ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

真田山公園

2013-09-17 05:00:00 | 大阪にて

大阪では先々週水曜日に大雨が降り、以降朝夕はめっきり涼しくなりました。夏に予報されていた厳しい残暑は何処へ行ってしまったのか、それはそれで結構なことなのですが、以降もややこしい天気は続き、やっと先週の月曜にに久々の快晴となったのでした。

             

写真は大雨が降った4日の午後2時半、いつも見えているハルカスが全く見えないほど雨がきつく降っています。昨日の台風18号でもこれほど降ってはいません。それから4時間後、雨は止んで大きな虹が東の空にかかりました。虹の右脚は二上山の方角でしたから、かなり大きな虹でした。

             

三光神社に隣接する公園が真田山公園ではなかったので、よく耳にする真田山公園ってどんなところだろうと思って、陸軍墓地を出た後、宰相山公園の階段を降り、道路を南へと歩いてみると先に信号があり、その向こう側が広くなっていたので、そこが真田山公園だなと思ったのでした。手前には天王寺スポーツセンターの建物があり、その一画にはプールもあるようです。

               

この日は高校生とおぼしき生徒たちが授業で使っているようでしたが、1段高いところに広い野球場があり、隣接してテニスコートもありました。周りはジョギングコースが整備されており、公園と言うよりスポーツ広場という感じです。

             

真田幸村が何処に陣地を構えたのか、その事実は未だ未解明のようですが、宰相山にしても真田山にしても、上町台地のより小高い所だったのには違いありません。家康が陣を築いたと言う茶臼山には真田山の方が近く、対峙するには真田山の方を選ぶでしょうが、百戦錬磨の幸村は一旦真田山を越えさせ、宰相山との谷間で敵を迎え撃つ作戦をとったかも知れません。

             

何か遺跡か遺物は無いかと一周しましたが、何も見つけられません。石が遺構風に並べられていたのですが、何の説明も無く、ただの石を並べただけのようでした。

             

歴史的な遺構とは関係なかった真田山公園、帰り道に『真田山子どもクラブ』という学童保育を見つけました。お寺の一画を借りているようです。

               

ところで私の子供が通っていた岸里学童保育所、私の住むマンションの1階は(以前はあのカナエだった)大阪厚生信用金庫が使っていますが、その玄関に岸里学童の子供たちの似顔絵展と銘打って大々的に貼りだしていました。斜めから撮っているのは、正面から撮ると私がガラスの反射で写ってしまうので、2枚撮っているのはガラスの枠で見えない絵が出来てしまうからです。 

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