寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

ちょっとそこまで、スカンジナビア号までっ。

2005年07月31日 18時16分54秒 | スカンジナビア号
とらのこ、が駄々をこねて買ったムシキング、のノコギリクワガタの角が動かない。『あら、大変。ちょっとそこまで頼むわね。』と、ママトラのひと言で、近所のトイザラスへ使いっパシリ!あいにく、お目当てのノコギリクワガタは品切れで、代わりに【カブトムシ】と交換してもらい、一件落着。しかし帰り道、ちょっと、家を通りすぎて遠回り!? 潮の香りが恋しくてスカンジナビア号まで足を伸ばした。

この木負(きしょう)農協のバックに見える構図がほのぼのとしてお気に入り。



つでにもう30分、足を伸ばして、大瀬(おせ)崎まで走る!

大瀬崎は約1kmに渡り松林の砂嘴が続いている美しい岬です。岬の内側が湾になっていて、波穏やかな遠浅の砂浜が続く海水浴場、民宿も盛況で、夏休みのちょっとした、バカンス!?家族連れの1泊2日の行楽には最適です。岬の反対側(太平洋側)は風景一変にして外洋の荒波砕けるれ礫海岸で遊泳禁止、大きな石岩が波に洗われ、角が取れて丸石神のような形でゴロゴロしています。岬の海抜高度はわずかに数メートル。先端には大瀬神社と伊豆の七不思議と言われ海面より水位の高い淡水の池、神池があります。ここから富士山が見えれば最高なのですが、今では大気がよどんでなかなかお目にかかれません。岬はいつの間にやら有数のダイビングスポットになりました。土日ともなれば西浦の田舎道を首都圏ナンバーのワゴン車がスピードを上げて走っていきます。昨日の土曜日(30日)はまだまだ海水浴客も合わせて5~6分の入り程度、空いていました。きっと沼津夏祭、狩野川の花火大会のためかも知れませんね。家から約1時間強、軽トラで充分な逃避行?『ちょっとそこまで、』でした。

セイコーダイバー、初めてのオーバーホール。

2005年07月30日 07時00分41秒 | 生活手帳
水族館飼育日誌、に同じ腕時計、セイコーダイバープロフェッショナル600(8L35)が出ていました。小川さんもきっと大切に使われているのですね。私も『とらのこ』、が生まれたとき記念に買いました。これは1975年に世に出たモデルの復刻版です。今はもう、大事な背負うものがありますので、潜ることも無くなりました。たまに大潮の頃を狙って貝拾いに出掛ける程度です。腕に4年間、はめ続けましたので今回、初めてのオーバーホールに出しました。

この時計は朝、起きて軽く20~30回、リュウズを巻き上げてやります。その後は腕の動きに合わせて自動的にローターが中のぜんまいを巻き上げてくれます。めいっぱい巻き上げると約50時間動きます。運針は常に一定で正確な秒を刻み、わずかに1日、15秒だけ進みます。機械式腕時計については福本、の腕時計よくある質問、に分かりやすい回答が出ていました。~良い腕時計とは長い年月の間に使う人の生活のリズムまで覚えて親子三代、100年の時を刻むとの良いお話。メンテナンスや用語解説などわかりやすく読んで役立つ内容になっています。是非いちどごご覧ください。

写真右側は同じセイコーダイバープロフェッショナル200、クオーツモデル(7C43)で往年の名機、もう20年も酷使していますが壊れません!まだまだ現役の良き相棒です。電池交換は3年おきと説明書にありましたが、この時計は5年おきに交換しています。裏蓋を見るとよく分かります。電池交換を示すカレンダーマークが2000年まで付いていてポンチが打てるようになってるのですが、91年9月と96年3月のところに小さな丸いポンチが打たれています。その後はカレンダーがないので、ポンチの代わりに蓋の空いているスペースに、B0106と、次回交換を示す、B0606(2006年6月)の刻印が打たれています。購入時から数えると来年で5度目の電池交換です。『よくぞここまで働いてくれました!』って、感謝の思いでいっぱいです。来年の電池交換のときには、キズだらけのサファイヤガラスと回転ベゼル、そしてルミブライトも光らないので、いっそのこと針と文字盤まで全部、取り替えてやろうと思います。私にはこの地味で小振りなオーソドックスな200が一番腕に馴染んでいるようです。

この2本はやがて親の形見となって、とらのこ、の腕で時を刻んでくれることでしょう。


台風一過、沼津市西浦から伊豆半島の夏便り。

2005年07月28日 17時41分52秒 | 生活手帳
福冨りかの元気で天気、はまだまだ育ち盛りで食べ盛り!! 客室乗務員の経験をお持ちの、ちょっと異色なお天気お姉さん。活きの良い取れたて気象情報をリアルタイムで発信中!いつも楽しみです。
それにしても台風7号、伊豆半島を直撃かと覚悟しておりましたので、本当に助かりました。玄関軒下に吊るした気圧計は26日夕方6時で、982ヘクトパスカルを指しています。この簡易気圧計は半日~1日先のお天気傾向を知る【晴雨計】として重宝しています。つまり、現在の気圧針(黒い針)にツマミを回して金色の針をピッタリと重ね合わせておきます。あとは時間が経つにつれて、黒い針が合わせた金色の針より右に動けば晴れ(気圧が上がるので天気がよくなる)、反対に左に動けば天気が崩れます(気圧が下がるので天気が悪くなります=雨になります)。写真では一昨日の気圧、1000hPaに合わせたておいたのですが、台風が近づくにつれて、一気に982hPaまで(黒い針が左に動いています)下がりました。


さて台風一過、昨日の27日、朝の1枚。場所は沼津市西浦、ダイビングスポットで有名な大瀬崎(おせざき)手前の蜜柑山(高度計で約100m)。蜜柑の実も今はもうピンポン球くらいに育ちましたよ。焼け付くような暑さの中、午前中は蜜柑の木の段々畑を上ったり下ったりの作業で、まるでサーキットトレーニングと同じ。仕事をしていると思うとウンザリですが、こういうときは、お金をもらって身体を鍛えている!と思えば多少、辛さが紛れるのです。気温はすでに直射日光の下で45度を越えていました。午後は向こう側に見えるうっそうとしている雑木林の中、今度は蝉の大合唱にただ驚くばかり。梅雨が明けたとたんに一斉に鳴きだしました。全山蝉の声と言ったらまるで『YS11』のレシプロエンジンが隣で回っているよう! 耳がおかしくなりそうです。
こんな景色の良い現場には当然、コンビニや自動販売機は無いのです。昨日はいつもより用意万端で水筒2本、ペットボトル2本、計3,2リットルを持参したのですが、全てカラになってしまいました。夜、体重計に乗ると、あれほど水分を補給したにも拘らず2kg減、体脂肪率も嬉しいことに23パーセント! しかし、日中の暑さがまだ身体の芯に残っているようでだるく、氷枕を当てて床に就きました。どうか、みなさんも日射病、熱中症にはくれぐれもお気をつけください。



追伸~沼津、西浦方面へ遊びにおいでになられるみなさまへ。
ここ2週間ほど西浦江梨まで通っていますが、週末の金土日を除けば道路は渋滞も殆ど無く空いています。狩野川放水路、口野交差点から大瀬崎へはゆっくり走っても45分くらいです。途中、昨年の22号台風の崖崩れを修復工事している個所がいくつかあります。地元車はみんな、のんびり運転をしていますので、狭い道での無理な追い越しは事故のもと、安全運転でたのしい行楽を! 


同じく27日夕方、帰り道に撮ったスカンジナビア号。まだ曳航される気配はありませんが、この夏が見納めになるかも知れません。思い出のある方はお早めにどうぞ、お早めに。

7冊のカラーブックス192~198まで。

2005年07月26日 19時21分39秒 | カラーブックス

【7冊のカラーブックス】
 
いよいよ200番まで目前に迫りました。今週は192番から198番まで掲載します。
なお、199番からは別ページ(カラーブックスNo3)に移行します。
続きはひと月ほどお休みをいただきまして後、再開いたしますが、どうぞ悪しからず。


192番【おもと入門】榊原八朗・田中直光/初版45年3月1日
193 【スタミナ料理】清水桂一/初版45年4月1日
194 【絵画に見る日本の美女】中村渓男/初版45年5月1日
195 【飛騨高山】加藤けい/初版45年4月1日
196 【花ことば】引田茂/初版45年4月1日
197 【漢方薬入門】難波恒雄/初版45年5月1日
198 【おりがみ】河合豊彰/初版45年6月1日



192番【おもと入門】の、『おもと』には、ロデア・ジャポニカと言う学名があり、韮や玉葱、野蒜などと同系のユリ科植物の一種で、万年変わらぬ緑をことほぐ気持ち、繁栄を祈念する心、あらゆる吉寿をこい願う祈りから『万年青』と書いて『おもと』と読ませるそうです。日陰のちょっと涼しいような場所に棚を作って父が丹精にしていたのを覚えています。これまでは余り関心がありませんでしたが、カラーブックスが取り持つ縁で、今も庭に残っている幾鉢かを今朝、触ってみました。この、192番を読んで面倒を見てやろうと思います。

193番【スタミナ料理】は正にこの季節、的を得たり!の1冊です。誰にでも簡単に作れて美味しいスタミナ料理で、夏本番を乗り切りましょう!我家の一番人気は44ページに紹介されてる『椎茸はさみ揚げ』です。どうぞお腹の空いてる方は今スグ、生しいたけ・とり挽肉・卵・かたくり粉、を用意してくださいね。油でさっと揚げればもう出来上がり! 風呂上りの一杯で最高! 夏バテ知らずの逸品です。

194番【絵画に見る日本の美女】はお気に入りのナンバー。女性の姿が絵画の中にあらわれ始めたのは執筆者の中村渓男さんによれば天平期頃からとのお話。本書では天平勝宝八年(756年)の、『絵因果経』より戦後の画壇まで幅広く作品を掲載しています。各時代の女性像が時として晴れやかに、また或いは哀しく時代の世相を良く写しています。今、本棚から1枚のスクラップ(2000年4月23日、朝日)を出してきました。名画日本史という記事の切り抜きに、『遊里』を描いた色鮮やかな国宝『彦根屏風』が載っています。本書にも同じ絵図が26~27頁にカラーで出ています。この絵が描かれた時代とは、関ヶ原で天下を分ける戦さが終り、世は徳川政権の中に落ち着きを取り戻した頃、社会の底辺を支えてきた庶民の暮らしにも、ほんのささやかなほどの余裕が出てきたのではないでしょうか。遊里に侍る女たちの表情は豊かで美しく、南蛮衣裳を身に纏い、ペットの仔犬を連れ立っています。恐らくは当時の流行の最先端であったに違いありません。
男尊女卑という言葉がありますが、ここに登場している女性たちを見る限りでは女たちも各時代に各々の役割分担をきちんとこなし、自らの生きる道を精一杯に貫こうとしている力強さを感じます。それを証明するかのように本書表紙を飾るのは浅井長政夫人こと織田信長の妹にして、天下一の美女と謳われたお市の方です。わずか十八才で浅井長政へ政争の道具として嫁ぎ、二男三女を出産しますがが天正元年(1573)小谷落城で浅井家は滅亡します。その後、天正十年十月、柴田勝家と再婚を果たしますが翌年四月、秀吉に攻められて勝家とともに北の庄で自害しました。二人の男児は小谷落城のとき、無残にも殺されましたが、三人の娘は母の分までも生きて生き抜き、その血は豊臣から徳川へと受け継がれていくのです。お市は乱世に生まれ、政争の手駒と使われ戦火の中に短い生涯を閉じましたが、私には長政・勝家という立派な武将の良き伴侶として、ほんの束の間かも知れませんが、幸せな暮らしをされたのではないかと思います。
お市と勝家は燃え盛る九重の天守で辞世を詠んでいます~ 『さらぬだに 打ちぬるほども夏の夜の 夢路をさそうほととぎすかな』。 共に刀を握り合う勝家の辞世は~ 『夏の夜の夢路はかなき跡の名を 雲井にあげよ山ほととぎす』
あらゆる権力、財力を以ってしても、秀吉にはお市を手に入れることができなかったのです。

長くなってしまいました。もう1冊だけ紹介します。

196番【花ことば】は見て読んで楽しい1冊です。昔、太田道灌が山中で雨に打たれた時、一軒の農家へ蓑を借りようと立ち寄ったところ、まだ年もいかぬ娘が言葉もなく盆の上に一輪の山吹の枝を差し出しますが、道灌にはその意味が分かりませんでした。後になってそれは、後拾遺和歌集に出ている、『七重八重 花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだになきぞ悲しき』という歌にかけて、貧しい我家にはお貸しできる蓑ひとつもないのです、と詫びた娘の心を知り、己が無知を恥じたのでした。その後、道灌は大いに勉強して文武両道に秀でる名将になりました。これも歴とした花言葉ですね。本文32頁には鮮やかな黄色の山吹の花が出ています。『山吹』の花ことばは【崇高】です。

7冊のカラーブックス185~191まで。

2005年07月25日 20時23分54秒 | カラーブックス
【7冊のカラーブックス】 1週間お休みしました。先週分(7/18)185番から191番まで掲載します。

185番【県花県木】松田修/初版44年12月1日
186 【新しい大阪】保育社編集部偏/初版44年12月1日
187 【楽器】皆川達夫/初版45年4月1日
188 【室生路の寺】村井康彦・入江泰吉/初版45年2月1日
189 【自動車Ⅱ】宮本晃男/初版45年2月1日
190 【名作の旅1川端康成】巌谷大四/初版45年3月1日
191 【佐保寺の寺】杉本苑子・入江泰吉/初版45年3月1日



185番【県花県木】はカラーブックス常連、松田修さんの執筆です。これで4冊目となりました。全国都道府県の県花、県木をいつもの松田流、文学の香高い解説で気候風土と住んでいる人の匂いまで感じさせてくれています。地味な題材でも決して手を抜かない姿勢に頭が下がります。

186番【新しい大阪】はEXPO’70大阪万博にそなえて大阪についての新しい知識を保育社編集部が総力をあげて1冊のカラーブックスにまとめてみました。私ごとですが小学1年の夏休みに父と一緒に叔父の360ccの小さなステップバンに乗っけてもらい、東名高速を80キロのノロノロ運転で見物に行ったことを覚えています。私の言う『万博』とは、今も昔も大阪を指しているのです。

187番【楽器】は古今東西のさまざまな楽器について見て楽しい1冊に仕上がっています。我家にも楽器が二つ、今は静かに押し入れの天袋に眠っています。ひとつはまだ若い日に神田の、下倉楽器店、で衝動買いしたアルトサックス(プリマヤナギサワのエリモナ80)で当時2ヶ月分のお給料がすっ飛びました。もうひとつは高校時代卓球部のKくんから3000円で買ったクラシックギター、今では指が追いつきませんがまだ良い音色です。

189番【自動車Ⅱ】は89番自動車、の続編、宮本晃男さんの執筆です。この本が世に出た背景には東名名神高速道路の整備と先の大阪万博の開催、国民の生活向上にロータリーゼーションの波が拍車をかけ、庶民の手に夢のマイカーが一段と身近になっていくということが挙げられます。まだ成長盛んな各自動車メーカーがこの世の春とばかりに自由奔放に新車を打ち出していく様が、1970年と言う節目の年に新しい時代の幕開けを予感させています。

日曜日の小さな旅(赤野観音堂を見た。)

2005年07月22日 00時57分13秒 | 石塔石仏~埋もれていく風景
沼津市の発展に必要な提案をして実現しよう、では市の活性の為、ユニークな提案を集めている。
ハイキングコースの整備には微力ながら応援をしたい! と、言う訳で本当はそっとしておきたい文化財があるのですが、ほんのちょっと、紹介してみます(最後までうまくいきますように)。


17日の日曜日、2年振りで柳沢の赤野(あけの)観音堂を見に行ってきました。
柳沢の集落、桃沢神社を左手に見て過ぎ、東名高速の架橋をくぐり、すぐの分岐を左にS字を描くように登ります。途中、両側切り通しのような薄暗い山道を登るとほどなく行き当たります。愛鷹山(あしたかやま)南麓に位置する観音堂で、木造・茅葺・寄棟造り・平屋建てにして内陣は唐様式の鏡天井張り、外陣外回り軒裏には化粧天井を纏い、江戸中期の建築様式をそのままに伝える市指定の重要文化財です。本尊は十一面観世音菩薩立像です。境内には2本の天然記念物、カヤ(写真左)とナギの老木があります。ともに樹齢600~700年を数える雌木の巨木です。カヤ(イチイ科)は目通り3,9m、樹高23m、樹勢は北側へ10,5mと良く伸び、枝も地面すれすれまで垂れ下がっています。ナギ(マキ科)は目通り3,7m、高さ13m、立て札によれば暖地に自生する常緑樹で伊勢湾台風の時、主幹が折れたがかえって樹姿は良くなり樹勢は旺盛、県内でも珍しい大木とのことです。


観音堂を挟んで正面左側にカヤ、右側にナギ(写真)が、ちょうど左右対称に鎮座しています。あたり一面は『愛鷹茶』のお茶畑が広がっていますが、山道で不便な為、日中でも畑に通うお百姓さん以外には滅多に路往く人とすれ違うことはありません。



今回、赤野観音堂まで出掛けたのはこの2本の老木に会いたかったからです。観音堂の北側をかすめるようにして今、第2東名の工事が着々と進んでいます。付近の環境が変化することにより、何百年も生き長らえてきた2本の木の健康がとても心配です。素人目にはまだまだ要らぬ心配という感じに見て取れましたが、同じ愛鷹山南麓、沼津市宮本にあったクロマツの老齢独立樹『ヌタバの松』は東海大学が建って敷地に取り込まれてからも良く管理されていましたが、ついには枯れてしまいました。行く先を思うと心が痛みます。


観音堂を元来た道に下ります。途中、頭の黒い大きなヤマカガシが車の前をシュルシュルと横切リました。根方(ねがた)街道を渡ったあたりで車を休めました。この付近は水田の稲穂の緑が風に揺れて心地良いです。あちらこちらに井戸が掘り抜かれて清水が湧いています。顔を洗ってひと休み、とらのこも小さな手のひらに冷たい水をいっぱいすくいました。近くのセブンイレブンで仕入れてきたアイスクリームで束の間の涼を取りました。

家を出発してから1時間足らずの小さな旅となりました。果たして『沼津市の発展に必要な』ハイキングコースとして提案にに沿えるかどうか・・・。(私が胸に持っている天秤量りでは新しい高速道路よりも観音堂と境内の老木のほうが重たいのです)

昭憲皇太后御摘草記念碑を見て思う。

2005年07月15日 00時39分38秒 | 15年戦争
1月から続いた沼津市我入道の現場もいよいよ大詰め。半年も通い詰めると町に愛着が湧いてくる。仕事中、道を行き交う人たちもいつか馴染みの顔となり、互いに名前こそ知らないが、自然に挨拶の声が出て来る。そして、昼飯はいつもの、我入道公園。

園内の北隅一角に荘厳な記念碑が仰ぐ人影も無く、風除けの松林の中に立っている。見れば正面に【昭憲皇太后御摘草記念碑】と、左脇に海軍大将有馬良橘敬書、の文字が彫られている。


この場所で弁当の蓋を開くこと数十回、これが何なのか、いつも気にかかっていた。現場も残り数日ということで貴重な昼寝の時間を返上して、石碑裏側一面にびっしりと彫られた文語体の碑刻を一文字ずつ手帳に写して解読を試みた。




『歳月ノ流ルルガ如ク昭憲皇太后ノ神去リ給ヒシハ唯昨日ノ如クニ覚ユルニ早クモ二十余年ノ昔トハナリヌ 皇太后ニハ明治37年以来毎年御避寒ノタメ沼津御用邸ニ行啓アラセラレ偶此ノ我入道蔓陀羅ヶ原ニ防風草ノ生イ茂レルコトヲ聞召サレ幾度カ此ノ浜ニ成ラセ給ヒヌ 此ノ地ハ往昔日蓮上人巡錫ノ砌松カ枝ニ蔓陀羅ヲ懸ケテ風浪ノ災無カランコトヲ祈願セシ遺蹟ニシテ牛臥山ノ麓ニ在リ風光明媚実ニ東海の絶勝タリ畏クモ皇太后ニハ玉歩ヲマゲサセ給ヒテ前ニハ洋々タル海原ヲ眺メヤラセ給ヒ顧テハ秀麗ナル富士ノ高嶺ヲヤ仰ガセ給ヒケム 或ハ松風ノ床シキ調ベニ心耳ヲ澄マセ給ヒワケテ此ノ浜ニ香リモ高キ防風草ヲ親シク摘マセ給ヒテ御輿イトモ浅カラザリシャニ承ル 里人等年月ノ経ツルトトモニ御遺徳ヲ追慕シ奉ルコト愈切ナルモノアリ此ノ由緒アル地ノ久シウシテ或ハ忘廃ニ帰センコトヲ憂慮シ有志相謀リテ資金ヲ勧募シ記念碑ヲ建設シ以テ不朽ニ伝ヘントス~ ~ ~/ 昭和十年四月 東京帝国大学教授正四位勲二等文学博士 宇野哲人 謹撰』

碑刻の最後の数行・~ ~ ~の部分は書き取りに辛抱できず割愛したが、清水市のある人が巨費を投じ碑を建立できた、また今日よりはこのことを子々孫々に伝えて忘れてはならない旨が記されている。

*昭憲皇太后(1850-1914)とは明治天皇の皇后で明治天皇死後に皇太后となる、女子教育の振興、和歌を愛しその数36000首に及ぶ、大正3年に沼津御用邸にて崩御。*宇野哲人(うのてつと・1875-1974)は大正から昭和期の中国哲学者1936退官、東大名誉教授、儒学を中心とした中国哲学史研究に新生面を開いた。*有馬良橘(ありまりょうきつ・1861-1944)は海軍大将、海兵第12期、1912年以降第1艦隊司令官、第3艦隊長官を歴任、22年予備役、31年枢密顧問官。いずれも【コンサイス日本人名辞典/三省堂1990年改訂版】を引いた。

沼津御用邸は明治26年に当時皇太子であった大正天皇のご静養別御殿として造営され、明治37年以降、昭憲皇太后も避寒のため毎年ご滞在になられ、滞在中にはこの我入道の浜に草を摘みに足を運ばれた。馬車を降り、皇太后がお通りになられた足跡を『摘み草の道』と我入道の住人は親しみ呼んでいたそうである。

今、思いついて芹沢光治良の年譜を読んでみた。すると光治良は明治29年に我入道一番地に生まれている。続けて【人間の運命第1巻】を開くと、森次郎少年の周囲で皇太子の中学校行啓や御用邸の話が出て来る。自分の中でそれまで個別に意識していたもの・芹沢光治良と昭憲皇太后が今この瞬間に一線上に結ばれ、皇太后の存在がいきなり身近なものとなる。そして皇太后の徳を慕いてその周りに配置されている宇野教授、有馬大将の人となりまでうっすら、見えてくるような、そんな錯覚さえ感じ入る。

こういう忘れ去られ、巷間に埋もれていくような民俗小史/伝承のかけらを拾い集めたい。

7冊のカラーブックス178~184まで。

2005年07月11日 18時55分01秒 | カラーブックス
【7冊のカラーブックス】 今週は178番から184番まで掲載します。

178番【山陰/歴史と文学の旅】宮崎修二朗/初版44年8月1日
179 【グッピーの魅力】牧野信司/初版44年9月1日
180 【法隆寺】寺尾勇・入江泰吉/初版44年9月1日
181 【国会】久保田冨弘/初版44年10月1日
182 【こけし】山中登/初版44年10月1日
183 【名画に見るキリスト】田中忠雄・田中文雄/初版44年11月1日
184 【佐保寺の寺】門脇禎二・入江泰吉/初版44年11月1日



178番【山陰/歴史と文学の旅】の宮崎修二朗氏は【166番・岬/文学と旅情】に継ぐ執筆、今回も楽しい文学散歩となりました。33ページには私の好きな井上靖の『通夜の客』の舞台となった鳥取県日南町生山(旧福栄村)が出ています。一般に山陰、(または裏日本)という地名の響きは同じ中国地方の山陽に相対して暗いマイナスイメージをもちますが古来、大陸との文化、経済の交流はむしろこの地方が表日本側であり、山陰道八カ国の隅々には日本書記の時代より連綿と受け継がれてきた文化伝統の遺産を数多く見付けることが出来ます。学校の授業では決して教わることのない歴史の残り香や文学の面影を、寝転んで勉強できる楽しさがこの一冊にはあります。勿論、そんなときは中学校の地図帳は必携ですね。

179番【グッピーの魅力】の牧野信司氏は早くもカラーブックス4冊目の執筆となりました。今からおよそ40年も以前にグッピー人気の時代があったかと思うと、ちょっと想像できません。後文で述べられているように熱帯魚には『グッピーに始まり、グッピーに戻る』という言葉があるそうです。これはその道の奥義を極める譬えですが、本書ではまさにグッピーの魅力がまるごと一冊に凝縮しています。卵を産まずに仔魚を産む(胎生)あたりが猶のこと可愛いくなるのでしょうか。

さて、カラーブックスでは【奈良の寺シリーズ】が始まります。今回の7冊、の中にも180番【法隆寺】と184番【佐保路の寺】の2冊が登場しています。これから208番までの間に合計7冊が出てきます。いずれも入江泰吉氏の美しいカラー写真と当代一級の史学者や文学者の方の丁寧な解説により、古都の歴史を、その時代を生き抜いた人びとの息使いまで伝わってくるような旅愁溢れる仕上がりになっています。どうぞお楽しみに。

181番【国会】はカラーブックスの中ではちょっと異色な存在です。岩波書店の【日本史年表/ISBN4-00-001702】を引くと、本書が刊行された昭和44年10月当時は第2次佐藤栄作内閣とありました。この年の1月には学生紛争が頂点に達した東大安田講堂における機動隊8500名との衝突、374人の検挙の記事が出ていました。本書では内閣総理大臣官邸写真室に従事した筆者がカラーブックスを借りて、この国の政治について、政治を司る国会議事堂の内部をつぶさに写真紹介することにより、一般世間に広く理解を求めた会心の一冊となりました。特定の政治色を出さない内容が爽やかな読後感となっています。

183番【名画に見るキリスト】はキリスト教美術の散策を気軽に楽しめるということと、実は聖書を読むことが出来ない人たちをも含めてそれは描かれているということ。そして、絵を見て誰にでもイエス・キリストの教えが明快にわかるということの素晴らしさと、更にはその名画自体が信仰の対象物に足りうることまで教えています。厚い聖書の代わりにポケットに入れて、キリストを伝える名画を時として会社の昼休み、気軽に楽しんでみてはいかがですか。

表紙背景交替。

2005年07月09日 23時28分13秒 | オンライン古書店
古本寅の子文庫の表紙を7ヶ月間、守り支えてくれた背景を今日、開店7ヶ月を区切りとして2代目の写真と交代しました。この間、131人の方に岩波写真文庫をはじめ、寅の子本を数多くお買い求め頂きました。また画面の向こう側で、さらにさらに多くの人たちの励ましに背中を押されて、当店も淘汰の大波に飲み込まれることもなく、今日現在を迎えることが出来ました。本当に有難うございました。今はもう初代となったこの写真は昨年6月下旬、とらのこ、に生まれて初めて経験させた電車旅の中の1枚。この日、伊豆箱根鉄道(通称イズッパコ)の三島広小路駅から修善寺駅まで片道30分ずつ(往復1時間)の電車デビュー。場所の特定はできませんが、修善寺発三島行き上りの車窓、韮山付近ではないかと思います。(間違えていましたらどうぞ訂正ください。)とらのこも真剣な面持ちで流れて行く景色に夢中になっています。広がる水田の緑と偶然構図に収まった石塔を祀った祠が、民俗好きな寅の子文庫の方向性を諭してくれているようです。

新しい写真は今日7月9日、撮れたての1枚。今にも泣き出しそうな空の下、大海原への航海を静かに待っている、スカンジナビア号を選びました。とらのこも友情出演しています。前作は本人大マジメで一発OK!でしたが今回は何度もNGが出て・・・。

被写体も撮る方も必死に笑いをこらえています。

7冊のカラーブックス171~177まで。

2005年07月05日 06時36分56秒 | カラーブックス
【7冊のカラーブックス】 今週は171番から177番まで掲載します。

171番【人形劇入門】南江治郎/初版44年5月1日
172 【日本で味わえる世界の味】保育社編集部偏/初版44年5月1日
173 【北陸能登~歴史と文学の旅】駒敏郎/初版44年6月1日
174 【海辺の動物】鈴木克美/初版44年6月1日
175 【刀剣】小笠原信夫/初版44年7月1日
176 【ドライフラワー】ヤスダヨリコ/初版44年7月1日
177 【染色入門】佐野猛夫/初版44年8月1日


今夜は2冊ご紹介します。

171番【人形劇入門】は人気のナンバーです。皆さんご存知でしょうか。糸あやつり人形のことをマリオネットと言います。指人形はギニョオルです。指人形から発展した手袋人形はブラッティニー(セサミストリートでよく出てきますね)、棒で下からあやつる人形はロッドパペットと呼びます。さらには平形の影画人形など、東南アジアに広く分布している地域独特の人形もあります。本冊では単体としての人形を観賞するというよりはむしろ人形に人の手を使い、あやつることで表現をする、舞台の上で人と人形が織り成す一心同体の技の妙を楽しく解説しています。そもそも人形劇の歴史は古く、世界の各地で3000年以上も昔から演じ、続けれているそうです。カラーブックスで人形を取り上げるのも、37番【世界の人形】、49番【日本の人形】に次いで今回で3度目となりました。ここでちょっと脱線しますが、今夜、カラーブックスは昭和44年をお話ししています。ビニルカバーもすっかり、顔として定着しました。しかし時は下って平成3年、【808番】をもって突如、往年の紙カバー巻きに仕様変更されます(昔の紙カバーと比べると、薄っぺらい感じでとても残念です)。話の核心はここからなのですが・・、今、手の平にもう一冊の同じナンバー【171番】があります。この本は平成11年の重版本で、奥付けにこう記してあります。 『*この本は初版発行以来かなりの年数が経過し、状況の変化が多々みられますが、ご要望にお応えして敢えてそのままのかたちで重版させて頂きました。*』 ビニルカバーこそ巻いてありませんが、往年の懐かしい姿を復刻した限定版の1冊なのです。こんなところにも人気ナンバーを垣間見ることが出来ます。あやつる人形に手の温もりを通して感情を吹き込む、すると演じている人形から我が身が透かして見えてくる。大人もこどもも素直な自分に出遭える空間、それが人形劇を観賞する面白さ。もう虜になってしまいます。世知辛い現代を生きるこどもたちの心に届けたいナンバーです。

172番【日本で味わえる世界の味】にして、いよいよ保育社編集部が前面に出てきました。総力をあげて東京・横浜・大阪・神戸他の、国内で本場の味が堪能できる、世界の味処を一挙紹介しています。私はこのナンバーを手にするたび今でも自責の思いが浮かんでなりません。それは20数年前、貧乏学生だったころ、『美食学』 の講義をされた塩田正志先生が幾度も幾度も、銀座のソニービルへ行こうよと、世間知らず私たちを20000円のマキシムドパリ・フルコースディナーへ誘うのでした。しかし、逆さに振っても鼻血?も出ないその日暮らしの私には目が飛び出るくらいの金額で高根の花、ついに涙を飲んだのです。本冊ではマキシムがフランス料理の代表で一番最初(2ページ)に出ています。右のポケットに172番 左のポケットに126番【テーブルマナー】を忍ばせれば、もう鬼に金棒ですね。


コンピューターから離れてみよう。

2005年07月03日 18時56分22秒 | オンライン古書店
来る日も来る日も画面とにらめっこ。そんなに根詰めると身体を壊しますよ。
たまにはコンピューターから離れて、息抜きせねばいけませぬ。
今日は七月三日、日曜日です。六時に起きて庭へ出ました。
蜜柑の葉も緑が濃くなりました。朝日がキラキラ光っています。


犯人はあなただったのですね。
陽が沈むとガチャガチャ、おおきな声で鳴いていたのは。
まだカマキリやジョロウグモはちいさいから、おお威張りですね。


ゴールデンウィークに植えた茄子が、重たいから早く取ってよ、細い枝が垂れています。


ミニトマトも早く取らないとこぼれてしまいますよ。


『一輪咲いた』つつじも緋い花が3つ咲き、散りました。
身体は不恰好ですが剪定して葉も元気になってきたようです。
もう大丈夫。ずうっとうちに居てください。


早起きは三文の徳と言います。朝九時の会合に参加しましたら、
車の保険でお世話になっています壮年のTさんが帰りに寄ってくださいとのお話し。
今日は軽トラックで出掛けておりました。
訪問すると大きなダンボールに4箱、貴重なご本を貰いました。
さあ、雨が落ちてこないうちに整理、整理。

季節は青葉の候、今日は寅の子文庫はお休みしています。
時間がゆっくりと流れています。
マイペースを崩さず、背伸びせず。