ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

謎手本忠臣蔵

2012-02-17 05:00:00 | 読書

2008年の10月に『信長の棺』、2009年の7月に『秀吉の伽』、2010年の10月に『明智左馬助の恋』という加藤廣の戦国三部作を読みました。やはり最初の『信長の棺』が相当面白かったのが、この人の本を毎年一話づつ読み続けてきた要因なのでしょう。前三部作は文春文庫でしたが、今回の『謎手本忠臣蔵』『空白の桶狭間』は新潮文庫、どのような心の変化が加藤廣氏にあったのか分かりませんが、出版業界の詳細など知らない私にとっては、そのような変節と言っても過言ではない出版社の選択・変遷は快いものではありません。何も文春文庫が良くて、新潮文庫は悪いなどと言っているのではありません。電車の吊り広告に見る『週刊文春』も『週刊新潮』もマスコミの風上にもおけない体たらく、日本の将来に責任を持とうとしない記事など読みたくもありません。

文庫本にして出版するのは例えば講談社文庫でも冬幻舎文庫でも中公文庫でも似たり寄ったり、それは何処でもいいと思うのですが、氏が『信長の棺』でデビューした時にお世話になった出版社から突然何故変わったのか、読者としてはそこが知りたいわけです。氏が書いてこられた信長にしても秀吉にしても光秀にしても、過去に多くの作家が独自の調査と直感で多彩な作品を生んでいますが、氏は全く新しい構発想でこの3人に迫ったと思っています。全く新しい視点で歴史を解釈しようとする態度は称賛に値すると思いますが、出版社を裏切ってしまっては(裏切りではないかも知れない)、氏の根本に持っている考え方自体が信用できません。政治家でもあっちに行ったり、こっちに来たり、新しい党が出来ると参加してみたりと、コロコロ変わる人がいるけど、そういう人って初めからどのような考え方をしていたのかと思うと、全く信用ができないのです。

                      

話はとんでもないところに飛躍してしまいましたが、忠臣蔵をどのように捉えるのかという命題は、古今東西からいろんな小説や映画やドラマになって来ました。江戸城・松の廊下での刃傷沙汰から赤穂城主・浅野内匠頭長矩の即日切腹、赤穂城明け渡しから、大石内蔵助の放蕩、そして1年9カ月後の決起、泉岳寺までの行進と大凡の筋書きは殆どれもこれも同じようなもの、何処に力点を置くのかで多少の違いが出てきますが、内匠頭の短慮、精神障害等、吉良上野介義央の意地悪さ・金に対する汚さを指摘する話が多い中で、逆に上野介を弁護する話まで登場したりしています。今回のこの『謎手本忠臣蔵』は、内匠頭が何故吉良に切りつけたのか、その謎を巡って柳沢吉保、大石内蔵助双方が夫々に思案を傾けるという設定になっています。そのキーになるのが綱吉の母・桂昌院の従一位昇階に絡む問題と、家康が関ヶ原の闘いで福島正則に与えた“神君の密書”の行方、これを内匠頭が知っていたという構想になっていますが、内匠頭は死ぬまでそのことを口にはしませんでした。

従来、悪い評価が絶えなかった将軍綱吉と柳沢吉保も、今回は思慮深い好人物に描かれています。

討ち入りのあった元禄15年12月15日未明、当時は夜が明けるまで前日でしたから14日なのですが、今の暦では1703年の1月30日にあたります。なんと250年(正確には249年)も年は経ていますが、私の誕生日と同じ日でした。

             

『空白の桶狭間』は去年の10月に発行されたもの、既に去年のうちに読んでしまっていましたが、感想を書くのをサボっていました。というより感想と言うほどの感想が無いのです。信長がどのようにして二万を超える大軍を擁する今川義元を討ち取ったのか、そこに加藤氏がつけ入ろうとする謎がありますが、話自体は『信長の棺』を踏襲したもの、秀吉は元々丹波の“山の衆”であり、この戦いに“山の衆”の協力が無かったなら勝利することすら出来なかったことになったという筋書きです。

             

『秀吉の伽』の感想でも述べたのですが、どうもストーリーが『信長の棺』に比べて単調なのです。粗筋だけを追っている感じがしてなりません。

そして『秀吉の伽』で期待した家康の話が未だ書かれていません。家康には謎が少ないというわけでしょうか。家康の時代から100年飛んで元禄、『謎手本忠臣蔵』になってしまいました。

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