手塚治虫創作的秘密
日本中世時代にあったのが「恋や愛物語拒否症」
昇進を拒否する若いヒトが多くなっているという。現役で仕事をする機会がまったく無くなったから、どうでもいいような話である。しかしである。この昇進拒否症というのが、フリーター志向とある意味結びついている。つまり、質的な関連があると思う。このことについては、また別の機会に書いてみたいことであるが。
昇進を拒否するというのは、他者の動きや成果でもって、責任を負わせられたらたまらないというのが正直なところであろう。冗談じゃねぇ~、なんも関係のねぇあの奴、この奴の失敗でナンでオレが責任をとらなきゃならねぇのだというのが、基盤にある。そういうヒトは、正直である。かえって魅力がある。そういう人間の方が。せっせと接待ゴルフなんかやっているより、ずっといい。理由は簡単である。私はゴルフは環境破壊だからやらないし、やったこともないからである。
接待ゴルフというと会社である。会社でなにか失敗があると、記者会見でズラーッと並んだ、経営陣のおじさまたちが、深々と謝罪の礼をしているのをよくテレビで見かけるようになった。あれで禊ぎが済んだと思っているヒトは誰もいないだろうけれども、日本独特の手法である。つまり、会社が生き延びるための謝罪方法である。
もっと言えば、「無かったことにしてくれ」と言っているのに等しい。これは日本人独特の方法である。
戦後の経済発展もそうだ。
戦前は八紘一宇でやっていた。帝国主義であった。なにを勘違いしたかと思う。さらに、戦後は全く何事も無かったかのように、教科書に墨を塗り、何食わぬ顔をして経済発展にいそしんできた。最近いろいろ問題になっている高校野球の好きな大新聞も、八紘一宇の最大の推進派であった。ところが、戦後はみんなクチを拭っている。
これは、超大国と言われる国々もそうだ。過去二回の世界大戦で打撃を受けたのは、ヨーロッパ大陸である。さらにその混乱の間隙をぬって、経済基盤を確立したのが、アメリカ。戦後国民党政権を追い出して、現政権を構築したのが中国。ソ連もそうだ。日本に関しては、戦争直前に参戦してうまい汁を吸った。ま、政治のことは嫌いだし、よく理解できないので、これくらいにする。それでも、思うことがある。それは全部、人工物であるというその一点である。組織とか政治というのは、人間が作ったものである。つまり人工なのである。だから脆い。すべての政治は(組織は)永遠に続かない。アメリカも、中国も、ソ連もである。決して永遠ではない。
さらに、老化というのがある。最近のアメリカ・中国・ロシアを見ていると、どうも老化したワンコを見ているような気がする。金属疲労である。やることなすこと、正解から大きく外れている。いいのかね?あれで。超大国と自分で言っているんだったら、最後まで頑張ればいいんだろうけど、周囲に迷惑だけはかけないでもらいたいと思う。私は爺になったのである。もう他人に(他国に)振り回されるのは、草臥れるからだ。草臥れるのは、体力的に辛い。もっと言えば、爺の責任逃れである。昇進拒否症と一緒である。誰も他人のことには関わりたくないっていう奴。
さらに帝国主義の時代に後戻りしているような世界の動きである。なんかきな臭い。大丈夫かと思う。第三次世界大戦が起こらなければいいのだがと思ってしまう。所詮、戦争なんかやったって、その成果は永遠に続かない。植民地政策を展開したかつての大国(ヨーロッパ諸国)たちも、今はすっかりおとなしいではないか。だから永遠に続くものは無いと思うのである。
こっちは昇進拒否症とは違う。真逆である。「拡大したがり症候群」でも言うべきだろう。
それでも滅亡したのである。拡大に拡大を重ねてきたところは。ローマ帝国だって、元という国だって滅亡した。中国史は、国家滅亡史の繰り返しであったし。
だから、ブータンのような自然に恵まれた国に行ってみたいと真剣に思うのである。少なくとも、拡大主義ではない。いつか行ってみたい。ま、これから先100年生きられるワケはない。あまり時間が無い。したがって、準備だけはやっておきたい。ブータン行きの。少数民族芸能の撮影もしたいから。
ブータンのような自然あふれる国から、もっと学んだことがある。書物からだけであるが。
自然は「時間」であるということをである。
時間が流れているから、あるいはそれを忘れているから、人間の作ったものは壊れるということをうっかり失念してしまうのではないのか。組織とか、会社とか、政治とか、カネとかである。所詮人間の作ったものである。はかないものでしかない。人工物なんて。
しかし、時間は永遠である。宇宙そのものである。宇宙には時間が流れている。気の遠くなるような時間がそこにはある。
それを学ぶことができるのが「自然」である。自然には「時間」しかない。時間の支配のもとに、山も川も、あるいは植物や動物などの生物も存在しているだけである。
そして時間がたてば、地球そのものも無くなってしまう。気の遠くなるような時間がたてば、人類はいなくなってしまうだろう。だから、どんなに頑張って人工のものを作っても所詮はかない存在でしかないのである。書物だってそうだ。地球が消えてしまったら、意味のないものになってしまう。
こういうことを考えるということは、認知症がかっているのだろう。それでもいい。どうせ消えゆく我が身である。可能ならば、遅らせたいが、それでもなってしまったら仕方がない。
最近は、終わりのことばかり気になるからである。私のすべての終わりのことである。どうせ、消えゆく我が身である。だったら、今、現在のことばかり気にしていたってどうしようもない。
老化している国々のこと、世界大戦の可能性、宗教でもって混乱をばらまいている某国、あるいは肝心かなめのわが国がどうなるのか。あるいは、日本の大学が経営悪化して、父さんする(あ、誤変換だった=倒産or廃校)。お父さんの勤務している会社や学校、組織等々が倒産したり、廃校になったり、消滅したらどうすんだ?とマジに思っているからである。
故に、日本の中世時代が好きなのである。
日本の中世時代は、全部の組織が、価値観がひっくり返ってしまった時代である。「方丈記」や「平家物語」は、そういう滅亡の時代を描いているから、実に興味深い時代なのである。
恋や愛を歌った和歌集があまり好きではないのは、こういう滅亡の時代に、あるいは物語にひかれるからであろう。恋や愛は、永遠ではないと私は思っているからである。
だから、ジョセーに相手にされないのである。
恋や愛が、永遠ではない、いつかは滅びるということを書いていたり、話したりしていたら、それでは相手にされないワケだ。
「昇進拒否症」ではなくて、「恋や愛物語拒否症」と言うべきものであろう。
わはははははははっはは。(トホホ)
それでは、これくらいにします。
(^_^)ノ””””
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