7/17は曇り空ですが、雨の降る心配はないようです。早朝に目が覚めてしまったので、5時ごろにホテルを出て千秋公園(久保田城趾)まで散歩に出かけます。
久保田城は佐竹義宣により築城された城で、天守を持たない構造の城だったそうです。1880年の大火で場内のほとんどの建物が消失してしまったそうです。現在は本丸と二の丸跡が千秋公園として市民に親しまれています。
1880年の大火で唯一焼け残った御物頭御番所。江戸時代の建造物です。
その御物頭御番所の前の石段の上にあるのが本丸表門。こちらは2001年に復元されたものです。緑に包まれた表門を下から見上げて撮影してみました。
本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)は1989年の復元ですが、本来の2層櫓ではなく上階に望楼風の展望台を追加した3層4階の構造になっています。早朝なので当然のごとく外観見学のみになります。公園内を歩いていると、近隣の住民が早朝の散歩に訪れている姿が見受けられ、市民に親しまれている公園であると認識させられました。
大手堀はハスに覆われ、所々でハスの花が開花しているのがみられました。小一時間ほどの散策でホテルへ戻り、朝食を食べてから10時近くまで部屋でのんびりと過ごします。10時前にチェックアウトして秋田駅へ。大きな荷物をコインロッカーに預けて身軽になってから、追分駅まで列車に乗って往復することにします。
追分駅までは男鹿線のキハ40に乗ります。このキハ40も先日置き換えが決定しています。ディーゼルカーのサウンドを楽しみながら追分駅へ。追分駅からは同じく男鹿線からやってくるEV-E801系の秋田行きに乗るつもりですが、その間に東能代始発の普通電車が入っていたので土崎駅へ先行します。しかし発車直前に非常停止無線を受信し安全確認のために5分ほど遅れて発車しました。土崎駅で途中下車をしてEV-E801系の秋田行きに乗ります。
EV-E801系は男鹿線に投入された蓄電池式電車で、烏山線に投入されたEV-E301系ACCUMの交流バージョンです。が、JR東日本が独自に開発したものではなく、JR九州が開発したBEC817系DENCHAの技術を使用して誕生した電車です。車体はJR九州の817系と同じ日立製の車体ですが、ヘッドライトの位置や前面スカートのスノープラウなどの耐寒耐雪構造が変更点です。
前面や側面の行き先表示は817系譲りのLED式大型方向幕で行き先と路線名を交互に表示しています。そして1両目と2両目では色が違い、男鹿よりは赤、
秋田よりは青になっています。前面貫通扉にはなまはげを描いたヘッドマークが掲げられています。このヘッドマークは時期によって変更されるようです。男鹿線のキハ40置き換えには電気式ディーゼルカーが採用されたので、EV-E801系は試作的要素も大きいのか、どうやら1編成のみの投入になりそうです。
秋田駅に戻ってからお昼ご飯を食べて、本屋に寄ったりしていると帰りの新幹線の時間はあっという間にやってきます。コインロッカーから荷物を出して新幹線改札口を通ります。
東京への帰りは秋田1337発のこまち58号。東京までは4時間近い乗車になるので飲み物などを買い、先ほど寄ってきた本屋で買った本を読んで過ごすことにします。盛岡ではやぶさ号と連結をして320km/h走行。仙台でほぼ満席になり、隣にも乗客が座りました。車中は本を読んだりちょっと寝たりして過ごし、1732に東京駅に到着。東京駅に到着して京葉線への長い通路を歩くと、急に現実感が湧いてきて旅が終わったことを実感します。武蔵野線直通電車に乗って舞浜へと帰りました。