ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

台風15号に備えて

2013-09-06 05:00:00 | 田舎

シリアという国がが内戦で化学兵器を使ったとかでアメリカが軍を派遣して干渉するという姿勢を見せていますが、官房長官は「化学兵器の使用は人道上、いかなる場合でも許すことは出来ない」と述べました。化学兵器の使用に関してはその通りだとは思うのですが、では何故「いかなる状況下でも核兵器が二度と使われない」と訴えたNPT(核不拡散条約)再検討会議に於いて提出された署名に不賛同の立場を表明したのか、広島でも長崎でもこの夏の原爆記念日に各知事から政府に対する抗議の演説がありました。地球上唯一の被爆国である我が国が、まさか化学兵器はアカンけど、核兵器やったらエエねんなどと言うのではないでしょうね。


台風の話題は17号に変わり、もうその台風も藻屑の泡となっていますが、これは1週間前の話、9月1日の日曜日に帰ろうと思っていた今回の帰省、私としては9月第1土曜の7日までに大阪に戻れば良かったのですが、三男がお盆の終わりにクロスロードに乗って帰り、月末に迎えに来るという約束でした。ところが8月の最後の週は台風15号が発生し、東へと進路を取る可能性があるという予報が出され、週の半ばあたりから船を避難港へ移動させる船が増えてきました。

私の船もどうにかして元の岸壁へ移動させねばなりませんが、避難した船の艫はロープでお互いを繋ぎ合っているため、そのロープをほどき、船のスペースを空けなければ接岸させることは出来ません。なので三男に金曜日の仕事が終わったらすぐ来るようにと電話をするのですが、土曜日になってからしか行けないと言う始末、外海は少々波が高いのですが、大島の裏、串本港内は波は静かだったので、金曜日の朝は早くから何処か一人で着岸できるところは無いかと探していたのです。

             

元の港内に戻り、何処に停めようかと思案していると、元停めてあった私の船の数隻横に停めている船の持ち主がスクーターでやってきました。その人とは何度か会っていて、少しは話をした間柄です。おそらく自分の船を点検しに来たのでしょうが、私の船を見つけるとこっちへ来いと合図します。私の停めてあったスペースは船1台分は空けられるようになっていましたが、周りの船は1本のロープで何隻もの船の艫をしっかりと繋いでいるので、それを解いて入って来易いようにスペースを空けてくれると言う配慮なのです。

お言葉に甘えて無事船を着岸させることが出来、舳のロープも岸に結わえ、艫も左右隣の船と結わえましたが、それほどきつく結わえるものかと思うほど、何重にも結わえています。もし私一人だったら適当な所に船を付け、隣の船に結わえたとしても、そんなに頑丈には結わえなかったと思います。

             

普段は車で岸壁を行き来するので気付かなかったのですが、車の回転場の横で無残にもボートが1隻沈んでいました。接岸したボートがどのような理由で沈んだのかは知る由もありませんが、沖合でなくて幸いです。

       

この波止場、GWに見た時と様子が違います。左の写真の正面はコンクリートが無く、行き来できるようになっていて、車も入っていたように思います。その代り階段をつけたので、釣には利用できるようです。ここはアオリイカを狙ってる人が結構やって来る波止場なのです。秋のシーズンになって再度訪れた人は驚くでしょうね。

        

伊串漁港でも台風に備えて船を陸揚げしていました。7~8人がかりで、みんなが協力してやっているのでしょう。でも未だ5隻ほどの船が残っていましたが、その後どうなったのでしょう。

         

ここは旧フェリー乗り場、串本海上保安署がある波止場です。どの船も未だ避難した形跡がありません。この辺りではこの港が一番脆弱な感じ(波に弱そう)を受けるのですが、何処にも避難しないくて良いのでしょうか?

ところで船を接岸させた後、三男から電話があり、「土日は雨やから今日仕事終わってから迎えに行って、今日中に帰る」と言うのです。串本では雨など降っていませんでしたが、大阪では当日朝から相当な雨が降ってたらしく、慌てたのでしょう。昼2時に出て5時半ごろ到着、6時過ぎに串本を出たのですが、何処まで行っても少し通り雨が降るだけ、翌土曜日は朝から晴天で、台風の備えも不要だったのではと思ったくらいでした。大阪は日曜になって雨が降り出し、月曜まで降っていました。

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