綾瀬市議・上田博之のあやせタウンWebニュース【ブログ版】

神奈川県綾瀬市政の動きを縦軸にしつつ、
横軸は四方八方に広がります。
綾瀬市会議員 上田博之(日本共産党)です。

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◆なかなか更新されない綾瀬市の学校のホームページ

2022年10月05日 | 教育を考える

 8日に行われる綾瀬市の小学校の運動会について市民の方から問い合わせがあったので、各学校のホームページを調べたら、10月の5日にもなっているのにいまだに9月の学校だよりで止まっている学校が大半であることが分かりました。

 小学校では、綾西小と綾南小、落合小の3校のみが10月の学校だよりを掲載。
 他の小学校は、9月まで。

 もっと驚いたのが中学校のホームページです。

 10月の情報を載せている中学校は一つもなく、城山中学校にいたっては6月まででストップ。

 

 綾瀬市の学校ホームページは、他市よりも10年も20年も遅れて、やっと始まったばかりですので、これからに期待をしたいと思いますが、そのためにはもっともっと個々の学校を支援する教育委員会の取り組みが必要です。

 ここもねばり強く取り組んでいかねば!!

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◆より質の高い学校給食をめざして 教育委員会に、調査研究を要請

2020年09月06日 | 教育を考える

 9月議会の令和元年度決算審議の中で、学校給食についても取り上げました。

 今回のこの指摘は、綾瀬市の学校給食に構造的な問題があることを指摘したもので、担当している栄養士さんを非難するものでないことは、念のため最初にも書いておきたいと思います。

■他自治体の給食の研究を
 脱脂粉乳などの給食で育った私たちの世代は、現在の給食はどれをみてもおいしそうに思えてしまいますが、目を他の自治体に広げてみると、同じような給食費でつくっているはずなのにどうしてこんなに違うの!? と驚いてしまうことがあります。
 教育委員会に他の自治体の給食について調査研究をしているのかを質疑したところ、研究していないことが判明しました。

 ▲昨年、市議有志で試食したときの綾瀬市の給食


 ▲東京・大田区の小学校のホームページより
 https://www.ota-school.ed.jp/shimoda-es/life/kyusyoku.html

■献立を考える栄養士だけでは
 乗り越えられない壁があるのではないか
 上の写真を見比べると、同じような品揃えですが、でもかなりの違いです。しかし、これは綾瀬市で献立を考える栄養士さんの問題ではないと思います。構造的な問題が横たわっているのではないでしょうか。

■改善の方向性は・・・
①大田区の給食は自校方式で学内で調理されています。綾瀬市のは学校給食センターでいっぺんに7000食以上を調理、その後搬送。
②綾瀬市は米飯を外部の業者に炊かせ納入させているので、その人件費・設備費・業者の利益などがお米の食材費に含まれてしまい、その分他の食材の質を落とさざるを得ない。(保護者が負担する給食費は、本来は人件費などを除いた食材費のみとされているのに、人件費なども負担していることになってしまっています)
③県の学校給食会の縛りが強く、市の裁量での工夫(例えば、独自に学内で家庭用炊飯器で炊飯しての提供)などができない。
(炊きたてのご飯を食べさせてあげたいのに)

 これらの問題の解決など、ご一緒に取り組んでいきませんか!

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◆40人学級見直して! 少人数学級を一気に進めていきましょう!!~はたの衆院議員が国民の願いを国会で

2020年07月30日 | 教育を考える

 7月24日のブログ「◆はたの君枝衆院議員が人見綾瀬市教育長と“コロナ禍における学校再開の課題などについて”懇談」の続きです。

 綾瀬市の教育長との懇談もうけて、畑野君枝衆院議員は、22日の国会で少人数学級を進めるために質問してくれました。その内容を伝えているのが上の記事です。

 日本の教育予算は、OECD加盟国のなかで最低ということ、みなさんご存じでしたか?
 自民党も口では少人数学級を言っているのですが、肝心の予算をつけようとはしません。
 コロナ禍の中で、子どもたちの教室を3密のままにしておいていいわけがありません。

 いまこそ一気に35人以下学級を実現し、さらに30人以下を目指して取り組んでいきましょう!!

 ちなみに、現在の綾瀬市の小中学校の一クラスの人数は、下記の表のようになっています。

 うすく黄色くなっていることろが35人を超えているところです。
 綾瀬市では、すでに小学4年生までは市独自の対応で35人以下を実現していますので、あと10クラスを改善するだけ。

 みなさんと力を合わせて、早期実現にむけ引き続き取り組んでまいります!!

追記

 綾瀬市教育長と畑野君枝衆院議員との懇談を伝える記事を下記に載せておきます。

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◆「みんなの学校」綾瀬市内で自主上映~保護者や教育関係者に観ていただきたい映画です~

2019年12月18日 | 教育を考える

 私がこの映画を知ったのは5年くらい前。
 そして4年くらい前に藤沢で上映されると知り、駆け付けて鑑賞して、大感激!
 「多くの人に観てほしい!!」綾瀬市内で自主上映をしたい! と何人かの方に呼びかけましたが、その時は残念ながらそのままに。

 ところが今回、地域の中から急に自主上映をしようという声があがり、私も喜んでその協力者に名乗りを上げさせていただきました。

 映画の内容については、上と下のチラシをご覧ください。

 

 綾瀬市での上映は、来年2020年3月29日に午前10時からと午後2時からの2回、綾瀬市文化会館小ホールで上映です。
 鑑賞券は1枚1000円で普及中です。
 私もたくさん券を預かっていますので、お申込みは私までお願いいたします!!!

 下の写真は、12月14日に行われた試写会のときのです。

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◆民族差別をあおる出版社が名前を変えて中学の道徳の教科書を出版!? 私は許せない!!

2018年06月28日 | 教育を考える

 来年度から使用する中学校の道徳の教科書の展示が、25日(月)まで、市役所6階で行われていました。

 展示されていたのは8社の教科書でしたが、そのなかに「日本教科書株式会社」の教科書もありました。

 この教科書会社は、中学校で来年度から新しく始まる道徳の教科化にあわせて作られた教科書会社だということですが、実はいろいろと黒い、といいますか、よくない噂の多い出版社なのです。

 まず第一に、この新規教科書会社の住所が、民族差別をあおる『嫌韓流』シリーズを手がける出版社・晋遊舎の住所と同じだ、ということです。

 リテラの調査によると「東京・神保町駅からほど近い晋遊舎のビルへ足を運んでみると、入り口にある「(株)晋遊舎」と記された同じ郵便受けには、たしかに「日本教科書(株)」というシールが貼られていた」とのこと。

 これは住所だけではなく、「登記簿によると、現在、日本教科書社の代表取締役をつとめているのは武田義輝なる人物だが、この武田氏は晋遊舎の代表取締役会長だ。ほかにも、晋遊舎の元取締役(編集局長)と現専務取締役が日本教科書社の役員や監査役に名前を連ねてい」るとのこと。

 差別をあおる出版物を出している人たちが道徳の教科書を出版!?

 悪い冗談としか言えません。

 

 さらに、第二に、この出版社が道徳教科書に参入することになった背景には、安倍首相の“極右教育政策のブレーン”が深く関わっているとのことです。

 リテラによれば、「その人物とは八木秀次・麗澤大学教授。周知の通り八木氏といえば、日本会議とも近い極右御用学者だ。「新しい歴史教科書をつくる会」系の歴史教科書改悪運動を牽引し、安倍政権のもとでは首相の諮問機関「教育再生実行会議」の委員をつとめ、その教育政策や改憲の旗振り役を務めてきた。
 ところが、その八木氏は以前、くだんの日本教科書社の代表取締役だったのだ。日本教科書社の登記簿を見ると、前述の晋遊舎・武田会長が代表取締役に就任したのは昨年9月1日。その前任者が八木氏で、164月の同社設立から1791日まで代表取締役を務めていた。」とされています。

 

 お国のために命も捧げる、という国に役立つ人間を道徳教育を通じて作り出そうという動きに呼応する教科書は、私はいりません!!!

 

 詳細は、「児童凌辱のマンガも出版、ヘイト出版社・晋遊舎が“道徳教科書”に参入! 安倍のブレーン・八木秀次がバックか」をご覧ください。

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■大学の授業料が40年でなんと4倍近くに(私学の場合)~60年前と比較すると40倍か!!

2016年09月02日 | 教育を考える
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■綾瀬市の来年度からの中学校教科書■侵略戦争美化、平和憲法敵視の「育鵬社」「自由社」版は採択されず

2015年07月27日 | 教育を考える

 7月23日に綾瀬市教育委員会会議が開催され、来年度から市内の小・中学校で使用する教科書がすべて決まりました。
 そのなかで注目され、心配されていたのが、安倍政権の軍国化を先導するかのような「育鵬社」などの歴史、公民の教科書の行方でした。
 その関心の高さから傍聴される方も定員の2倍の約30名。本来なら抽選で15名にしぼられるところですが、この日は教育長の許可があり全員入室できました。


 さて、心配された結果ですが、次のようになりました。ひとまずホッとしました。

   採択されたのは、
   中学歴史●教育出版
   中学公民●東京書籍
 

 ところで、「育鵬社」の教科書はなぜこんなに問題視されるのでしょうか? 
 どんな内容なのか、簡単に問題点を整理してみます。

1)育鵬社の公民は、戦前の大日本帝国憲法は高く評価する一方、現行憲法を敵視し、改憲へ誘導。
 日本国憲法がうたう基本的人権では、現行教科書にあった「憲法に保障された権利と自由が次の世代にも受け継がれるように努力しなければなりません」の文言は削除。教育・勤労・納税を「国民の義務」と強調し、脚注では、「多くの国の憲法では国防の義務を課してい」ると新たに挿入。

2)「平和主義」の単元では、記述の大半を自衛隊に割き、他国の憲法を引きながら「国防の義務」を強調。自衛隊には違憲論もあると述べていた脚注は削除。

3)「集団的自衛権」は、「同盟関係にある国の防衛を支援し、おたがいに協力しようとする権利」と述べ、現行本の「自衛」の表現を「防衛」に書き換えた。

4)「平和主義と防衛」の単元を挿入し、コラム「沖縄と基地」のなかで、「日米安保体制は日本の防衛の柱であり、アジア太平洋地域の平和と安全に不可欠」と記述。住民の苦悩や基地撤去を求める運動には一切触れず、「普天間飛行場の辺野古への移設などを進めています」と、安倍政権の主張を伝える。

5)「公民」とは「公の一員として考え、公のために行動できる人」だと述べ、前回以上に「公」を強調。改悪教育基本法を反映させ「愛国心」を太字で示し、右傾化を強めている。

6)歴史は、侵略戦争を美化し“日本は正しい戦争を行った”とする認識を子どもたちに持ち込む。
 アジア・太平洋諸国で2000万人以上の犠牲をもたらした日本の侵略戦争について、「自存自衛」で、日本の侵略が「東南アジアやインドの人々への独立への希望」になったと強調。自由社も、占領期には「のちの独立の基礎となる多くの改革がなされた」などと日本軍を“アジアの解放者”として描く。   (その他まだまだ問題点あり)

コメント (2)
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■太平洋戦争を“大東亜戦争”とし侵略戦争を反省しない教科書の採択がされないよう見守りましょう

2015年07月12日 | 教育を考える

 7月23日 午後1時30分から 綾瀬市役所事務棟6階 視聴覚室で教育委員会会議が開催されます。(傍聴受付は15分前まで)

 ぜひ、この教育委員会会議を傍聴してください。この日の会議で来年度から中学校で使われる教科書の採択が行われると思われます。太平洋戦争を“大東亜戦争”とし侵略戦争を反省しない教科書の採択がされないよう見守りましょう。

 

 教育委員会に対する市長の関与がこの4月から強化されました。いろいろ心配な点がありますが、一番心配されているのが教科書採択に市長が関与するのか、しないのかです。

 6月議会の一般質問のなかでそのことも市長と教育長に確認しました。

・市長答弁「教科書の選定については、私は関与いたしません」
・教育総務部長答弁「教科書採択に関する執行権は、教育委員会に残されているので、採択権者の判断と責任において公明適正におこなっていく」
 との答弁で、市長と教育委員会に教科書採択ルールの認識をしっかりと確認しました。

 実は市長の中には、市長が関与する「教育大綱」のなかに教科書採択に関することが規定されれば、市長も採択に関与できると勘違いしている方もいるのです。

 4月22日の衆院文部科学委員会で、日本共産党の畑野君枝議員が質疑をし、その答弁のなかで、文科省の初等中等局長は、「教科書採択は教育委員会固有の権限であることから、各首長が定める「教育大綱」に「教科書採択の方針」が掲げられた場合も「教育委員会は尊重義務はない」と明言しています。
 また局長は「大綱」に関し、「明らかに特定教科書会社の教科書を採択するとしか解せないような方針」は「行うべきでない」とも答弁し、さらに採択手続きの一環として行われる教科書の調査研究の観点について、「『大綱』によって拘束されることはない」とも述べています。

 昨年6月に発足した教育再生首長会議と関係が深く、侵略戦争美化の教科書採択を主張する日本教育再生機構は「教育委員は『大綱』に示された方針に従って教科書採択をしなければならなくなった」などと首長の介入を呼びかけていたのですが、畑野君枝議員の追及で、そうした介入が法律に反していることが明確になりました。

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◆「いじめは『撲滅』ではなくて、子ども主体でみんなで考え、討論して解決していくこと」に共感し転載

2015年03月13日 | 教育を考える

 相模原の教育を考える市民の会の会報第20号を読んでいましたら、「 いじめは「撲滅すべき」なのか」という貴重なご意見に接することができました。この視点はとても大切で、“いじめ”を社会的制裁によって「撲滅」させるのではなく、いじめは『だれの心にもある。だからこそ、自分を含めたみんなで解決していく』という視点が必要ではないのか、という提起です。

 私は常にこの視点に立ち返るため、このブログに残したいと思い、著者の篠崎先生とコンタクトをとらさせていただき、ここへの転載のご許可をいただきました。

 どうぞ、ご一読ください。

 

 

 

  いじめは「撲滅すべき」なのか                                     

                                                   篠崎 修

 去る11月16日、市教委・市主催による「いじめフォーラム」(シンポジウム)が行われました。基調講演、小学校と中学校の取り組み、シンポジウム、そして若干の意見交換というプログラムでした。

 その中でいくつか気になったことがあります。一つはある中学校での「生徒主体による『いじめ撲滅』の取り組み」報告でした。いじめ防止のための生徒(会)活動の一環として、全校・学年集会における「無言入場」と「無言退場」・・・。もちろん「騒がしい」より静かな行動の方が、と一般論としては理解します。

 しかし「無言入退場」がなぜ良いことなのか、それがどこで「いじめ防止」につながっているのかが全く見えませんでした。このことが果たして多数の生徒の本当の要求・願いに立脚したものなのだろうか。一つ間違うと典型的な管理教育に陥るのではないのか。しかもそれが「生徒主体で実行されている」となると、さらに気になってしまうのです。さらに言えば、これは教師の必要と要求で、生徒に「させている」のではないのか、という疑念も生じます。生徒の視点や視野を広げるような支援が、見えないからなのかもしれません。

 また、ある部活動では「みんなが元気に、相手の目を見てあいさつしよう」と申し合わせ実行しているといいます。これも一見良いことのように見えます。しかし本当にそうなのでしょうか? そういう元気な子もいれば、性格的にあるいはいろんな理由から、できない子だっているのです。こういう子への配慮がどれくらいできているのかどうか(そこをこそ、子どもたちに問いかけ考えさせる大人・教師の指導の中身)が、実はいじめ問題の根本にあると考えています。

■いじめ撲滅論への違和感

 一人のシンポジストの「この場に違和感を感じる。(いじめが起きない条件があるとするなら)どの子も、弱くても安心してそこにいられる場であり、ありのままの自分でいられる場ではないのか」との発言が印象に残りました。

 私はこの発言と中学校の取り組みにかかわって、以下の3点を会場から述べました。

1.いじめを「撲滅する」という表現の背景には、「いじめをする子は悪い子→悪い子には制裁を加えて反省させる→それでも直さなければ排除する」という考えがある。
 それでは「いじめ」る子はだれからもケアされない。

2.「いじめる子」には、その子自身が傷ついてきた歴史があるはず。それを無視して制裁を加えても解決しないばかりか、その子自身の、自ら反省する機会も、成長発達する権利をも奪いとってしまうことになる。

3.いじめは「撲滅」ではなくて、子ども主体でみんなで考え、討論して解決していくこと。大人の役目は、その子どもたちの活動を、多様な見方考え方や視点などを示したりして、励まし支援していくことではないのか、と考える。

 中学校の報告に感じる疑問を象徴する言葉が、まさに「いじめ撲滅」論に立っていることでした。発表した生徒さんは「いじめは『撲滅する』で良いと思います」と確信を持って言い切っていました。ここに私は改めて、教育の「怖さ」を思います。

■いじめの根っこは誰の心にもある

 そんな中でも救いは2つありました。1つは先のシンポジストの発言。もう1つは、私の発言に対して助言者が「撲滅論」の問題点を指摘してくれたからです。

 その一つとして「いじめ撲滅論の背景には『自分はいじめをしない正義の立場の人』という思い込みに陥る危険性がある。そうではなくて、いじめは『だれの心にもある。だからこそ、自分を含めたみんなで解決していく』という視点が必要ではないのか」という趣旨のコメントでした。この助言者は、さらに言葉を選びつつ「この中学校での実践を鵜呑みにしないでほしい」とも付け加えました。

  この助言者の指摘は、私にとって目からうろこでした。一般的に大人も子どもも、普通の市民感覚として単純に「いじめる子は悪い。悪いから制裁を」という価値判断を支持したくなりがちです。しかしこの考え方を克服し、「子どもは間違いやトラブルを重ねながら、学び成長していく存在である。その時こそ、大人が背中を押してやること」という子ども観が広く理解され、支持されることが、本当の意味で「市民・大人も含めたいじめ克服」の展望を開くことになるのではないのか、と考えます。

■子どもの力を信頼しよう

  最後にひとつのエビソードを紹介します。

  相模原市とNPOによる協働事業=生活困窮家庭の中学生への学習支援(「中3勉強会」)の夏合宿が実施されました。ブルーベリー狩り・バーベキュー・星の観察などの活動がぎっしりと詰まった2泊3日。その中でも2日目の夜の「語り場」は、この合宿のメインプログラムです。

  中学生と大学生が、静かに語り始める。家族のこと、友だちのこと、学校のこと・・・・・・そのどれもが胸を締め付けられるような話です。「こんなにも重たい現実を引きずりながら、それでも懸命に健気に生きている」中学生。かつて中学生だった大学生も、長い間ずっと心の奥に封印してきた思いを語ります。

  今年は、少し前まで「いじめ・いじめられの関係」にあった3人の女子が、平和的に本音を語り合い、「和解する」という場面がありました。全く予想だにしなかったことでした。

 中学生たちは「学習する場」に、様々な問題も持ち込みます。どんな話題でも丁寧に、時には忍耐強く耳を傾けてくれる大学生ボランティアとの出会いは、衝撃的な体験でしょう。彼らにとって「初めて自分の話を真剣に聞いてもらえた」と実感したのかも知れません。「みんなが真剣に聞いてくれる」と確信が持てるから、安心しつつちょっと勇気を出して自分を語ることができたのでしょう。

 子どもは、問題を解決していく力を本来的に持っているのです。そのことを見事に示してくれる場面でした。

  

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