瓢箪山にある東大阪市立埋蔵文化財センターが主催で歴史講演会が行われており、先日の第7回はテーマが河内湖で「河内湖周辺の方形周溝墓」「河内湖周辺の弥生時代から古墳時代の様相」の2本立て。雨にもかかわらずほぼ定員いっぱいだったのだ。
パワーポイントで写真やら図を映しながら話をしてくれるので退屈しない。いい時代になったもんだ。
ところで、河内湖とは、縄文時代から中世の頃まで大阪城の東~東南に広がっていた内海が湖になったもの。大阪湾から森ノ宮に船で来て、そのまま、河内湖を横切って大和川の源流である小阪合分流路を遡航して飛鳥・奈良に入ったんだそうな。
それがどうした、といわれりゃそれまでなんだが、今と全然動き方が違うし、ちょっとでも違った顔を大阪が見せてくれんかなというささやかな試みなのだ。
パワーポイントで写真やら図を映しながら話をしてくれるので退屈しない。いい時代になったもんだ。
ところで、河内湖とは、縄文時代から中世の頃まで大阪城の東~東南に広がっていた内海が湖になったもの。大阪湾から森ノ宮に船で来て、そのまま、河内湖を横切って大和川の源流である小阪合分流路を遡航して飛鳥・奈良に入ったんだそうな。
それがどうした、といわれりゃそれまでなんだが、今と全然動き方が違うし、ちょっとでも違った顔を大阪が見せてくれんかなというささやかな試みなのだ。