ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

江戸三 Ⅱ

2013-01-21 05:00:00 | 大阪にて

江戸三(えどさん)という店は、江戸時代の文化文政の頃より現在の大阪市西区江戸堀3丁目辺りで商いをしていたようで、そこから江戸三という屋号の由来が来ているといいます。私は勤め出してから28年間中之島に勤めていましたから、土佐堀や江戸堀などは職場からは遠くなく、地下鉄で降りる駅も肥後橋だったので何か懐かしいものを感じるのですが、江戸堀3丁目から江戸三と取るのは無理があるように思えて仕方ありません。

この館の創業が明治40年、志賀直哉、小林秀雄、藤田嗣治、小出楢重、堂本印象、池波正太郎等が訪れたとも記されていました。紹介されている6人のうち、最初から3人と最後の人たちは知っていますが、中の二人は全く知らない人、我が国の中でも知らない人の方が多いのではないかと考えると、そう自慢するほどのことでもないではないかと思います。志賀直哉などはほん近くに住んでいたぐらいですから、訪れたとしても不思議ではありません。

             

この館での新年会は料理の他に部屋に飾られている幾つものものに目が奪われ、付加価値が高まります。こちらは上座の上に飾られていた面、どれも古いもののようですが本物かどうか、と言うのは一番右の天狗の鼻のような面には“正倉院御物伎楽面之一 銘東大寺財福神”とあり、真ん中のには“東大寺公物伎楽面 建武二年二月十四日・・・”と見られ、一番左のものには“氷室神社宝物舞○荒序陵王面 南都興福寺北円堂・・・”と記されていますから、そんな大切なものを無防備な館に置いておく筈がないのです。
 
             

    

下座の間には金箔の屏風、西行や小野小町、藤原定家の絵や句が貼られていましたが、裏はどんなものかと見てみるとひどい破れようです。

           

部屋から外の様子を窺がうと、すぐ傍までシカがやってきますし、他の江戸三の館も見ることができます。
  
        

そうです、この江戸三という料理屋は一棟ではなく、広い敷地に数棟の館があり、一つ一つに名前が付いているというもの、最初の写真の私たちが使った館には『八方亭』という名が付いていました。この三連の写真の真ん中が母屋のようです。

                       

江戸三の場所は興福寺の南東、春日大社の一の鳥居の横の脇道を斜めに入ればすぐ、往きはタクシーだったので帰りは歩きました。どうやら春日大社も再来年は遷宮があるようですが、式年造替と名付けられていました。伊勢神宮は20年毎、出雲大社は60年毎でしたから、この春日大社は何年毎かと思ってホームページを見ましたが、造替に係る記事はありませんでした。次回が60回目と言うことは60年に一度ということではありますまい。ここも20年に一度なのでしょうか、でも再来年を平成27年と書くのは早計です。いつ何時今の天皇が崩御するか、誰にも分かりませんものね。西暦で書いておくのが妥当でしょうね。

             

解散するには時間があるので奈良ホテルでコーヒーでも飲もうと言うことになりましたが、私は奈良ホテルが何処にあるのかさえ知りません。順路を間違えてあちらこちらとさまよっている間にこんな案内板のあるところへ来てしまいました。奈良町界隈なのですが、元興寺の名も記されています。“鐘楼に鬼が現れ・・・”とありますから、きっとこちらの元興寺なのでしょう。

                       

途中、興福寺の五重塔の下から、正月なので皆さん春日大社へお詣りするのか、こちらは案外空いていました。

             

やっとの思いで辿り着いた奈良ホテル、もっと大きくて近代的なものかと思っていました。ここのコーヒーを飲もうと言い出したのは誰だ!?飲めるまで1時間近くも待たされた上、1杯1000円以上もするではありませんか。それだけあれば肴一品付きでお酒2合は飲めますよ。

             

帰り道、隣にあった聖ラファエロ教会、もう5時を回っていました。

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