Toshizoh's Bar

大阪を愛する編集者トシゾーのほろ酔いメッセージ。

目からうろこが落ちまくりの2日間でした。

2006-11-13 00:09:44 | Weblog
土曜は、大阪経済大学の公開講座に行って来た。
関西大学 藪田教授の「近世大阪の歴史像 -「町人の都」か「武士の町か」-」というもの。
話を聞くまでは、創造力がついていかず、「何を言うやら」「何ゆうてんねん」的だったが、話を聞いて10分でのめり込んでしまいました。
江戸時代の大阪には武士が9000人くらいはいたとのこと。ちなみに司馬遼太郎は200人と言っていた。大阪城の敷地内だけでも常時5000人くらいの武士及びその家来や家族がいたそうな。
立派な城下町であり、その遺産があったからこそ、近代都市として発展できたのだという。
なるほど。で、私の疑問は、明治維新でその武士たちはどうしたのかってことであり、大阪において武士道はどうなったのかってことなんだな。
日曜は、阿倍野市民センターに門上武司氏の「日本のスローフード」に行ってきた。著作である『スローフードな宿』で行った宿での裏話や京阪神の飲食の最前線の話など、マシンガントークで楽しませていただきました。大阪はレベルは高いが魅力が分散しすぎていて象徴となるものがないところが弱点だ、とごもっともな意見をちょうだいする。「まちづくり」に食ももっと活用できるだろうしねえ。
それらにもまして衝撃的だったのが、『日本を不幸にした藤原一族の謎』関裕二 著 である。「大化改新」ってナンやったんやあ! と叫びたくなるほどの衝撃度なのだ。聖徳太子についても謎解きがされていて、常々抱いていた疑問がかなりスッキリしてのめり込んでしまったのだ。つまり、聖徳太子は実在していなかった、もしくは別人の功績をこの人物に背負わしていたということらしい。そうりゃそうだよ。ちゃんとした名前がないし、あったとしても厩戸のおおじだろ。そんなキリスト教からのやすっぽいぱくりやないかい、とずーっと不審を抱いてましたんで。
この本によると、鎌倉時代というのはやっと藤原の支配から解脱できた時代であるが、明治維新になって、再び藤原が復活してしまったということだそうな。第2次世界大戦での大陸侵攻というのもDNAか? と連想させてしまうのだ。
勧善懲悪や美談とかには常に裏があるということを、今さらながらに確認させられる。佐藤首相のノーベル平和賞も原爆保有をあきらめて非核宣言したからやったみたいやしなあ。
一つ一つねじれをといていかねばなりませんなあ。