おはようございます。
柏に異動し、柏ビレッジの借り上げ社宅に入居。仕事で飲む日は妻に送って貰えました。研究所に私の机と部員の机3つ用意され、人が増えたら広げると仏の係長とあだ名があった係長が言いました。
1年前に研究所が発足。先住民が多数派でした。新参者は私と3名。同時期に奈良から異動してきたIC設計で有名な課長とその部下、数名。隣合わせでした。仕事も私的な付き合いもありませんでした。
楽しい仕事が最優先の私は大間違い。公私の因果は逆でした。可愛い女子社員が数人。全体の女性比率が30分の1程度でした。異性関係不足、恋煩いの男性が多く問題が発生し係長は苦労しました。
米国の半導体界で有名な人が所長になる計画を佐々木氏が語っていましたが、有名人は給料が安いと言い、インテル研究所所長に。半導体研究部長も関西企業に転職。部下が哀れでした。
1年後、元所長が市ヶ谷に異動。全社の研究担当に出世しました。代わりに前NTT研究所部長、博士号を持つ人が天下り。厳しい所長でした。郡山や天理の所属の私達などあり得ないと直接私に言いました。
昔の事業部長に勧められ、2年後に新築住宅に転居。バブル直前でした。新年度、隣の課長の天理時代の上司が副所長になる、社宅を掃除して欲しいと係長に頼まれました。奥様が連休後に来る予定の副所長を社宅に案内しました。
でも副所長になり、連休後に奥様は来ず、ボーナス後に退職し関西企業に転社。真意は知りません。隣の課長は阿含宗の跡取り娘と結婚。退職し宗教家になりました。地獄の法に阿含宗の記述があり、私は古い日本の無神論者です。
関東圏の大学の研究室を巡り、退職者や志望学生を探しました。UNIX、データベース、ネットワーク、AIなどの人材を強化すれば良いと楽観していたのも間違いでした、経験だけは色々しました。
研究所の総務も新人も大変でした。私の部門は少数でしたが人間関係に問題がありました。学校、大学時代に褒められた多くの成績優秀者は自己責任の研究が苦手でした。
私はデータベース、ICOT、電子化辞書などを担当し、ベンチャ企業を訪問し、学会活動や女子大非常勤講師を楽しめました。誰が決めたか、所長が2年後に奈良に飛ばされ、ボーナスを貰い理科大教授になりました。
当時はバブル後の景気真っ盛り。会社は急成長し社長が名誉の引退。浅田副社長が退職し任天堂に。私は営業にも浮気し飛び跳ね、新しい楽しい経験をしました。研究管理は部下の係長2人に任せました。
柏から幕張新研究センターに数年後、ほぼ全体が移動。課長になった仏の元係長が旗振り。優しい係長は幸福の科学の信者だとこの頃知りました。仏は掛詞でした。随時随所楽しまざる無し。南無大師金剛遍照。
異動して
我が道選び
動くだけ
今日はここまでにします。
80年代の初めから、日立のIBM情報を盗みにいった事件、米国からのプログラム著作権の押しつけから、IBM互換からネオダマ時代(ネットワーク、オープン化、ダウン・サイジング、マルチメディア)が到来し、第二の泥鰌を狙って第五世代コンピュータ(ICOT)が設立されAIが研究しましたが、世界の物笑いで終わりました。
この時代は、経済的にはバブル崩壊もあり、情報処理企業は、何処でも右往左往しました。
AIから日本は撤退しましたが、米国では研究を地道に続行し、Goegleの検索システム、2030年代のChat GPTに花開きだしています。
継続こそ、成功の秘訣だと思います。