![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/7b/0495d5deb5d46f0cd414c46adadd7e6e.jpg)
梅原猛の本を読み出して久しくなりますが、その難しさとも相まってどの本も感想は書けていません。
ただ、今のこの時期、会社の執っている政策が、梅原氏の展開する柿本人麻呂論と何処か通じるものがあり、その内容と感じるところを示しておきたいと考えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/86/77efd306df1d931c6f1b3ac50ddd37c4.jpg)
柿本人麿は天武天皇以降に活躍した万葉詩人で、日本人なら誰一人として知らない人はいないのではないかと思います。
『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む』
『近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしえ思ほゆ』という万葉集にある和歌はあまりにも有名です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/17/82d58f88f2a9577134291e2491baa841.jpg)
上巻はまず、詩人・斉藤茂吉が探し当てたという人麿の終焉の地に分析を加えています。
『柿本朝臣人麿、石見国に在りて 死らむとする時、自ら傷みて作る歌一首』という詞書の後、『鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ』という辞世の句から、茂吉が探し出した「石見の湯抱の鴨山という地で鉱山の監督に赴いて病死したという説」を、人麿の残した歌を再検討した上でそういうことは在り得ないと反論し結論した梅原氏。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b3/5b1cb4be2a7bbea2d53e4177ae75253e.jpg)
そしてこれだけ高名な人麿が古事記にも日本書紀にも日本後記にも全く出てこないのは何故なのか、ここが梅原氏の疑問の大きなポイントなのかも知れません。古事記や日本書紀を編纂させたのは当時の権力者=藤原不比等、藤原家大事のために一身を捧げた人でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/59/141bb3c6c6c991436baf99dd9209f45f.jpg)
下巻になり、ここからは江戸時代に活躍した国学の契沖や賀茂真淵との対決です。
契沖は人麿を6位以下の下級官人と考え、365首ある人麿歌集にある歌を疑い、真淵に至っては人麿の歌ではないと削除してしまったのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/b3/5b1cb4be2a7bbea2d53e4177ae75253e.jpg)
梅原氏は人麿が今まで言われてきたより20歳くらい歳をとっていて、身分も五位以上、持統天皇に寵愛されたが、藤原不比等の律令政治の登場とともに宮廷を追われ、流罪、ついに石見の海で刑死したのではないかと考えています。
さて、律令政治が始まったばかりとは言え、現在のように何が罪で、その罪によってどういう処罰を受けるのかは定かでなかった時代に、人麿は不比等らによってどういう罪を咎められたのか?五位以上の官吏が国史に出てこないのは何故なのか?
人麿は何か不比等らの気に入らないことをしたのか、それとも不比等たちとは違った考え方だったのかも知れません。そこらのことは何も残ってないので不透明である事は確かです。
ここで冒頭に述べた会社の態度が興味深い。
我社は社員を50歳で一旦退職させ、15~30%の賃金カットでグループ会社へ、65歳まで再就職をさせることを労資間で決めました。
会社に残る人が0人なら我社は潰れてしまいますから、会社に残る人がいるのは前提で、我社に残ると賃金はそのままですが、60歳で定年、全国津々浦々何処へでも行って、どんな仕事でもやってもらいますよという条件がついています。
そして「じゃ、会社に残りますわ」と決断しようものなら、管理職から呼び出され、散々アレコレ言われて、決意を撤回させられてしまっているのです。
それでも我社に残らなければ仕方がなかった社員は、オカミの言うことに従わなかった『罪人』として「全国何処へでも=流罪」にされてしまうわけです。とどのつまり50歳で退職を選ばなかった人は柿本人麻呂であり、菅原道真であり、又、源頼朝でもあるわけで、切腹までとは至らなくても千利休なのでもあります。多分そのことの方が名誉だと思っている人もいるかも知れません。
執拗な管理職からの『説得』があるとは言え、無意識のうちに多くの社員達は『島流し』=『罪人』にはなりたくないという気持ちが働いているのでしょう。内心「納得できない」「おかしい」と思いながら、泣く泣く50歳で退職していくのを余儀なくされるのです。
こうなれば表面的には50歳に到達すれば、今まで当たり前のように長年働いてきた会社を、まるで自分の意思で辞めていくように見えてくるのです。
会社は50歳で退職に応じなかった者=罪人、罪人=島流しという古代から延々脈々と続く構図を描き、社員が罪人にはなりたくないという心理をうまく利用して支配していることが明らかになってきているのではありませんか。
権力というものは、古代律令国家の成立時より先の大戦が終わるまで、その意図することに反する者に対しては、徹底的な排除を命じてきました。
しかし今は民主主義の時代です。新自由主義や構造改革路線が跋扈するようになってから、人民には大きな犠牲、大企業には大きな優遇という構図が続いていますが、法の基には絶対に資本家も労働者も平等なわけです。
会社のこの姑息なやり方を追及し、自分達の権利はあくまでも守っていかなければならない時期にきています。
そして今が、その『島流し』が言い渡される(人事異動がある)時期なのですが、今回『信長の棺』を貸してくれたKO君にその白羽の矢が立ったのです。途端に彼は苦しみだし、今は1ヶ月の診断書を提出して病気休暇で療養中です。
彼は単身赴任がいやだったのか、罪人になるのがいやだったのか、深いところは解りませんが、会社のやり方によって病人が出たのは事実です。とすればこの病気は業務災害ではないのか・・・事は大きく発展するかも知れません。
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ただ、今のこの時期、会社の執っている政策が、梅原氏の展開する柿本人麻呂論と何処か通じるものがあり、その内容と感じるところを示しておきたいと考えました。
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柿本人麿は天武天皇以降に活躍した万葉詩人で、日本人なら誰一人として知らない人はいないのではないかと思います。
『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む』
『近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに いにしえ思ほゆ』という万葉集にある和歌はあまりにも有名です。
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上巻はまず、詩人・斉藤茂吉が探し当てたという人麿の終焉の地に分析を加えています。
『柿本朝臣人麿、石見国に在りて 死らむとする時、自ら傷みて作る歌一首』という詞書の後、『鴨山の岩根し枕けるわれをかも 知らにと妹が待ちつつあらむ』という辞世の句から、茂吉が探し出した「石見の湯抱の鴨山という地で鉱山の監督に赴いて病死したという説」を、人麿の残した歌を再検討した上でそういうことは在り得ないと反論し結論した梅原氏。
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そしてこれだけ高名な人麿が古事記にも日本書紀にも日本後記にも全く出てこないのは何故なのか、ここが梅原氏の疑問の大きなポイントなのかも知れません。古事記や日本書紀を編纂させたのは当時の権力者=藤原不比等、藤原家大事のために一身を捧げた人でした。
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下巻になり、ここからは江戸時代に活躍した国学の契沖や賀茂真淵との対決です。
契沖は人麿を6位以下の下級官人と考え、365首ある人麿歌集にある歌を疑い、真淵に至っては人麿の歌ではないと削除してしまったのです。
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梅原氏は人麿が今まで言われてきたより20歳くらい歳をとっていて、身分も五位以上、持統天皇に寵愛されたが、藤原不比等の律令政治の登場とともに宮廷を追われ、流罪、ついに石見の海で刑死したのではないかと考えています。
さて、律令政治が始まったばかりとは言え、現在のように何が罪で、その罪によってどういう処罰を受けるのかは定かでなかった時代に、人麿は不比等らによってどういう罪を咎められたのか?五位以上の官吏が国史に出てこないのは何故なのか?
人麿は何か不比等らの気に入らないことをしたのか、それとも不比等たちとは違った考え方だったのかも知れません。そこらのことは何も残ってないので不透明である事は確かです。
ここで冒頭に述べた会社の態度が興味深い。
我社は社員を50歳で一旦退職させ、15~30%の賃金カットでグループ会社へ、65歳まで再就職をさせることを労資間で決めました。
会社に残る人が0人なら我社は潰れてしまいますから、会社に残る人がいるのは前提で、我社に残ると賃金はそのままですが、60歳で定年、全国津々浦々何処へでも行って、どんな仕事でもやってもらいますよという条件がついています。
そして「じゃ、会社に残りますわ」と決断しようものなら、管理職から呼び出され、散々アレコレ言われて、決意を撤回させられてしまっているのです。
それでも我社に残らなければ仕方がなかった社員は、オカミの言うことに従わなかった『罪人』として「全国何処へでも=流罪」にされてしまうわけです。とどのつまり50歳で退職を選ばなかった人は柿本人麻呂であり、菅原道真であり、又、源頼朝でもあるわけで、切腹までとは至らなくても千利休なのでもあります。多分そのことの方が名誉だと思っている人もいるかも知れません。
執拗な管理職からの『説得』があるとは言え、無意識のうちに多くの社員達は『島流し』=『罪人』にはなりたくないという気持ちが働いているのでしょう。内心「納得できない」「おかしい」と思いながら、泣く泣く50歳で退職していくのを余儀なくされるのです。
こうなれば表面的には50歳に到達すれば、今まで当たり前のように長年働いてきた会社を、まるで自分の意思で辞めていくように見えてくるのです。
会社は50歳で退職に応じなかった者=罪人、罪人=島流しという古代から延々脈々と続く構図を描き、社員が罪人にはなりたくないという心理をうまく利用して支配していることが明らかになってきているのではありませんか。
権力というものは、古代律令国家の成立時より先の大戦が終わるまで、その意図することに反する者に対しては、徹底的な排除を命じてきました。
しかし今は民主主義の時代です。新自由主義や構造改革路線が跋扈するようになってから、人民には大きな犠牲、大企業には大きな優遇という構図が続いていますが、法の基には絶対に資本家も労働者も平等なわけです。
会社のこの姑息なやり方を追及し、自分達の権利はあくまでも守っていかなければならない時期にきています。
そして今が、その『島流し』が言い渡される(人事異動がある)時期なのですが、今回『信長の棺』を貸してくれたKO君にその白羽の矢が立ったのです。途端に彼は苦しみだし、今は1ヶ月の診断書を提出して病気休暇で療養中です。
彼は単身赴任がいやだったのか、罪人になるのがいやだったのか、深いところは解りませんが、会社のやり方によって病人が出たのは事実です。とすればこの病気は業務災害ではないのか・・・事は大きく発展するかも知れません。
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話は変わりますがが、もうすぐ紅葉ですね。
今年も高野スカイラインで、護摩壇山へ行ってこようと思ってます。
しかしあのスカイラインは名ばかりで、それまでの山道よりひどい道です。
紅葉といえば、古座川の光泉寺の大イチョウは見事です。去年は11月下旬に行って失敗しましたが、今年は12月の中旬の遅い時期に釣りを兼ねて行ってみようと思っています。
去年はとてもタイミングがよくてきれいですた。赤い山でかわいかったですよ。
大イチョウって興味あります。
どうなんでしょう?
ちょっと調べてみます。
調べると、高野スカイラインは見頃のようです。16日、行って来ます!