ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

12月23日の釣り

2013-01-16 05:00:00 | 田舎

今日のタイトルの一部に12月23日とありますが、この日は今盛んにニュースで流れている大阪市立桜宮高校のバスケットボール部のキャプテンが顧問教諭の体罰を苦にして自殺した日でした。そんな事とは露にも知らない私は呑気に釣りなどしていたのですが、殆んどの方がこの事を知ったのは年が明けて先週のこと、私が安穏としていたからと言ってとりわけ責められることもありますまい。しかし42年も前の事とはいえ、府立と市立、サッカーとバスケの違いこそあれ、大阪市内の公立高校で体育会系のクラブに所属していたのですから、気にならないわけはありません。私の所属したクラブの顧問といえば、部として存続させるために誰でもいいから先生の名前が必要だったので、名前を貸してくれた社会科の教師でした。なので練習にも試合にも全く無関心であり、私は顧問から体罰を受けようにも受けたことはありません。かと言って体罰を受けたことが無いこともないのです。いつの日か通学に利用していた電車がいつも満員で遅れることもしばしば、始業時間に間に合わず怒られたと綴ったことがありました。門前で待ち構えていた他のクラブの顧問の体育教師に呼び止められ、ビンタを喰らったことがあるのです(勿論その電車に乗っていた私たちの学校の生徒全員がです)。試合に負けたからと言って先輩に運動場を何十周も走らされることもよくありました。要するに体罰なんて理不尽なもの、そういう風に感じていた3年間、そして卒業してからも私は後輩に対して一度も手を上げたことはありませんし、殊更厳しい練習を強要したこともありません。

             

私が高校を卒業したのは1970年、ベトナム戦争反対や安保条約反対の機運の高い時期であり、東京で革新都政が、大阪で革新府政が、福岡で革新県政が誕生したのもこの頃でしたが、そういう政治的な課題には無頓着だった私も人権を尊重するという風潮に染まっていったのでしょう。社会人になっても当時関西社会人リーグ所属の会社のサッカーのクラブチームに入部しましたが、練習は厳しかったし、怖い先輩もいましたが、体罰などはありませんでした。体育会系のクラブで体罰なんてあってはならないとは思っていましたが、だからと言って皆無であるとは思っていませんでした。私なら体罰があり苦痛に感じたならさっさとそのクラブを辞めますが、このバスケの生徒は死ぬことを選んだのですね、バスケが余程好きだったのでしょうが、バスケが出来るのは何も高校のクラブだけではありません。バスケにもプロのチームがありますから、バスケを続けたいならそのチームの養成クラブに入れば良かったのに。

私は体罰=暴力だと思っています。指導者による独裁体制を保持することが目的だと思っていますが、決して選手は監督の奴隷ではありません。選手たちがどうしたら強くなれるのか、どうしたら強豪チームに勝てるのか、そういうことを自主的に考える力を削いでいる結果になっていると思います。現にサッカーなどは私がプレーしていた頃とは全く違ったフォーメーション、いろんな戦術で成り立っています。個人技の高い選手にボールを集める方式だけでは絶対に勝てない、ゲームでは点を取らないと勝てないのですから、ワンマンではなくツーマン・スリーマンぐらいでないと厚い壁をなかなか突破できないのに、そうすることによっていとも簡単に点が取れてしまうケースをよく見かけます。自分たち同士で考え、練習を積み重ねる努力が如何に必要か物語っていると思うのです。

             

橋下大阪市長が遺族に面会して謝罪の上で、自らが「体罰を容認していた考えを反省し、考え方を改めなければならない」と述べたと聞いています。でもそれはスポーツでの指導の場合に限ってのことらしい、「手を上げる指導は、認める意味や効果がないと感じている」と言うのです。如何にも効率、成果のみを追求する新自由主義者の考え方そのものですが、それでも体罰を否定する立場を表明しました。しかしそれだけではアカンと思う、子供の人権を尊重するという視点が欠落しているし、そう思っていても発言していないとすれば、どのような人にも人権は存在することを容認することであり、今までの自らの行為や発言を否定することに繋がるからなのかと勘繰ったりもしてしまうのです。体罰を否定するのは上達したり、ゲームに勝つためだけではなく、人権を尊重するという立場が欠落してはならないと考えます。

釣りの話ではない話を長々と綴ってしまいました。これで私の体罰に関して考えていることを全て書き切れたとは思っていませんが、そろそろ本題に。

             

場所は安指の地磯、日曜日なので大島港はいっぱいだろうと言う想像で、安指に行くことを決めたのですが、到着は10時半ごろでした。いつもより潮位が高く、平らなところは濡れているので、Y下君は前に来た時の釣座、私は左の小山を越えたところに釣座を構えました。

やはり三連休の中日なので若い人たちが幾人も釣りに来ています。

             

私の釣座は右横からの風が物凄く、釣りをしていられません。Y下君の方は右手に大きなテトラがあるので、少しは風除けになっていたようで、以前と同じようにイズスミが釣れたと言っていました。私は大きなアタリがあったのに10cmにも満たないそれこそホンマの木っ端グレが1匹だけ、ネコもサギも居ないのですぐに海に帰してあげました。結局ウロウロしたのを含めて、2時間ぐらいで釣りは切り上げたのでしした。

             

釣座近くの水溜りに何か動いてると思ったら、20cmぐらいのサンノジが入っていましたが、いくら大潮の満潮になってもこの魚が海に帰れることはないでしょう。オキアミを入れてあげても食べる様子も無く、この小さな水たまりで衰弱死するのでしょうね、ナンマイダ・ナンマイダ・南無阿弥陀仏。

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