ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

宰相山公園

2013-09-12 05:00:00 | 大阪にて

三光神社から南の方へ歩くと公園(境内の続きかと思った)があり、すぐ右手に真田幸村の像があります。真田幸村といえば大阪冬の陣で大坂城の南をこの地真田山に出丸を築いた武将、出丸の周りに空堀を巡らせ、徳川方を散々苦しめたので、今も空堀の名は町名として残っています。

       

像の横に『真田の抜け穴跡』と名付けられた大坂城に続く史跡があります。格子で阻まれて中を探索することは出来ませんが、少しだけ写真に収めることが出来ました。自分が立っている方から穴を見ると、大坂城へは右方向なのですが、よく見ると右は行き止まりで、左へと穴が続いているように見えます。きっと右へ掘ると大坂城に続いていると思われるので、一旦左へ迂回させたのかも知れません。でもこの穴が本当に大坂城まで続いているのか、それは明らかになっていません。

             

幸村像の台座には真田石という石が使われているようになっています。でも所謂『真田石』は信州上田城の本丸入り口右手にある大きな石を指します。その石から切り取って来ない限り真田石とは言わない筈、これはきっと真田石ではありますまい。

             

幸村像を過ぎると公園らしき広場が見えてきます。梅雨の間の束の間の晴れ間ではありませんが、この週はずっと湿気の多い一週間でした。少し見える青空も夏の鮮やかさがありません。

             

公園には『三光さくら』と刻まれた石碑が有り、この公園はサクラで有名なようです。なのでどれが『三光さくら』なのかと見回したのですが・・・

             

周りにはケヤキらしき樹とイチョウ、低木のツツジしか植わっていません。石碑を置く場所を考えて置いてくれないと困ったものです。サクラの樹自体はあちらこちらにあるので、『三光さくら』という固有の樹があるのではなく、この公園に植わっているサクラをそう呼んでいるのでしょう。

             

公園の南の方から三光神社の方を眺めた公園、遊具もあるので児童公園なのでしょう。

             

地図上では三光神社の南方に真田山公園があったのでここが真田山公園かと思っていました。でも階段を降りていくと、宰相山公園の名が表示されていました。真田幸村はいったい何処に二の丸を築いたのか、三光神社の横に像があったので、その辺りかと思ったのですが、どうやらそうでも無さそうです。幸村が陣を築いたから真田山と呼ばれるようになったのであり、三光神社の横に築いたのなら、ここを宰相山とは呼ばなかった筈です。

                       

この公園の至る所で見える“バラの花は心で見るもの 取ってみても心が美しいと見えません!”という標語、私にはピンときません。何が言いたいのか、それは“バラの花を折るな”と言うことなのでしょうが、 言いようが回りくどくて観念的で、上手な標語とは思えないのです。“花は心で見るもの”などは、私など凡人には為し得ない、目で見て、脳が反応して、心で感じるの順番になってしまいます。“心が美しいと見えません”なども、どういうつもりなのか、物を盗るという行為自体がすでに美しいなどという表現からして別の次元、美しい醜いではなく、間違った行為なのです。宰相山公園愛護会会長、玉造本町南振興町会会長の名で張り出されていますが、誰か意見する人はいないのでしょうか。

と、ここまで書いてやっと言いたいことが解ってきました。きっと“取って(折って、盗んで)からでは、見ても心は美しいとは感じないですよ”と読むのですね。素直にそう書いて欲しいと思います。

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