夢!進行形。港が見える丘ガーデン

ミントさんの庭に憧れて、少しでもブルーガーデンに近づけるように日々奮闘する田舎のおばちゃんの日記です。

箱根の旅 其のⅢも 富士屋ホテルの歴史

2024年02月28日 11時09分43秒 | 旅行




富士屋ホテルでの
おいしい至福の時を過ごして
館内の見物をします。もう一生来れることは
ないと思いますから・・・・


クラシックなエレベーター表示。


ここで館内の案内をしながら
富士屋ホテルの歴史に触れたいと思います。

(タイル張りの装飾)

富士屋ホテルの敷地面積は7,600坪あります。

創業者は山口仙之助という方で
明治4年20歳で米国に渡り
将来は牧畜事業が有益であろうと、7頭の種牛を
購入し帰国し、慶応義塾大学に入学。


そこで福沢諭吉と出会い、国際観光の重要性を説かれ
牛を売却し、ホテル業を決意する。

この突き当り右側に化粧室があります。)

(ここはクラシックなタイル敷の化粧室)

1878年(明治11年)日本初の
本格的リゾートホテルとして誕生。
バルコニーのある3階建てホテルを建築するも
1883年(明治16年)大火で消失する。


3年後に10室の洋館を竣工する。
1887年(明治20年)15室の日本館を竣工する。
1891年(明治24年)に現在の本館を竣工する。
火力発電により、館内を点灯し
唐破風(からはふ)の玄関を持つ木造洋風建築が完成する。

(市松模様の大理石の廊下の両側に
富士屋ホテルの歴史の展示品がある)

1907年(明治40年)に金谷ホテルの創業者
金谷善一郎の次男正造と、山口仙之助の長女孝子が
結婚し山口家の入り婿となる。

(チャペル)

1923年(大正12年)の関東大震災には
煙突や屋根瓦が大破するなどの被害を受けましたが
玄関部分はガラス戸一枚割れずに残り
大変強固な建物として残りました。


富士屋ホテルに立ち寄り、もしくは宿泊した
有名人には、ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫婦、
ヘレンケラーやチャールズ・チャップリン、
三島由紀夫、ダグラス・マッカーサーなど



2018年(平成30年)に
富士屋ホテルは140周年を迎えました。
これからもクラシックホテルのパイオニアとしての
誇りを持って新たな歴史を刻んでゆくことでしょう。


(日本庭園もあります)


ショップです。
手前の白黒のコートは安いだろうなと思いながら
値札を見ると、見事に外れて148,000円でした。
うわー!高そうと思いながら次の左側黄色の
スプリングコートのお値段を見ると8,000円くらい
でしたので、割とお手頃価格の物もあります。



以前軽井沢の万平ホテル
珈琲カップを買ったおっさん2、ここでも


買いました。
でも普通のサイズのカップがなくて
これはやや大きめでマグカップぐらいあり
少し不満ながら買いました。


入れる袋は有料なんて言いません。
サッとこの袋に入れてくれました。


このホテルの素晴らしいところは
ホテルマンの接客です。
人を待っていると、「何か御用ではないですか?
お聞きしていますでしょうか?」と
必ず声掛けをしてくれること。
また
「化粧室はどちらでしょうか?」と聞くと
必ず分かる所まで連れて行ってくれます」
すれ違う時は必ず
「こんにちわ」と挨拶があります。



凄く居心地が良いホテルです。

「145年の時を越えて未来へ」という
キャッチフレーズを、ホテルマン皆が共有し
「一生の宝物となるようなご滞在を。」
目指しています。


今日も来てくださってありがとうございます





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