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ドイツの手抜き料理

2021-05-03 08:39:10 | Weblog

 おはようございます。

 カレーの話を書き、私が中1年の時にドイツから来て母の弟と結婚した義理の叔母を思い出しました。彼女は来日した翌朝にボロ屋を水洗いした、ヒトラーユルゲントの女性版、従軍看護婦と良妻賢母を育てるドイツ女性同盟の生き残りでした。

 大戦末期、ベッドが足りず安楽死の目標値をお上が病院に設定。中1の叔母が教会病院で奉仕活動していたら、B17が病院を容赦なく爆撃。運良く叔母は倒れた箪笥の間に挟まれ助かりました。終戦で病院長が自殺。日独は今も昔も大違いです。

 15年ほど前、私はドイツの叔母を訪問。村の少女がここで毎日売られた、第一次大戦の賠償金を課した英仏がナチを育てた、ユダヤ人虐殺以外、ヒトラーは正しいと叔母がバルトブライトバッハの森の中、寂しい街道の曲がり角で言いました。

 学生時代、私は毎年、母の実家で1週間ほど逗留。留学したドイツでも遊び人の叔父は医科歯科特任教授で帰国し、実家で開業し、叔母が看護婦でした。従弟と年子の従妹が生まれました。カレーなら従弟が好きなバーモントカレーでした。

 叔母は包帯が上手でした。ハンバーグ、ミートソースなども得意でした。みじん切りした玉ネギを色が付くまで炒め、繋ぎにパンかご飯の余り。ミートソースは牛挽をよく炒め白ワインと水を加え炒めた玉ネギを戻し、半日近く弱火で煮ました。

 叔母は肉屋で赤身の牛ブロックを買い、挽肉に頼んでいました。従弟と従妹が好きでした。とても美味しいドイツの料理でしたが、叔父は飽きるとぼやいていました。私の料理は見栄えはさて置き味は負けていません。黒毛和牛の御利益です。

 叔母の父はボン大学のマイスターでした。箱根細工のような箪笥作りが専門でした。森と川の村の家の2階が工房でした。土曜日に駅まで30分以上ベンツで送迎してもらい、私は工房を見学できました。日帰りか泊りか、駅名も忘れました。

 叔父が他界し従弟は米国に留学し、従妹はボン大学にフルートで留学。2人の留学費は日本の看護婦に無理でした。叔母は両親の近所に住み、看護婦に戻りました。その後、父母が死んでも日本に帰国しませんでした。

 今、従弟はUCLA医学部教授です。聴覚研究の日系三世と結婚し子供が3人。従妹は村の教会の楽団のパイプオルガン演奏者の大学院生と結婚。子供が2人。5人は可愛いくて優秀。叔母の想いを子供が実現しました。

 12年ほど前、叔母の家に泊まりライン川沿いを妻と観光。従妹の旦那がケルン教区の建築責任者に出世。ケルン大聖堂の維持管理、爆撃で破壊されたケルン教会の復元などの責任者の多忙の中、運転手をしてくれました。

 ドイツ名物、鰻の煮物は不味くてお手伝いさんにも食べさせません。ソーセージ、ハンバーグ、ミートソースは日本と同程度。焼き立てパン、野イチゴジャム、里山のリンゴのジャム、牛乳などが段違いの旨さ。叔母は何でも自作し地下室に1年分の保存食。御上依存症の日本人と頼らないドイツ人は大違い。

 手抜きカレーがライン川沿いの名物ボンカレー。私は松山容子さんが表紙の初期バージョンが特に好きです。

 手抜きなら

 ドイツで人気の

 ボンカレー

 今日はここまでにします。

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