平成23年8月10日(水)の大衆日報朝刊に取り上げていただきました。
先日の体験入学であります。
哲学者の池田晶子さんのように14歳の君へと語りかけたつもりです。
これは月刊高校教育のこと、大衆日報に取り上げていただいたこと等々を書いています。
校長ブログと連携している・・・・・・・・
まさにそのとおりであります。
・今日も暑かったですねぇ。毎日、同じ事を言っています。情けないですが、事実暑いものは暑い。参りますな。
・心頭滅却すればという悟りには至りません。とうていかなわぬ夢でありましょう。もっとも、そんな資質もありませんが。
・今日も暑い校長室で、上記の大衆日報を自費で購入してきて、各中学校へお送りしたいと封筒詰めをしておりました。
・たいてい、中学校長様宛てに送り状を同封しますので、そこに「地域を大切にする県立銚子、地域のニーズにこたえる県立銚子」のようなフレーズを入れました。本当にそう思っているからです。
・ただし、「地域」というコトバはあまり好きではありません。確かに公的機関でありますが、地域と運命共同体と言った方がよろしい県立銚子のような学校にあって、絶対にあってはならないことが、公的機関であるからといって高見の見物的思考をしてはならんと戒めているのです。
・地域の反対にあるのはなんでしょうか。いつもそれを考えて行動しています。自分の立ち位置が見えなくて、唯我独尊、自分だけよければいいというような発想自体を持っておりません。ですから、安易に進学高校と言うコトバを使わないのです。それは数字が全てでありますから。常に比較地獄に陥ってしまうからです。
・Aという高校が、国公立に170名ほど行く、Bという高校は、50名。そしたらどっちがエライかというようなくだらない会話には関わりたくないのであります。そういうのを比較地獄というのです。目標としてなら理解できます。そして事実は事実として情報発信をしていく。これは尊いことであります。
・問題は、「内容」であります。人格を磨けと言いたいのであります。むろん、愚生だって完成は無い。還暦になってもまだまだ喜怒哀楽がある。情けない。これから思想書を中心にまだまだ学ぶしか無い。書物ばかりではなく、実社会からも得るものは多い。
・外部の人間関係だけを重視するのもいかがなものか。定年後に縁が切れてしまうような人間関係はまったく淡雪のようなものであります。そんなものに拘泥する必要は全くない。
・親切にするということだって、誰かに御礼を言われたいからしているのではない。テレビのCMで、年配の方に電車の席を譲ろうか譲らないかと迷っているのがつい最近までありました。
・あれは何を意味するかということを考えてしまいます。他人の目が気になるからです。やらないのは。
・親切にするというのは、絶対的価値であります。親切にしたいという方に反対をする必然性も無い。
・やれるなら大いにやった方がよろしい。
・斜めに構えて、さもニヒリストのようにすべての事を、人間をせせら笑っている人もいますが、そもそもニヒリストだって、ニーチェとロシアの場合では異なるんです。ドミトリー・ピーサレフという思想家であっても違う考えを持っています。人を助けるのに、エゴで助ける。だから親切にしたからと言って、礼を言われる覚えは無いという思考スタイルをとるんですから、これまた変わった方々がおられる。
・だんだん愚生が何を言っているかおわかりいただけだと思います。つまり、地域を大切にしていきたいと思っているのは、妙なところでエゴに関わっているかも知れないと思うからであります。
・それを怖れるのであります。
・こうして時折、いろいろな活字媒体で紹介をしていただくことによって、自分の立ち位置を再確認する。
・昨日の記事で書いたことですが、もう一度繰り返しましょう。読書、特に小説は、自分の立ち位置が分からなくなった時に有効であると思うのであります。もっと言えば、自分の立ち位置が分からなくなった方には小説をお薦めしたい。そのときには大いに学校の先生を活用すべし。お聞きすることです。愚生でもよし。もっとも時代に合わない可能性もありますが、ね。
・また明日!