船並の地磯を30分ほど歩いたのでもう10時を回っています。この日は案外暖かく、ダウンジャケットを着て行った私はもう汗ばんでいます。港を振り返ると昨日の最後に紹介した二人はもう小高い地磯を歩いていますが、この写真では確認することは出来ません。
港から歩いて紀勢線と42号線のトンネルを潜ります。写真をよく見ると真ん中や右側に丸い何かがボヤっと写っています。レンズに何か付着したのかと思ったのですが、一つ前の写真も後ろの写真もこのようなものは写っていません。気付いたのは今ですからいいようなものの、ここに居た時に気付いてたら気色悪いというものです。このトンネルを車で1回、歩いて1回計2回報復していますが、何事も無くこうやってブログを綴っているのですから、別段怪しい物が居たのでは無かったようです。
トンネルを抜けると『大辺路』の案内標、どうもこの案内標は曲者です。この写真の札や立っている札には問題は無いのですが、必要な所に立ってないというのが、後になっての感想です。私は車でこの案内標の左側からやってきて、港に車を置いて、再びここまで歩いてきたわけです。そして右の方へ歩いて行くのです。
42号線を渡り、山側の道をこっちやろかと思いながら歩いていくと『大辺路』の立て札、いつもの菅笠模様のものとは違うので騙されているのではないかと疑ってしまいそうですが、指示通りに行かなければ、他に道を知りません。結局のところ従って正解でしたが、立て札、案内標は統一しておいて欲しいものです。
5分ほど山道を歩いて、ここで問題は発生、私は手前の落ち葉のある道を歩いてきました。ここで右に陽が当たっている方への道と、左へと向かう道が分かれています。ここに案内標が無いのです。どちらを選択すればいいのか分かりません。一度右の方へ登って行きましたが、すぐに民家らしき建物が見え庭のように思えたので引き返し、左の道を選択しました。
少し歩くとすぐにこちらも民家沿いの道、以前も民家の横を通っているので、そのまま進みましたが、2分も経たないうちに行き止まり、反対方向にある道も行き止まりでした。
間違っていたと思い引き返します。迷った所まで戻り、やっぱり騙されていたのかと思い戻ろうとも思いましたが、陽の当たっている方の道をもう少し行ってみようと思って進むと、案内標に遭遇、やっと一安心です。どちらの道を辿ればいいのか迷うそうな所には案内標を立てておいて欲しいものです。私のように一人でやって来る人もいるだろうし、第一、地元のガイドさんに連れてもらうなら案内板など要らないのですから。
陽の当たる集落を抜けて再び山道へ、この山道への入口でも多少悩みました。独りで来た人には悩ませるようにわざわざ案内標を立てていないのかも知れないと勘ぐるようになったくらいです。和深で見た地図には古い石畳の階段があると書いてありましたから、この道で間違いないとは確信しています。
坂道を下りきると取って付けたような新しい橋、橋の名前はありません。未だ真新しく、木の香りも漂っています。わざわざ橋を付けてくれているのですから、道も間違いなさそうです。
でも手前の橋の下は水など流れていませんでした。大雨が降ったら水かさが増して、川になるのかも知れません。こちらは奥の橋の上から見た上流方面。
新しい橋を架ける前はどんな状態だったのか知る由もありませんが、古くて今にも朽ちそうな橋が架かっていたのか、それとも石伝いに渡っていたのか、興味を惹かれます。
小川には両側に石垣が施してあり、手が加えられていることから、この川がこの辺りの人にとって生活上必要なものであることが窺えますが、川沿いの道を登っていくと何ほども行かないうちに川はトンネルの中に消えて行ってしまいました。googleの地図で調べても川自体が載っていませんし、国土地理院の地図で調べると川は有りますが、名前も書かれていません。地図で見ていると、どうやらこの川は海へと注いでいないようですが、では水は何処かへ溜まっているのかと思うとヘンですよね。
川沿いの道を登りきって、また陽の当たる広い所に出ます。ここにも『大辺路』の案内標があります。明日書きますがこの案内標もやっかいな代物でした。
この前日、NHKで報道していたゴーラが設置してありました。NHKでは造り方など取材していましたが、あれは古座川河口だったように思います。このゴーラを一つ造るのにもたいそうな手間がかかっていましたが、このゴーラも新品のようです。私がNHKの放送を見、ここで新しく設置されたのを見たのはたまたまなのでしょうね、古座の人が安指のこんなところまで設置しに来るとは思えません。