
2世紀ごろ三河地方の弥生人たちが相模川をのぼって綾瀬の地に定住したことをあらわす「神崎遺跡」を、国指定の史跡にしようという取り組みが始まっています。
綾瀬市は、3月から5月にかけ、遺跡の内側とその周辺の2ヶ所を試掘し、遺跡の範囲や生活のようすをあらためて探りました。墓地の発見も目的の中にあったようですが、それは見つかりませんでした。
上の写真は、5月16日に撮影したものです。遺跡の内側では、多くの土器などが発見されましたが、外側ではあまり見つからなかったとのこと。でも、以前の発掘のときに見つかった壺と一致しそうな破片が見つかっています(下の写真)。
綾瀬市は、3月から5月にかけ、遺跡の内側とその周辺の2ヶ所を試掘し、遺跡の範囲や生活のようすをあらためて探りました。墓地の発見も目的の中にあったようですが、それは見つかりませんでした。
上の写真は、5月16日に撮影したものです。遺跡の内側では、多くの土器などが発見されましたが、外側ではあまり見つからなかったとのこと。でも、以前の発掘のときに見つかった壺と一致しそうな破片が見つかっています(下の写真)。
神崎遺跡については、過去記事(1)「神奈川の人類の歴史は綾瀬市からはじまるのです」、過去記事(2)「2世紀ごろ弥生人は相模川をのぼって綾瀬にやってきた」、もご覧ください。 ←ブログ村ランキングに参加中! さて今何位でしょうか??
また、他の議員の方のブログをご覧になりたいときもクリックしてください。