彼の新自由主義的な格差を広げる政策や、独裁的な憲法をないがしろにした行動と手法に対してです。
どうぞ、差別的な感情を持ち込まず、正正堂堂と政策で彼に対峙していきましょう。
この闘いが日本人の民主主義度をアップさせる貴重な体験になることでしょう。