ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

秀吉の枷

2009-07-24 05:00:00 | 読書
信長の棺』を読んだとき、書店にはこの『秀吉の枷』が単行本で売り出されていました。意外に早く文庫本に収められることになり、喜んで買って帰りました。

こういう連作ものは、時が空くと興味を削がれる一面があり、『ぼんくら』の続きの『日暮らし』は遅くて遅くて、出版社の意向なのか、作者の意向なのか、空しくなってしまったものですが、この本などは大河ドラマ『天地人』の放映とも相伴って、なかなかいいタイミングだったと思います。

               

このお話、勿論太田牛一を介してのものではありません。信長に本能寺から南蛮寺への抜け穴を掘れと命ぜられるところから始まるストーリーは、『信長の棺』を読んでいなくても解るようにはなっていますが、今回は『信長の棺』のようなサスペンス性が足りないような感じがします。

何故か歴史の展開を再度細かく教えてくれているような、秀吉の行動を年代順に追っているだけになってしまってるように思えるのです。

               

中国大返しのやり方、明智光秀の首検分、信長の葬儀の手配など、秀吉が天下取りを見据えた行動に話の中心があり、秀吉の『枷』とは、本能寺にて信長を襲ったのは光秀なのだが、主君を仕留めたのは実は自分であるという、言うに言われぬ心境なのかと思ったりもしたのですが、そうでもないらしい。

               

今の大河ドラマの秀吉役は笹野高史という役者が演じているのですが、関白・太閤と上り詰めて天下統一を果たした秀吉の姿をこの本で読んでいると、この役者の演じている秀吉がとても似合っているように思えます。演出家は秀吉の人や成りをこの本を読んで演出しているのではないかとも思うのです。但し私は、比ぶべき火坂雅志の『天地人』を読んでいません。

信長の妹・お市の方に執心だった秀吉は、念願であったお市の娘の茶々を側室にすることが出来たのですが、織田家・豊臣家の血の通った跡取りをとの願い、いやただ豊臣家のみの跡取りが欲しかったのではないか・・・正室祢々を初め、多くの側室との間にも子どもがどうしても出来なかった、それが秀吉の枷だったのです。

このミステリーは、茶々との間に出来た拾(秀頼)が、秀吉の実子ではないという推測からなっていますが、ここでも言うに言われぬ立場が枷となっているのですが、茶々がどういう企みを持っていて、拾が誰の子であるという、そういう話は私にはいささかも興味をそそられるものではないのです。

『信長の棺』『秀吉の枷』とくれば、今度は『家康の・・・』が用意されているものと思うのですが、以降200年以上続く天下泰平への足固めをなした宰相・崇伝と天海の両和尚と絡めて、家康の狸振りを描いて欲しいとも思っています。

この物語では、光秀の首検分の際、実は顔自体は潰されていて、本当は誰か判らなかったらしいのですが、秀吉は違いないと認めたのです。光秀がその後どうなったのか、そちらの方が私としては知りたいのですが、天海和尚が実は光秀だったなどという話もあるくらいですから、残る光秀と家康で物語が描けそうではありませんか?加藤さん。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
読書家ですね (ちのと)
2009-07-24 17:29:45
相変わらず猛スピードで本を読んでいるようですね。きょうは古座に来ているのでしょうか。

先日の『夜市』面白そうです!!

以前、ぼんくらさんが不覚にもケガをしてしまったときに、ジュクジュク状態で治していましたよね、きょうそれをテレビでやっていましたあの時は、ぼんくらさんが「エゲツナイ状態をブログに写真入りで載せられたのには、閉口したのですがきょうはその治療法が従来よりも回復が早い・・ということを説明してくれていてあの時、ぼんくらさんを非難したのが申し訳なくてね。

『湿潤療法』というそうで、全国で400軒、近畿では76軒が取り入れているんだそうで、まぁ見た目には辛いものがあるけど、最新医療のひとつだって。でも従来の治療を薦めるところはまだまだ多いそうです。

串本ではやってないだろうなぁ。。。ケガはしないにこしたことはないのだけど(笑)
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猛スピードでもないんです (ちのとさんへ)
2009-07-25 05:25:55
実はこの本の方が先に読み終わっていたのですが、『夜市』のほうが、面白かったので先に感想を載せたのですよ。

この『秀吉の枷』の感想はネタ無しの時の穴埋めです。

あの療法を取り入れている所は、未だ案外少ないのですね。私の入院していたのは我が社の病院,結構大きいので最新の療法を試していたんだろうと思います。

昨日は古座の港で船の写真を撮り、河内さんに行って、誰も居ないお祭り前の写真を撮り、宵宮に出かけました。

神官も巫女さんもいない、本当にこの地元の人たちが、懸命に伝えてきた行事なのだという印象を受けました。

今日は少し天気が悪いようですね。
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