創造性の開発 新規商品を企画しよう

新規商品企画の成功学
求むる所第一義
随時随所楽しまざるなし

趣味が運んでくれた運

2020-03-30 04:28:17 | Weblog

 おはようございます。

 柏に転勤し、富士通の元取締役の中村師匠と再会。師匠は脳梗塞を患い、取締役を退き、当時は高専の校長でした。私の女子大用の教科書をとても褒めてくれ、自費で買い、かつての部下や高専生に読めと渡していました。

 次の教科書は監修してくれました。そして社内SE講習会で話して欲しいと言われました。シャープより優れた情報の専門家がいるのに不思議でした。でも新しいことは何でも好きな私は喜んでしました。

 講演会を数回しました。師匠は後ろで聞いていました。教育会社を作りたいと言い始め、若い人を赤坂のいつものクラブに連れて来ました。師匠と若い人の趣味はかなり高度な音楽と芸術。ペーパーレスのメディア事業をしたいのだと私は思いました。

 新会社の顧客対象は一般、経営者、SE、新卒など、会社で議論しているよう。その人が担当者。でも本社の上層部に不満を感じ起業し、マルチメディア出版事業を始めたいと言いました。師匠が止めていました。

 先が見えない事業は面白いと私は思いました。娘は内定がありましたが、大学バド同好会同期はのんびり屋が多く、内定がない人にここが良いと私は思い、奨めるように娘に言いました。娘が付き添いになり、教育学部の同期と蒲田ラボを訪問しました。

 私が新人時代に中村師匠の下で勤務した蒲田ラボ。当時はビルが2つ、娘の訪問時は多数の高いビルでした。本社教育部傘下の新会社は一角で採用活動をしていました。担当者の説明に娘が共鳴し、2人は願書を提出しました。

 入社試験では面接官に彼もいて、質問に答えると、答えの補強をして、面接は簡単だったそうです。すぐ合格通知が来て、内定していた会社を辞退。一緒に訪問した友人も合格でしたが、子会社は格好が悪いと言い、辞退し他社に行きました。氷河期の世代でした。苦労したかもしれません。

 娘は新会社に勤め、毎月60時間から100時間ほど残業。毎年、同期が退社し、同期10人の中で一番長く勤めたようです。でも長男が生まれ、残業できず退社。当時の本社の担当常務は昔の人事課長の人、師匠の仲良し。私も退職時にお世話になりました。後に彼は富士通の副社長になりました。

 彼は優良企業創業者の息子。白金台の馴染みの店で師匠と私にご馳走してくれました。私が娘の本を差し上げたら、子育て休暇が終わり、すぐ退職し本を出版するとはけしからんと言いました。彼なりの冗談でしょう。

 後日、本の論旨の誤り訂正表をくれました。何度か師匠と一緒にご馳走にもなりました。富士通の給料は小遣い。ベストセラーを書きたかったと言う面白い人でした。

 アメリカの宣教師が作った学校システムの日本支社に娘は再就職。次男が生まれ仕事が大変になり、バドミントン強豪高校の顧問に誘われ、国語の先生になりました。情報教育に知見があり、バドが好き。高校の理事長と顧問に重宝されたようです。

 娘の今があるのは、中村師匠、好きな読書、趣味のバドミントンのお蔭です。親子2代、中村師匠に大変お世話になりました。南無大師金剛遍照。

今日はここまでにします。

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