一昨日の記事で体罰について書きましたが、違う観点でこの報道について思っていることがあります。高校生が体罰を苦に自殺にまで至ったから大々的に報道されているのだろうと思うのですが、自殺する人は年間3万人にも達する我が日本国、その一人一人が何らかの苦悩、絶望を抱いての結果としての死の選択だと思うのです。何もこの高校生だけが苦悩の末に自殺したのではありません。大津市でのいじめによる中学3年生の自殺も大々的に取り上げられていますが、共通するのは両者とも未成年だと言うこと、未成年者が自殺するのと成人が自殺するのとどう違うのか、死を選択しなければならないほど苦しんでいるのはどちらも同じなのではないのか、3万人もいる自殺者についていちいち報道していられない、原因を突き詰めてはいられないのはそうかも知れません、1日平均で約100人もの人が自殺しているのですから。でも1日に約100人もの人が自殺する国家をおかしいと思わないのか、そのことぐらいジャーナリストは考えてみて欲しい、他の自殺者の苦悩とも向き合ってあげて欲しいのです。
9日付の拙ブログに『大辺路(和深)』のタイトルでチョコッと載せた新年会、前日までの2日間を飲み過ぎて、この日は食欲も酒欲もほとんどありません。それでも最初から食前酒、切子グラスに入っているのはゆず風味仕立ての梅酒だとか、ジュースみたいでボォっとしている頭には美味しいものでした。
お膳に一人当たりに敷いてある紙、ランチョンマットとは呼ばないのでしょうが、この紙に書いてある詩が大伴家持のもの。“正月立つ 春の初めにかくしつつ 相し笑みてば 時じけめやも”と達筆でしたためてあります。おそらく、正月になった、このめでたい春の初めに、こうして皆が集まって互いに笑い合うのは、まことに時節に相応しいことだと言う意味なのでしょうが、なかなかタイムリーな詩を探し出したものだと感心しています。
2時間余りの会に出てきたお料理、これで全てだったとは思いませんが、殆ど撮っています。しんどい筈なのにお酒まで別注してしまいました。これで一人当たり1万円のコース、子供(うちの孫)には別の料理を注文してありました。
2時間も経つと中学生になったとはいえ子供は退屈です。そろそろ会計を・・・総額9万を超えてしまいました。いったい幾ら飲んだのか?でも会場の雰囲気といい、古谷魚店のイセエビ鍋より価値のある支払だったと思っています。