「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・05・21

2005-05-21 07:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集の中の「世代の違いと言うなかれ」と題したコラムから。

 「この二十年、大人たちは世代について論じすぎた。以前は三十年を一世代と称したのを、長すぎると短くした。戦前、戦中、戦後派と、十年ごとに区切って互に経験が相違するから理解を絶すると言った。
 たとえば戦中派の青春は、戦争にはじまって戦争に終った、敗戦と同時にわが青春も終っていたから損したと、みれんなことを言う。これは戦前派も戦後派も知らぬ経験だと悲壮がるが、なに、どんな時代にも青春はあったと私は思っている。
 親たちが世代の相違を言うから、子供たちもまねをする。安保騒動以前の学生と、以後の学生の間には深淵があって、両者の言葉は通じないとま顔で言う若者がある。
 世代をこま切れにすれば、とめどがない。親が十年に区切れば、子は五年に、ついには一年に切りきざむ。いいかげんにしたらどうか。
 話して分らぬのは、話し方が拙いからである。想像力が足りないからである。私は昭和十年代の浅草なら知るが、その以前は知らない。それを知る男の話を聞いて、人情風俗の相違は感じても、断絶なんか感じはしない。」

   (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
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2005・05・20

2005-05-20 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「耳に熟した言葉を青少年が知らなくなったのは、親たちが使わなくなったからである。選んで私が使うのは、何度も言うが、戦災で日本中がまる焼けになったからである。
 家が焼けると家財道具も共に焼ける。日本の家と家財には、日本の過去がきざまれている。それがなくなると、それにまつわる過去もなくなる。残るは言葉のみである。言葉だけでわずかに伝統とつながるなら、耳になれた言葉は大切にしなければならない。だから、いま使わなければ、近く使えなくなると知って、私は使っているのである。
 私は大正に生れ、昭和に育った。元来無学な私ごときが知るほどの字句だもの、どなたもご存じのはずなのに、すでに半ば通じないのは、親が子に、先生が生徒に従うからである。娘がおトイレと言えば、親たちまでおトイレと言う。手水場は自ら禁じて使わないから、子は知らない。
 そのくせこの親たちは、ことごとに世代の相違を言う。わが子が知らないのは、伝えなかったから当然ではないか。他人の子が知らないのも同じなのに、あきれたふりをして、世代の断絶を痛感したなどと言う。あんなものが断絶だろうか。単なる無知で、それも自分たちが育てたのではないか。」

   (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
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2005・05・19

2005-05-19 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「本は古本にかぎると私が言ったのは、昔は文字で志を述べたからである。古人は世論に異存がなければ黙っていた。どう考えても、異議があるときだけ発言した
 だから、言論は売買の対象にならなかった。百部二百部ひそかに印刷して、友人知己に献じた。今は売買が目的である。売買が目的の言論なら、迎合を事とするにきまっている。毎日新刊がなん十冊出ても、迎合すること同じなら、本は少ないほうが文化国家だ。
 明治大正のころまでは、初版は五百、七百、せいぜい千冊どまりだったから、売買を考えない言論もたまにはあった。だから、本は古本にかぎると戯れに私は言ったのである。」

   (山本夏彦著「茶の間の正義」所収)
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利根川のほとり 2005・05・18

2005-05-18 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、萩原朔太郎(1886-1942)の「純情小曲集」の「愛憐詩篇」から「利根川のほとり」と題した詩を一篇。

 利根川のほとり

   きのふまた身を投げんと思ひて
   利根川のほとりをさまよひしが
   水の流れはやくして
   わがなげきせきとむるすべもなければ
   おめおめと生きながらへて
   今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。
   きのふけふ
   ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
   たれかは殺すとするものぞ
   抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

   河上徹太郎編「萩原朔太郎詩集」(新潮文庫)所収
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2005・05・17

2005-05-17 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、「閑吟集」から。

 
 「思ひ出すとは 忘るるか 思ひ出さずや 忘れねば

 「思へど思はぬ振りをして しゃっとしておりゃるこそ 底は深けれ

 「ただ人は情あれ 夢の夢の夢の 昨日は今日の古へ 今日は明日の昔」

 「しゃっとしたこそ 人は好けれ」

 「忍ばば目で締めよ 言葉なかけそ 徒名の立つに」
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最上川 2005・05・16

2005-05-16 06:00:00 | Weblog
 松尾芭蕉(1644-1694)に奥州の最上川を詠んだ有名な俳句があります。

 「五月雨をあつめて早し最上川」

 与謝蕪村(1716-1783)にも芭蕉のこの句を意識したものがあります。自然と人間の対比が見事です。

 「さみだれや大河を前に家二軒」


 芭蕉の「奥の細道」にはもうひとつ最上川を詠んだ句があり、芭蕉の中では一番の「お気に入り」です。

 「暑き日を海にいれたり最上川


 高浜虚子(1874-1959)にも最上川を詠み込んだ句があり、謙虚な感じが気に入っています。 

 「夏山の 襟を正して 最上川」


 季節が違い、俳句と短歌の違いもありますが、斎藤茂吉(1882-1953)に郷里の最上川を詠んだ歌がいくつもあります。

 「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべと なりにけるかも」

 「此の岸も彼の岸も共に白くなり最上の川はおのづからなる」

 「ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ」
 
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話せば分る 2005・05・15

2005-05-15 06:15:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、新潮社刊「ひとことで言う 山本夏彦箴言集」から次の「ひとこと」です。

 「話しあいという言葉を、私は憎んでいる」

 山本夏彦さん(1915-2002)のコラムの中で、この「ひとこと」が、どのような文脈で用いられたものであるかを、本書は「コラムの抜粋」の形で次のように紹介しています。詳しくは原典である山本夏彦著「美しければすべてよし」を見る他ないのですが、あいにく手許に見つかりません。

 「話し合いという言葉を、私はきらいだというよりむしろ憎んでいる。なぜかというと話しあいなんて、出来ない相談だからである。

 あの五・一五事件のときの首相犬養毅は『話せば分る』と言ったが、青年将校たちは言下に『問答無用撃て』と命じた。犬養の話を聞いて万一理が認められたら、犬養は殺せなくなる。ひいては革命はできなくなる。故に左右を問わず革命家は、いくら話しあおうと言われても応じてはならないのである。かろうじて聞くふりすることだけが許される。」

  (山本夏彦著「美しければすべてよし」所収の「問答無用なことがある」という題のコラムです。)
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2005・05・14

2005-05-14 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、松尾芭蕉(1644-1694)の「奥の細道」の書き出しの文章です。

 「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふる者は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。」


 若い頃から気に入っている芭蕉の俳句をいくつか。

   「旅人と我名よばれん初しぐれ」 

   「あらたふと青葉若葉の日の光」

   「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」

   「行春を近江の人と惜しみけり」

   「世の人の見付けぬ花や軒の栗」

   「夏草や兵どもが夢の跡」

   「涼しさを我が宿にしてねまるなり」

   「象潟や雨に西施が合歓の花」

   「おもしろうてやがてかなしき鵜舟哉」

   「荒海や佐渡によこたふ天河」

   「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

   「むざんやな甲の下のきりぎりす」

    
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ヒューマン・スペース論 2005・05・13

2005-05-13 05:55:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、吉野弘さん(1926年生まれ)の「ヒューマン・スペース論」という詩一篇。

 「バスの運転手が/運転台に着くと/バスの運転手は/四角なバスである。//

  彼は/彼の内部に/客をのせて走る。//彼は/運ぶべき空間をもつ故に/その大きさまで/彼自身が拡大するのだ。//

  内部に配慮をみなぎらせ/外部への目覚めた皮膚をもち/荷電体のように走る/彼。//

  君が/君自身を配慮で満たすなら/町を、地球を、もちろんバスを/同じく君の配慮で満たす筈。」

 日本経済新聞のコラムの中で詩人の高橋順子さんが紹介されているのを書き留めたものです。
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2005・05・12

2005-05-12 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集「茶の間の正義」の中の「テレビは革命の敵である」と題したコラムの中から。

 「革命は近ごろ旗色が悪く、わずかに学生層に支持されている。ソ連や中共の原水爆なら結構で、アメリカのなら結構でないとは、並の人には分らぬ道理で、幹部がこのたぐいをむし返し、もみにもんでいるうちに、下っぱの組合員はうんざりして、テレビの前にすわりこんでしまった。
 二千万に近いテレビなら、労働者の茶の間にもある。妻女は朝から、ご亭主は帰宅してから見物する。
 視聴率の高いのは、物語と野球だそうだ。女はホームドラマ、男はプロレスか野球を見れば、革命とは疎遠になる。
 共産党はもちろん、総評や日教組の一部が、もし革命を志していたのなら、そのあてははずれた。革命が成れば、プロレスやよろめきドラマはなくなるから、今の方がいいと口には出さないまでも、腹で彼らは思っている。
 共産党が十年もこれに気がつかなかったとは迂闊である。年々メーデーがなごやかになるのは、このせいかもしれない。
 学生の多くは下宿屋の住人で、下宿屋にはまだテレビが少ない。だから革命的言論はここに残っているが、それもつかのまである。彼らは卒業すればホワイトカラーになる。なってまっさきに買うのはテレビである。そして、その前にすわりこめば革命なんぞ忘れるだろう。
 革命の是非はしばらくおく。青少年のくせに、何らかの反逆と革新の気概がなく、テレビにうつつをぬかすなら、フヌケである。」

 今は昔、山本夏彦さんがコラムの中でこう書かれてから40年近い歳月がたち、5月1日が「メーデー」であることやその日に行われる関連行事について、新聞の一面に報じられることもなくなりました。現代の多くの若者は、かって「メーデー」が何の記念日であったのかも知りません。
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