ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

信長の棺

2008-10-24 05:00:00 | 読書
同僚のKO君が買った本、飲み仲間のMさんに貸したのですが、上巻の半分ほどで「GIVE UP」と帰ってきたものが、私に回ってきました。

私は読みかけの本があったのですがが、分厚い本が上・中・下巻とあり、少々疲れ気味だったので読んでみようかとは思ったものの、古代から始まっている歴史の探訪は未だ平安時代を超えていないので、いきなり室町末期に行くのは如何なものか、「未だ読みたくない時代やなぁ」と思っていたのですが、読み出すとなかなか面白い、何故Mさんが「GIVE UP」したのか・・・確か「読まれへん字が多うて、意味も不明なものが多いんで」と言ってましたっけ。

       

お話は信長の側近、全国の戦況を信長に報告し、又信長の指令を全国に伝える役目を仰せつかっていた太田和泉守信定が本能寺の変の後、信長に依頼された重い荷物を携えて安土城を脱出する場面から始まります。

太田和泉守は『信長公記』を書いた太田牛一その人であります。側近ゆえの日記から信長の一代記を書けた人なのですが、後に歴史と言うものは勝者の思うがままに造られると悟るようになります(ここが大事です)。

重い荷物は信長の命一つで京に届けなければならなかったずっしりとした木箱が五つ、中を開ける訳にはいきませんが、緊急事態の故、和泉守の故郷の清洲のお寺に隠してしまい、柴田勝家に助けを求めに北陸に向かいますが、何者かに襲われ囚われの身となり、以降救出されるのですが数ヶ月軟禁状態になってしまいます。

和泉守を救ったのは秀吉と利家で、和泉守は「安土の金はどうした」と詰問されるのですが、知らぬ存ぜぬとシラを切ります。

その後、治部殿(石田三成)より、信長の一代記を綴るよう要請される和泉守ですが、当時は自らの意欲もあり、金30枚で引き受けるようになるのですが、その頃から名を牛一と名乗るようになり、居を大阪の天満に変えて隠塞してしまいます。

光秀は何故信長を討ったのかという疑問から、京都水尾・柚子の里で公家・近衛前久との密会をつき止めるところまで話は進むのですが・・・私としては『信長の棺』より『光秀の棺』の方が気になります。

前半は秀吉が催した醍醐寺の花見会に牛一が招待される所で終わります。

       

信長公記を書き上げて、秀吉に謁見した牛一は、秀吉のしつこい書き直しの要求に辟易し、作家としての自負を傷つけられていきます。これでは信長公記は太田牛一著・豊臣秀吉監修なのであります。

この頃天満の蟄居で、一人の若い女を匿うことになるのですが、この女の名付けから、荒木村重の内儀の話になったり、有馬の湯に向かう途中で伊丹の昆陽行基の話が出てきたりするのですが、女の故郷・丹波に旅して、秀吉がこの地の出身であり、この地の約束事を破った人間であることが判明します。

そこから、今川義元を破った桶狭間の戦いや、本能寺の変の知らせで秀吉が何故『中国大返し』が出来たのか等の疑問が解かれていきます。

信長が晩年庇護した南蛮寺と本能寺の間のトンネルや、本能寺の変で亡くなった信長一行を弔った阿弥陀寺の僧、清玉・清如師弟の逸話など、ミステリーとして十分楽しめる内容になっています。

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2 コメント

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丹波出身とは・・・ (summy)
2008-10-24 07:30:32
私は好きそうなお話ですねぇ・・・
まぁ。慣れないと、地名、人名・・・難しいけど、興味津々。ただ、私も、このところ、積読が多い・・・どれから片付けようか・・・
すごい量の本を読んでいますが、ブログにアップしてません・・・まぁ、するほどのこともない本が多くて・・
気に入った作者の本は結構読みますよね。でも新しいタイプの本にはなかなか手が出ない。喰わず嫌いってけっこうあります。
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通説は (ぼんくら)
2008-10-24 13:02:52
秀吉は愛知県の出身ですよね。これは作者が調べ上げたのか、話の構成上丹波の出身としたのか、私には解りませんが、おそらく後者の方だと思います。

出自は、百姓説が多いものの、行商人や大工・鍛冶の職能者という説もあり、この本では丹波の窯に携わる技術者集団の一員だったことになっています。

小泉純一郎の愛読書となっているくらいですから、大風呂敷を広げているところが受けているのかも知れません。

気に入った作者のものは、確かに次も次もと読み重ねますね。私は文体も展開も浅田次郎のものが好きです。
なるべく積読はしないように、次の本を買う時は今の本が残り僅かになってから買っています。
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