大阪浪速高校の木村智彦校長先生のBLOGを非常に興味を持って拝見させていただいている。最近の書き込みにこんな記事があったので、感心した。紹介をさせていただこう。拙ブログからもリンクをさせていただいているから、トップページから辿ってくださいませ。
>・ 私はこの5年間学校長としてとにかくブログの言語力をベースに学校の動きを発信してきた。この積み重ねは保護者のご理解を得るのに役立ったと思っている。昨年秋から今春まで続いた外部の混乱があっても校内は安定し、平穏無事そのものであった。同窓会もPTA、保護者は静寂そのものであった。保護者は私のブログによってこの5年間浪速で何があったのか良くご存じだったのだ。
・ この経験から次の校長には高い言語力と発信力を期待したい。校長になるような人に言語力がないような人はいないと思うが問題は発信力である。少なくとも毎日A4版2枚2000字のブログを様々に書けるような人に後を頼んでいきたいと思う。 2012年08月22日18:14「言語力」より
なるほどと感動した。こういう方でないと、校長先生というのはつとまらないのであろう。言語力と、発信力である。さすがである。そして、発信先は教職員であったのだとも説明をされていた。なるほど、である。ともすれば、オレがオレがと自分のやったことを自慢たらたら言いたがる輩が多い世の中であるが、この木村智彦先生は違う。愚生はとてもとても無為であったからなんにもできなかったが、浪速高校のますますの発展を祈るのみである。
ところが、最近後継者のことを書かれるようになってきた。(引用部分にもある)もしかして、退職されるのではなかろうかと思っている。確か、65歳になられる筈である。茨城県鹿嶋の住金の工場長をやられた方で、それから大阪の府立高校の民間人校長になられた方である。
誰でも人生の終わりは来る。退職もまたある意味終わりを宣告されるわけである。感傷というものがもっとあるのかとも思っていたが、愚生の場合はまったく無かった。ま、新しい大学生活が始まったのだから、それどころではなかったなぁ。(^0^)
これからの学校管理職というのは,大変な時代を迎えるのであろう。さらに、教諭と言われる先生方もである。なぜなら個人責任を問われるようになるだろうからである。これまでは、全ての責任を校長におっかぶせていれば良かっただろうからねぇ。
学校はやはり最後は個人としての教えるヒトの資質に負うところが大きい。魅力ある教育をどれだけ展開できるかということである。それを個々の先生方は身につけるべきであって、どうも下手な政治力とか、人脈とか言わない方がいい。聞いていてまったく胸くそが悪くなる。なんとか高校を出たからとか、クルクル大学を出たから、同窓生にあんなのがいる、こんなのがいるとか・・・・・アハハである。オレなんかそういふことをまったく言う資格がないから,言わないけれど(^0^)
昨夜の塾で、いつものメンバーと楽しく国語をやっていた。国語だけというのは最近珍しいんだけど。中学の一年と二年、それに高校の三年生。男子のみ。文法の指導をやっていた。これって飽きないようにするには、大変な苦労がいるんでっせ。口語文法である。こちらの方がかえって難しいのだ。活用表なんて、定型的に言ったってわかっちゃくれないのだ。あっと驚くような指導方法を愚生は持っているから、「へぇ・・・なるほど」「あ、そうか・・」と男の子が興味を示してくれるのが実に嬉しい。
オレって、もしかしたらこういふ少年達と同レベルの性格の軽さを持っているんだろうなぁ。話があうんである。わらっちまうですね。60歳と10代前半のおのこたちと楽しく文法ができるって、こりゃぁ止められないですな。
明日朝に孫が帰ってしまう。嘆きの瞬間である。しかたないけど。二週間の楽しい時間が過ぎた。貴重な時間であった。そして孫に感謝である。オレのようなモンに、孫として登場してくれたのだから。そして、楽しい楽しい時間を過ごさせてもらったのだ。これは本当に感謝である。見えざる意思が裏にあるような気がしてならないのだ。オレのようなものに、じじぃとして生きる覚悟を迫る意思である。
デタラメに生きておってはいかんのである。全くそう思う。基本的にデタラメ人生を送ってきたからなぁ。全部中途半端だったし。勉強が一番中途半端だったよ。基本的に、秀才とはほど遠い生活をしてきたからなぁ。言語力も無い。発信力も無い。なんにも無いのだ(^0^)/ウフフ
だから学ぶしかないのだなぁと思う。
また明日!
※これから孫の映っている動画を編集する。楽しいですね。