苗木城跡に登城した後、麓に下りてきて車を停めた苗木遠山史料館に入った。
中世・戦国時代から明治時代初期に至る、苗木領の歴史的な文化遺産を保存・公開する史料館だ。
苗木遠山家の資料を中心に、苗木領と苗木城に関わる資料を展示している。
入館料は330円だが、 JAFなどの会員証を提示すると 270円に割引される。
私はイオンカード(WAONカード)で割引してもらった(^^;
こういったミュージアムの常で館内は撮影禁止だが、お城の復元模型だけは撮影可だった。
展示物のなかには歴代城主の肖像画や兜甲冑、鉄砲、刀剣などがあった。
注目したのは明治維新後の廃藩置県の際に賜った『遠山美濃守 苗木藩知事を仰せ付ける 明治2年6月』の拝命書が残っていること。一時的にせよ苗木藩知事が存在したわけである。
また全国的にも珍しい徹底的に行われた神葬改宗や廃仏毀釈について紹介してあった。
苗木藩は明治新政府の神道国教・祭政一致の政策を受けて、廃仏毀釈運動を開始し、ほかに例を見ない程、 藩の政策として徹底的に仏教施設等の破壊を行った。明治新政府の意図したものではなかったのに、苗木藩は強制的に領内の仏教的要素の払拭を行い、 寺院を打ち壊し、路傍の石仏や位牌までも廃棄させたという。そのため現在でも旧苗木領にはお寺がないそうだ。
なぜここまで徹底的に行ったかというと幕末に平田国学思想を学んだ藩士が明治新政府と良好な関係を保つよう、平田国学思想を藩政に取り入れたため苛烈な政策になったらしい。幕末~明治維新という激動の時代だったとはいうものの、苗木藩ではさらに極端な状況だったのが理解できた。
蛇足であるが、遠山といえば真っ先に思い浮かぶのが遠山金四郎景元。遠山の金さんである。
北町奉行としてお白洲で「この桜吹雪に見覚えがねぇとは言わせねぇぜ!」などと啖呵を切るのが時代劇での定番だが、モデルの遠山景元は明知遠山家の分家の6代目。知行500石の直参旗本である。
同じ岐阜県でも恵那市明智町由来の遠山氏なのであった。
私も遠山の金さんは全く見てません。
増富ラジウム鉱泉は信州峠、木賊峠(とくさ)を越えたときに
https://tougeoyaji.ciao.jp/sinsyutouge.htm
https://tougeoyaji.ciao.jp/tokusatouge.htm
途中でお泊りしました。
この地との関係は存じていました。
前回の記事のコメントの続きですが、
増富温泉は全く知りませんでした。
他は行きました。
山間の領地ですから米がたくさん採れるわけもなく
(坂折棚田なんて棚田百選のところもありますが)
https://sakaori-tanada.com/
なまじ幕府と仲が良かった分あれこれ命じられて
藩財政は困窮していたようです。
それに幕末の平田国文学への傾倒などから
苛烈な藩政など問題が多かったようです。
苗木城は山城といっても標高差100mに満たないので
革靴で来られなければ大丈夫ですよ。
そうなんですか。旧金山町の一部が苗木藩領。
ウィキを見ても東濃の木曽川右岸から飛騨川に
かけての25以上の峠が苗木領だったので嬉しくなりました。
史料館から苗木城跡まで標高差70m程度ですから
是非登ってみてください。
暮らし向きはどーだったんでしょう。
山城がキツくなってきたので、平地にある陣屋跡巡りを考えています。
その前の「昭和の合併」ではかなり多くの町・村が合併して金山町になりました。
その金山の一地区、「田島」がかつては苗木藩領でした。
なので廃仏毀釈の嵐により、首を切られたお地蔵様があったとか・・・。
東白川村は、全国唯一の「お寺の無い自治体」らしいですね。
苗木藩、かなり広いです!
苗木城、行きたいです!(資料館には入りました・・。登ってないです・・・。)