と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

寝不足がたたっている

2012年08月01日 06時31分39秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 このところ寝不足がたたっている。理由は簡単である。五輪である。好きなんだ。基本的に。特に柔道には関心があるのである。しかたないではないか。高校からずっとやっているのだ。ま、許されよ。

 昨日は、寝不足がたたった。4ヶ月に一度の血液検査に行っているんで、病院に行く必要もあった。具合が悪いわけではない。「定期」なんである。これをやっていると、つまらないつきあいで飲酒をしなくなる。お守りのようなもんだ。(^0^)/ウフフ

 飲酒は、こころ許した真の友と呑むに限る。山の奥懐で、ひなびた宿で少量を、だ。一軒宿がいい。もっとも、こういうオレも「ひなびて」おるんだが。ついてに、ひなびた老夫婦が、ひなびた山間の宿に泊まって、ひなびた料理に舌鼓を打つという境涯が待っていようとは思ってもみなかった。今日から8月である。9日から奈良国立博物館と興福寺、そして高野山と行ってくる。二泊三日である。奈良博物館はちょっと真剣にである。帰りは、高野山をちょっと早めに出て、京都南座の前にある加藤登紀子様の兄上が経営しているキエフレストランで昼食である。楽しみである。ここは、佐藤優先生の本で知ったのだ。それで、去年行ったのだ。

 退職してから、毎月旅行に行っている。来月の9月も行く。ある意味、夢であった。ただし、海外旅行が無理である。なぜか。老犬がいるからである。17歳である。ペットホテルにいられないのだ。つまり、じじぃのくせして暴れん坊なんである。獣医の先生以外に服従しようとせんのである。オレと一緒で、ひねくれているんだなぁ。これは困った性癖である。長期で家を留守にしたり、獣医の先生にお預けするとたちまちのうちにあの世へ行ってしまうではないのか。そう思うんである。かわいそうで、かわいそうでならないのである。

 名前をジョンというのだ。ジョンやジョン!とかなりの面倒を見ているのである。最期を看取ってやりたいと思っているのである。このブログでも「ジョンや、ジョン」というつまらない記事で扱ったが、一時危篤状態になったけれども、奇蹟の回復力である。5:55現在、愚生の茅屋の狭苦しい庭で元気に遊んでおる。さっき、愚生との楽しい散歩から帰ってきたのだ。一緒に語り合いながら。両方とも元気なもんである。今年に入って気を失うこともかなりあって、人間で言えば脳卒中みたいな症状も出た。(ジョンの方ですよ、オレは違います)まだ、ちょっとおかしいが、獣医の先生からも薬をもらったり、面倒を見ている。自分の老後を見ているようなものだ。こういう扱いをしていれば、オレもなんとか楽しい老後を過ごすことができるのではないだろうか。

 それでも日中はかなり暑い。ゼ~、ゼ~と言いながら堪えている。たいへんなものである。犬を飼ったことのないヒトは、これがどんなに大変なことであるかおわかりにならんだろうが、そういうことである。そういうこと。

 飼い主の愚生も、ゼ~ゼ~である。暑いですな。ホントに暑い。だから、今日は大学に逃避する。冷房が効いているし。さらに院生は、図書館が休館になっても使えるのだ。実はアセっているからである。駄文を書かなくてはならないのだ。楽しいものである。楽しみで書くというのは、健康にも良いと思うからである。何度も書いているように、教えるために書いているのでは無いからである。何かになるためにやっているのではないからである。これはある意味無責任であるとご批判をいただくであろう。しかし、オレはもうそういう成果主義からは無罪放免された筈である。関係ねぇのである。(^0^)

 教えたいなら、別の場面でやる。すでに計画は練っている。マジである。10月から何かをやるのである。そういう予定である。たくましいなぁ。生きる力については抜群である。どういう場面でも生きることができる。生き延びることは、人間としての基礎力であるとも思っている。だから、若い人たちにずっと言ってきた。自殺だけはいかんですって。

 昨日の夜は、150枚ほど綴じられるファイルに、古典文法の指導について大学の先生方が書かれた論文を綴じていた。昨日買ってきたのだ。リヒトのLooper150 品番F3016-1というモノである。(これを書いておくとヨソに行ったときも、役に立つから) 
 178円である。同じリヒトから出ているF3006は100円で買えるが、昨日無かったのである。総合スーパーにである。これは最近非常に役に立っていて、お気に入りなのだ。なぜか。ファイルすると安心してしまって、見ない傾向がオレにはあるからだ。つまり,死蔵というやつである。ところが、このリヒトにしたら、ファイルを見る回数が増えたのだ。丈夫で透明な表紙がついているから、持ち運びにも便利だし。

 それでも基本書である。基本書は、じっくり読むべしである。鉛筆を持ちながら、繰り返し読む。ノートやカードをとったらそれで終わりではアタマに残らない。もっとも、オレだけでしょうがねぇ、こんなアタマの悪いやり方をしておるのは。だから、オレの「能楽源流考」や「唯識辞典」は、付箋だらけ、メモ書きだらけである。

 あ、図書館から借りた本ではないでっせ。基本書くらい、買います。(^0^)/ウフフ

 

 やや、ズラズラと書いていたら、もうこんな字数になっちまった。もう終わりにします。性格そのものでありますなぁ。


 では皆様行ってらっしゃいませ。 

コメント
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/