寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

7月30日~沼津夏祭りの日に。

2006年07月31日 05時54分35秒 | 生活手帳


久し振りで中央亭の餃子を食べた。
高校野球の決勝は静岡商業が32年振りの甲子園行きを決めた。
夕方、昨日捕まえたばかりのアメリカザリガニを川に逃がした。
沼津の花火を見に狩野川べりに出掛ける。


首筋に熱がこもり氷枕で冷やす、夏風邪が抜けず尾を引いている。
暑さに逆らわないで過す一日。
暑い夏をまだ体の正面で受け止められぬ。


みんな、情けは人の為ならず~或るブログへ捧ぐ

2006年07月29日 06時40分59秒 | 生活手帳
【寅の子文庫の、とらのこ日記】は備忘録を兼ねた店主のひとり言。
日記で飯は喰えぬから適当に肩肘張らず書いている。
誰が読もうが読むまいが、お構いなしでコツコツ書いている。

漠然と感じていることも、文章に変換することで頭の中が整理できるから。
頭の中が整理できれば自分の意見をはっきり言うこともできる。
そんな訓練の場として、楽しみながらも利用している。
だから止めようとは思わない、利用できる環境がある限り続ける。
たまにコメントがくれば宝くじに当たったようで人並みに嬉しいが
でもそれになびかず、自分のスタンスは常に真ん中でありたい。

続けることが『ちから』となれば重い荷物も軽く感じて
人生という旅の景色を楽しむこともできる。
旅は道連れ~途中どんな出会いで、どう人生花が咲くかもわからない。
前途は遼遠としているが前途は洋洋であり、決して暗いものではない。
私がすることをあなたがしないように、あなたがすることを私はしない。
でもそれが健全だし、他人の目が気になっても取り越し苦労で、
案外、誰も何とも思ってはいないのだ。

幸せはそこらへんにゴロゴロ転がっている・・・

ひとつ大きく深呼吸したら幸せのかけらを拾いに、また外を歩こう。
足元にある生きるよろこびがきっと見つかるはずだよ。


朝7時の寅の子の窓から/或るブログへ捧ぐ


・2006年8月21日、そのブログは自らの手で削除された~

何処にでもある怪談~[そういうふうな]思いのあること。

2006年07月26日 05時00分47秒 | オンライン古書店
先週末より夏風邪が抜けず、薬のせいか頭も一向に働かぬ。
こんな時には普段思いもよらぬことが頭に浮かび、どうにも始末が悪いが時節柄、たまには[そういうふうな]話をして気を紛らわし、こんな類の話とて、きっと何か意味のあることかも知れないので、日付も変わってしまったが思いつくままに記しておく。

先週末、富士宮市まで古本の買い取りに出かけた。
途中、大渕街道と呼ばれる県道76号線を走るのだが、富士宮バイパスに合流する少し手前の道沿いに、白い洋館がポツリと建っている。4年ほど前にはどこぞの会社の保養所の名前が門扉に埋め込まれてあったが、先週、買い取りの道すがらに目を遣れば、そのプレートも外され、元の空家になっているようだった。音にも聞いた大渕の幽霊屋敷とはこれがそうで、30数年来、口に出さずとも地元では子供からお年寄りまで誰もが皆、知っている。普通、空家ともなればすぐに窓ガラスを割られて中を荒らされたりと、悪戯され放題なのだが、さすがにこの建物は違う。何年空家で過ごそうとも落書きひとつない~否、出来ないのだ。詳しい事情は知らないが、やはり[そういうふうな]ことは世の中にはあるのだと思う。

今では考えも及ばぬが、運転免許を取ったばかりの頃には深夜の[肝試し]によく出掛けた。亀石峠=亀石道路(大仁~伊東線)は道幅が狭いうえ、S字カーブの連続で昔から事故が後を絶たなかった。深夜に深い霧になるようなときには決まって、[出る]から遠回りしても熱函道路を行けと皆、口を揃える。~何が出るのか?と返せば、小さな男の子だと云う~万一姿を見ても、そんなときは絶対に振り返ってはならないと、真しやかに伝えられたが、果たして今はどうか分からない。 そして、その遠回りをした熱函道路でさえその終端、湯の町熱海に降りれば、錦ヶ浦の断崖絶壁は[飛び込み]の名所として悪名高い。今でこそ国道135号線にトンネルのバイパスが出来て素通りとなり、こんな不名誉な名所へ通じる旧道を、わざわざ通る物好きな車も無いと思うが、面白半分にもここを通ろうものなら忽ち手痛い目に遭う~どういう訳かその場所に来ると、いきなり車のエンジンが止まってしまうのだ。似たような話は西伊豆スカイラインへ通じる136号線の船原峠にもあり、こちらは走る車に髪を振り乱した老婆が、ピタリ並走しながらガラス越しにこちらを覗き込むと云う。想像しただけでも身の毛がよだち、雨の降る夜は行ってはならぬと止められたことがあった。

[そういうふうな]モノは水によく集まってくるとも聞く~天城湯ヶ島の浄蓮の滝や富士宮の白糸の滝へは、わざと丑三つ時に時計を合わせて出かけた。懐中電灯を頼みに滝壺まで道中長い石段を降りて行けば、それはもう我慢比べのようなもので、必ず途中で誰ぞ、ワーっと奇声を上げるが早いか、瞬間にして一同踵を返し、たった今の今まで、おっかなびっくり降りて来たばかりの階段を、今度はソレーとばかりな勢いで一気に駆け上がる。息を切らして声の主を糾してみれば、やれ滝壺から女の声がしたような、向こうの木の梢に青白い火の玉が飛んだようなと如何にも、さも有りなんとばかりに、見てきたような?話をする~そんな友の真顔が今も瞼に浮かんでくる。

136号線を三島から真っ直ぐ下り、狩野川大橋を渡って修善寺に入るとすぐに道が大きく左カーブして、そこに公園があり、当時は夜泣きのラーメンが出ていた。スープの味はもう忘れたが、屋台のおじさんは[そういうふうな]話には辣腕で、~ヤレ、あスこはこうだからアンタち、今からスグ、見に行ったらイイズラよ~と、いよいよ輪をかけて吹聴する。こちらもその時はとばかり手に汗握り、生唾を飲んだが、後で落ち着いてよくよく考えてみれば、おじさんのほうが1枚も2枚も役者が上で、冗談話を真に受けて、それこそ一杯喰わされて笑い話になった。

そのおじさんの屋台から車で何分という場所に、静岡県内では東の横綱だった[心霊スポット]がある。現在ではもう取り壊しをして更地になってしまったが、修善寺の熊坂から真っ直ぐ登り、ニュータウンの頂上にあった、ホテル修善寺ニューッキャッスルがそれだ。ある議員センセの御用達で一時は随分、羽振りの良かったような話も飛び交ったが、閉鎖されてからは廃墟同然に荒れて、あそこにだけは行ってはいけない、必ず憑いてくるから~と地元に住む友人の忠告もあって、深夜の肝試しはさすがに断念したが、行けば行ったでやはり[そういうふうな]ことは起こったかもしれないし、行かなくて良かったと今でも冷や汗が出る。

~こんなことを話し始めると、延々として終わりが見えないのでここでやめる、


世の中には目には見えないが、ちゃんとけじめがついていて、普通の人には、見えなくても良いものは見えないようになっている~だからいくら[肝試し]をやっても見えなかったし、今では見たいと思っても叶わぬ夢だと思う。でも、どこでどう間違ったのか、中にはそれが見えてしまうような人がいるので困る。携帯電話でテレビを見る時代に何をクダラナイ!とお叱りを受けるかも知れない。しかし、世の中には私たちがいくら考えても[そういうふうな]ことはあるのだ。

以前、ピーコさんの【片目を失って見えてきたもの】という本が売れた。その中でピーコさんは、お亡くなりになったお母様の気配を家の隅々からいつも感じていたそうで、後を追うようにして逝ったお父様の四十九日が終わるまで、その感じはずうっと続いていたと言う。襖を開ける音や家族を呼ぶ声がしたように感じることは日常茶飯事で、死んだ後も半身不随だったお父様のことが心配で家から離れられなかったんだね~大体そんな内容だったと記憶しているが、なるほど、[そういうふうな]ことがあってもおかしくはないと思う。誰でも死んだ後のことは分からない。しかし死後の世界とは巷で騒いでいるようなオカルト番組の延長ではなく、もっと厳粛であり、精神的な次元の高いもののように思えてならない。人間はこの世の中をワガモノ顔で制圧しようとしているが、しかし踏み越えてはならぬ場所は必ず在るのだと信ずる~[そういうふうに]考えるほうがより自然ではないだろうか。神も仏も信じぬとしながらヤレ今日は大安、今日は仏滅と日を選び、受験生の親たちは絵馬に合格の願を懸ける。日本人が暮らしの中で長い年月をかけて育ててきた風俗習慣、禁忌や縁起の善し悪し、果ては物の怪や神々の存在に至るまでが今、無造作に掃き捨てられようとしているのではないか。否、世の中は明るすぎるのだ~夜は暗いほうが良い。[そういうふうな]モノを単に言葉ではなく、動物の五感で受け止めることを私たちは忘れている。


もう何年か前に、ウチでも千尋に連れられ家族全員で、向こう岸の[湯屋]へ渡った~釜ジイの焚いたお湯に肩までつかり、ハクのおにぎりを泣いて食べた。[そういうふうな]思いをいつも温め、心の片隅にそっと置いて見つめていたい。

古書買い取りして思う(2)~富士宮市20:30

2006年07月23日 07時46分21秒 | 買い取りと配達の現場から
金曜の夜、仕事帰りに富士宮市まで古書の買い取りに出かける。
約束の時間に着けば、店主とほぼ同年輩のご夫婦してお出迎えくださる。事前に画像アルバムで見ていたとおり、本の山・山・山。とても乗用車1台では積みきれぬ~2トンの平ボデーでなければ到底ムリ。結局、予め画像で査定してあった66冊と他に76冊の15年戦争モノを買い取った。残りの本の山はいずれの公共施設に預ける意向なので、私もブックオフへ捨てるよりはそのほうが本が生きると話をした。

伺えば、蔵書はすべてお父様の遺品であるという。昭和4年生まれは寸でのところで一線を引かれて戦争へ取られなかった~儲けモンの命のようなものだ。それが為かどうかは分からないが、昭和史や戦争についての本が目立つ。偶然にも同年生まれだった私の父親と通ずるものがあるのか、お集めになられた蔵書の何冊もが父親の本棚に見たようで懐かしかった。人は死んでも後に本は残り、その本がまた誰かの手から手へ渡り、延々と読み継がれることを念じてやまない。そしてその橋渡しをするのが店主である私の使命。

古本屋の醍醐味は買い取りにあると思う。寅の子文庫も今年の4月から買い取りを始めた。日々のメール注文はそれはそれで有難い。しかし実際にお宅へ訪問して自分の目で買値をつけてOKを貰い(却下されることもある)、買い取らせて頂く。この仕入れの味を覚えたらもうやめられない。店主がよく通う三島の古本屋の親父さんも買い取りこそ古本屋の命と言う。不謹慎な譬えで恐縮だが、少年が初めての経験で男になるような、そんな思いにも似ている~そうなると気持ちはどんどんデカクなって気分はもう一端の古本店主ときている(まだ店もないのに・・・)

何事も一朝一夕では事は成し得ないし、急いては事を仕損じる。亀のような遅い歩みではあるが一人前の古本屋の親父に成長したい。


富士宮のIさん、遅くまでお付き合い頂き、有難うございました。


写真は昨日朝(22日)、風邪の熱で足がふらつき2階までまだ上げられぬ。

油断大敵~こどものプール熱、侮りがたし。

2006年07月21日 06時29分56秒 | オンライン古書店
育児な手帖さんの記事によると、今年はプール熱が大流行の兆しとか。
ウチのとらのこも7月12日のプール開き以降、18日に一気に39度の熱が出ました。すぐに小児科で診て貰いましたが、その後も高熱は二日も続き、ようやく熱が引いたと思えば今度は咽喉が痛いようで~なかなか手ごわいプール熱とやら、侮れません。

そして私も今、咽喉が痛くて咳が出るのです。
昨日、一昨日とバケツをひっくり返したような雨の中の立ち仕事~傘もカッパも、もうどうでもいいよってな感じの濡れネズミ。悪寒の走る原因はどちらとも言えませんが(プール熱を大人が貰うことだってあるだろうし・・・でもお母さんはケロってしているし・・・)

いずれにせよ、
(1)こどもがプールに通いだしたらプール後のシャワーと洗眼、手洗いとウガイの励行を口を酸っぱくして言う。(2)プール熱を貰ったら二次感染させない為にも手を拭くタオルは別に用意しよう。


今朝もまた無常の雨音で目が覚める・・・
今日はアフターファイブに富士宮まで1時間かけて古書の買い取りドライブがあります。明日は地元の夏祭りと、行事続きでゆっくり横にもなれませんが、夏場の風邪は長引くとも申します。皆さま、くれぐれもお気をつけください。


寅の子文庫の窓から見れば、緑たちは雨をいっぱいに吸ってうれしいそうー。


追記~今朝は7月27日、38度の熱が3日続いた後、鼻水と咳と痰が止まりません。元通りに回復するまで、一週間はかかるようです。

修行が足りぬ=新着止んで、立ち止まる。

2006年07月19日 05時11分16秒 | オンライン古書店
7月の声を聞いてからさっぱり修行(=新着本UP)に身が入らない。
オンライン古書店が新着本のUPを止めれば営業放棄にも等しい。何より画面の向こうで見ていてくださるお一人お一人に申し訳ない。

画面の向こう側から、思いもかけず投げてくださったボールを胸の前で拝み取る。横浜のYさんはお取引の後、EXPO'70で関税の仕事に携わった当時を懐かしくもお話になる~勤め上げた会社も来年、定年退職とのこと。近江八幡のKさんは古きよき時代の子供の遊びや米作りの様子を写真を通して今の子供たちに教えたいと言い、探求本の置き土産をくださった。逗子のIさんからは緩衝材の代わりに本を包んだ伊豆日日新聞を読んで率直なご意見をお寄せ頂いた~私のお店も、爪の先ほどは皆様のお役に立っているようでうれしいし、こうした本来なら店頭で交わすようなちょっとした会話の端々が次の商いのヒントになり、案外お店の舵取りに役立ったりしている。

お店を立ち上げひたすら走った1年7ヶ月。
おかげでオンライン古書店の長所も抱える問題も、よく身の肥やしになっていると思う~今はもう自惚れではなく、ご同業他店の芝生もウチのそれと同じ色に見えている。もし他店を羨む暇があれば、それこそ新着本のUPに精を出そう。しかし今、この作業が止まったまま進んでいない~何故だろうと考えてみる。 単に怠けている訳ではない。いろんな意味でお店が脱皮しようと、次のステージを迎えているときが来ているのかも知れない。毎月の売り上げはさて置き、
(1)お店の独自性と扱うジャンルはバランスが取れているか。
(2)在庫の置き場所と本棚整理は出来ているか。
(3)マイサイト(ホームページ)の使い勝手の善し悪し。
この3点を当座の課題とみたとき、毎日の修行(=オンライン古書店の基本中の基本は新着本UPであり、私はそれをあえて修行と言う)、が課題に引きづられて消化不良をおこし新着本の手が進まないのではないか。そして解決策はと言えば、ただ日常業務の雑多を乗り越えていく中から活路を見出す以外にないとも承知している。頭の中を再度整理すると~(1)扱うジャンルを絞り掘り下げたい。(=お店の色を押し出す)。(2)保管場所は自然の成行きに任せ、外部に適当な空間を借りれば良い。(3)ホームページ全般について言えば、より低コストで使い勝手の良いネットショップ専用サーバーへの乗り換えをも視野に入れつつ、現状路線を維持する方向で進む。~以上のようになる。 そして今一度、自分の思いをお店を立ち上げた地点(原点)に戻そう~いつの間にやらついた要らぬ贅肉?をそぎ落とすのだ。


こうしている合間も、発送する岩波写真文庫を新聞紙で包んでいる。
昔は八百屋も魚屋もよく新聞紙で包んでくれた~否、それが当たり前の時代があった。このスタイルはネットでよく利用する愛知のH書店さんに学んだ~冊数で厚みを増せば角封筒の代わりにペットボトル用のダンボールを潰して裏返しに使い、見た目も端正な荷造りにご主人の古本屋稼業へのこだわりを見る。古本屋という商売に贅沢はないのだ・・・


結論=たとえ売れなくとも、風評気にせず、自分の足で立ち、自分にしかない色を出してコツコツと歩みを止めない、とでも言おうか。自分の尻は自分で拭うものだし、あとはどちらに転んでも野に山で後悔はなく、それで潔しとしたい。

昨日届いたCDから~空のコトバ

2006年07月16日 07時03分07秒 | 生活手帳
先週の日曜、家電の量販店に涼みに出掛けた。
電化製品には余り興味は無いが、目の保養にはちょうど良い(=世間とウチとの生活のギャップを推し量るのだ)。進歩著しい薄型テレビの前で足が止まる。液晶ハイビジョンって、なんでこんなにきれいなの、ってくらいきれい。惚れ惚れしているうちにテレビより放映している番組にハマッテしまった~日本列島を普通電車を乗り継いで旅をしているらしい~バックに流れる女性ボーカルの歌にシビれて、検索。

という訳で、またまたアフェリエイトを気にせず買ってシマッタ!

空のコトバ
福島邦子
フレイヴァー・オブ・サウンド

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歌っているのは福島邦子さん
お名前はずっと昔から存じ上げていましたが、歌を聴くのは初めて。一途に歌の道を歩んで来られた半生と真っ直ぐな線路がオーバーラップして、その先に見える車窓風景が沁みる。ジーンとして迫るものがありました~CD買うなんて何年ぶりだろう、お薦めの1枚です。


追記~福島さんは沼津市の観光ピーアールに一役買って、燦燦(さんさん)沼津大使を昨年勤めたばかりです。こんなページもありました~木村工務店のページ。わが町・清水町にもご縁があって、【いずみのまちコンサート(02/08)】を開いていたりと、急に身近な存在です~今後のご活躍、応援します!

善良なる市民のささやかな祈り。

2006年07月14日 05時05分41秒 | オンライン古書店
善良なる市民の一日は、ヨクミキキシワカリ、ソシテワスレズ~
今日も熱い思いの冷めやらぬうちに少し、書き留めておきたい。

私が運営する地味なサイトは、レンタルサーバーのEストアー(以下E社と言う)が提供するホスティングサービスを受け、インターネット上で公開している。2004年の契約当時より今日まで、ネット上を這いずり回る稚児にも等しい私にとって、E社の対応は懇切丁寧で頼もしい~同じようにオンラインショップを夢見る同志に幾度、E社を使うメリットを熱く語り、勧めたことか。その思いを今後とも持ち続けたいが故に今、あえて一言、釘を刺したい。

7月10日月曜日、E社から1通の封書が届いた。見れば朱書で[重要]とある。何だろう?開けてみれば、それは、[或る有料オプション]の向こう1年間に亘る25,200円の前払い請求書であった。それが今回、苦言申し上げたい事の発端なのだ。私のサイトではE社が提供する月額2980円の基本プランを主契約で結び、年間前払い(2,980円x12回=35,760円)で利用している。昨年、年度途中より或る有料オプション(2100円/月)を同じように主契約満了月まで一括前払いで申し込み利用した。その契約が満了となるのが本年6月末日に当たり、継続の場合には、本年5月末日までに次年度の利用代金を一括で前払いする約束になっていた。

今回、私は私の判断により、[或る有料オプション]の次年度更新をしない旨を事前に伝え、改めて請求書([或る有料オプション]の代金25,250円を差し引いた額)の再発行を経て、額面とおりの代金を期日内(5月29日)に振込んだ。私としては、その時点(再請求書が届いたとき、或いは振込みを終えたとき)で、次年度の有料オプション契約は解約したものと心得ていた。(請求書の額面を変更してもらったという事実はまぎれもなく解約している証しではないのか)。それが、どうした訳か7月10日、何の前触れもなく1通の請求書となって届けられたのだ。その晩すぐに、何かの間違いではないかとメールを打てば、翌11日、携帯に電話が入る。こちらとしては、手違いのお詫びぐらいに軽く思っていると実はそうではない~要約すれば、[解約をするにはお客様自身で解約フォームに記入して、メールで返信する事が前提であり、返信して初めて解約手続きが完了される]とのこと、そしてその解約フォームのメールは5月20日前後、2度に亘り送信済みと言う。故に解約フォームの返信がないので次年度も再契約をされると判断し(私に更新の確認を取ることもせずに)、請求書を送付したとの言い分だった。寝耳に水とは正にこの事で、担当者は玩として譲らない。私は私なりの意見を述べ、代金の支払いに応じることを拒否した。E社から見たとき、私の側に落ち度?が確認できたように、私から見ればE社の対応は当然のごとく落第だった。結局その日の話は互いに譲らず、一日経った12日のやりとりでは、[通常は取り上げるべき事例ではないが、イレギュラーケースにつき、7月分のみ2,100円の使用料をお支払い願えないだろうか]と言う、こちらにしてみれば、なお不本意であったが、今後ともE社との付き合いを継続したいので、已む無くそれを落し処とした。

今回のE社の対応について、私の云いたいことは次の通りだ。

(1)私はE社からのメール(返信フォーム用)は見ていなかった。
届いていたかどうかも分からないし、あるいは見ないで削除したのかもしれない。にも拘わらず、万一の救済措置がまるで出来ていない。メールを見なければ返信しないのは当然で、そのこと(返信がないこと)に対して、契約更新の最後通告もせず、一方的な推測(=契約更新)だけで請求書を送るのでは余りに礼儀を欠いている。 (2)支払いを伴うような大事な契約変更手続きを、安易にメールのみに託して良いのか~例えばクレジット会社や銀行・NTTですら契約変更の手続きは面倒くさいが文書扱いではないか。 (3)対応にまるで柔軟性がない~E社には落ち度はありませんの一点張りで、こちらが悪者扱いをされている。


これではE社の社是とも言える~『心を伝えるサービス』とは何ぞや、と言いたい。お店とお客の心が通じなくて何が商売かと声を荒げたい。昨日、一昨日と話合いの過程で、謝意の礼を取らぬ応対(少なくとも私はそう感じた)が何より寂しくまた堪えた~同時に私の中で培ってきたE社に対する信頼感は脆くも崩れた。

若い人たちがシンクタンクで効率良く稼いでいくような流行の会社には、時としてこのような落とし穴がある。予め敷かれたレールの上では仕事もこなして成績も上がるが、一対一の真剣勝負の接客の現場をもっと積んで欲しい。商売とは血の通った生き物であり、その上で、タイムイズマネーと教えてくれたのは他ならぬIT産業と言われたあなた方ではなかったか。私のようなパソコン音痴にはE社の手取り足取りのサービスは有難いし、末長い付き合いをさせてほしいと思う。だからあえて文句を言うのだ。

善良なる市民のささやかな祈りは、日常何処にでも転がっているほんの小さな心のさざ波。でも、やがては大波となって固い岩をも突き崩してしまおう。善良なる市民は見ている~見ていないようで隅隅々まで観察している。文句の出ないお客とは何も言わない代わりに、二度と買わないと知るべきである。他人事ではない、私も今日、命に刻もう。

またコツコツと始めるか。

2006年07月11日 06時33分12秒 | オンライン古書店
心を亡くすと書いて、忙しい。
誰だって忙しい時間の中を生きている。

新着UPを待っている本たちの列が部屋からはみ出している。
相手が本だからいいけど、病院の待合室だったらどうなるの。

最近ちょっと忘れてた。
軌道修正して、またコツコツと新着UPしなくては。

虎徹と清麿を見た~三島市佐野美術館

2006年07月10日 06時16分11秒 | 生活手帳
江戸初期、人生半ばにして越前の甲冑師から身を転じ、
努力の末に当代随一の名工となった虎徹。
更に二百年の歳月を隔てた幕末の激動期に四谷正宗の異名を取った清麿。

日本刀が実用から離れようとしたとき老熟の冴えを見せた虎徹と
再び実用に転じるとき、若くして天才的技量を発揮した清麿。
江戸時代の始めと終わりに華を咲かせた二人の刀匠。
~その70余点の輝きを見た。

*開催期間は7月1日から8月1日まで/三島市佐野美術館にて。

詳しくは、佐野美術館/虎徹と清麿のページ



我が家のコテツも割り箸の刀をこしらえて(ちゃんと反りまで入れてある、)
勇んで参加するもスグに飽きてオウチ帰ろー。
故にお父さんはロクに見学できずコメントもできず、
再トライ(再見学)を胸に秘めている・・・

冊子小包の、代引きの、速達?

2006年07月08日 06時09分08秒 | オンライン古書店
ご同業の、古本のともしび洞さんとはうさぎ書林さんの掲示板以来のよしみ。
先日も[代引き注文]についてメールで意見交換をした~すると翌日、代引き注文が入る。(偶然ってあるものですね~)そんな話を昨夜メールしたばかり。するとどうだろう、今朝メールチェックで代引き注文が今度は2件。

~ポケットの中にはビスケットがひとつ、ポケットを叩けばビスケットはふたつ~
(脈絡は何もないが、)子供がはしゃいで歌っていたメロディが浮ぶ。


お客さんが代引きの速達を希望されているとき、どう案内をするか、(発送手段を郵便局に限定をした話、) [冊子小包+代引きの速達]で出すのか、[ゆうパック+代引き]にするのか、意見が分かれるところだが、寅の子文庫では迷わず[ゆうパック+代引き]で、ご案内差し上げる。
両者を比較すると例えば、風袋1kg以内で計算した場合、[冊子小包の代引きの速達]では商品代金の他、送料340円(全国一律)+代引き手数料250円+速達料金310円=900円かかる。[ゆうパックの代引き]では地域にもよるが60サイズの関東~近畿までが、局持ち込みで600円+代引き手数料250円=850円と逆に安い。本州全域と四国まで範囲に入れても950円と僅差。安いと思っていた筈の冊子小包が速達料金を組み合わせることで、ゆうパックの料金とあまり変わらなくなってしまう。~そしてゆうパックには配達日時指定という何よりの強みがある。

[冊子小包]+[代引き(250円)]+[速達(310円/重量で違う)]という確率は100件注文があって1件あるかないかだと思う。ウチの近所には郵便局しかないので他社のサービスにおいてまだ検証の余地が残るが、いずれにしても、お店としてみれば代引きを指定されると代金回収が確実なので非常に有難い。

補足事項~冊子小包は通常配達日時は指定出来ないが、別途50円払うと発送から10日以内であれば日曜祝日を含む配達日のみの、指定が受けられる。
詳しくはゆうびんのホームページ/代引きQ&Aをご参照まで。

傍迷惑なトラックバックを削除~七夕の夜に。

2006年07月07日 23時19分37秒 | 生活手帳
ワンクリ詐欺・架空請求にはご用心の記事にご丁寧にも、ハタ迷惑なアダルトサイトがトラックバックされていたことは百も承知していたが、ほって置いた。しかし、最近インターネットを始めた義理の姉さんがトラックバックリンクにソレを見つけて、あらぬ嫌疑がかけられていることを知り、削除した。

~ときに清濁併せ呑むことは必要なのだ、清水に魚棲まずとも言うではないか。


Bene(よく)esse(生きる)の、古語辞典買う

2006年07月06日 22時57分53秒 | オンライン古書店
仕事帰りに学園通りのbook吉野屋へフラリ立ち寄る。
大きい声では言えないがトイレを借りたかったからだ。
ついでに普段見たことのない2階の参考書売り場を覘いてみる。
そこで何気なく手に取った1冊がコレ。

【ベネッセ全訳古語辞典/ベネッセコーポレーション/2524円】
~福武書店と言えば勿論分かるが、ベネッセが福武だったとは迂闊だった。

パラパラめくれば、古語辞典ってこんなに楽しいものだっけ!
【新修国語総覧/京都書房】や【大修館国語要覧】を見るような面白さ。
今更向学でもあるまいが、とりあえずレジーへ・・・


夜、PCの電源を入れて、ハタと気がつく。
何も急ぎでなければアマゾンで買えばよかったのにー。
マイサイトのトップにアマゾンのアフェリエイトリンクが貼ってあるだろう。
そこから入って購入すれば自分にポイントが付いたよね、きっと・・・

でも、自分のアフェリエイトリンクで自分にポイントって、付くのかなぁ。


ベネッセ全訳古語辞典

ベネッセコーポレーション

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せっかく買ったので一つだけ引いてみた、
【おぢゃる】
1)~行くの尊敬語[動詞]おいでになる。いらっしゃる。
2)~ありの丁寧語・あります。ございます。
*256ページ3段目

古書買い取りして思う~売れなくてもいい宝塚歌劇の本棚

2006年07月05日 19時10分41秒 | 買い取りと配達の現場から
売れなくてもいい本棚がほんの少し回り始めた。
宝塚歌劇の本棚は卒業された生徒さんたちへの応援歌のつもりで作った。舞台の上では其々の花を咲かせた生徒さんたちもやがては結婚され、家庭の台所を預かる一主婦となり、逃げることのできない現実の舞台で揉まれながら、いつかは一家の太陽として、家族を慈愛の光でやさしく包むに違いない。~そして実はそれが宝塚歌劇団の名誉と誇りであり、大舞台への憧れはさらにフィードバックを重ねて、将来も宝塚音楽学校の門を叩く純粋な若い人たちは後を絶たたないだろう。

昨日届いたみかん箱一杯の中身はいずれも30年前のグラフや公演プログラム。正直、もっと高値をつけたかったが、それでも精一杯の査定でご承知を頂いた。古本屋稼業とは古本の里親探しのようなもの。色褪せて傷んだ本に人の匂いや温もりを感じながら、次なる親を見つけて橋渡しをする。中にはチャッカリ、私自身が親代わりとなることもたまに・・・


生駒のFさん、昨夜代金振り込みました。
買取りの古本たち、確かにお預かりいたしました。
有難うございました。



本と一緒に査定した45回転のシングル盤~【甲にしき】と【上月晃】には、
少しの間ウチに居て貰うかもしれません、

朝7時半に来た猫が民話になるとき。

2006年07月03日 06時47分34秒 | バアバの生活手帳


バアバの話によれば、

朝7時半に来る猫
がもう10日も姿を見せないそうです。
毎日通い猫になってからは、名前も新たにクロちゃんと付けた矢先の事。
我が物顔で家中を物色し、シロちゃんの箱でお昼ねをして夕方、本宅へ帰ります。
そんな規則正しい生活が3ヶ月続いて、パタリと消息がなくなりました。

ウチ中で心配になって、昨日、本宅のGさんへ事情を伺いに行けば
6月16日夜半、雨の中をいつも通り2階のベランダから出て行ったまま戻らず
方々手を尽くしてみたが行方知れず、家出をする動機も見当たらないので、
何か事件に巻き込まれたのかもしれないとのことでした。

ウチのシロちゃんにしても、
あれだけ熱心だった夜中のミーティングに今は知らん顔。
どうも隣組ご近所の猫たちは何か様子がおかしいようです。


アメリカンに始まり一連の猫たち、についての話はこれでピリオド?
クロちゃんとアメリカンには最初から3ヶ月間だけの契約があったのでしょうか。
そしてウチのシロちゃんはクロちゃんの行き先を訊いているのでしょうか。
物語はハッピーエンドではなく、またいつか、この続きを書くかも知れませんが、

こんな話は巷に掃いて捨てるようにあるものだと思うし
しかし、他愛無いような飼い猫との応酬も
当事者にしてみれば掛け替えの無い日常生活のひとコマであり、
我が家の猫にまつわる話が現代民話考、の名も無き話の末端に埋もれながら
バアバの心から出て、私たちやちいさなこどもまで虜にしながら、
この先、たまには思い出して温かく語り継いでいけたらそれで本望です。


民話とは斯くも瞬間にして、こう云う形で生まれるものかと教わりました。


最後に、このさき我が家に伝わるであろうささやかな物語の猫たちを代表してー、
本名=トラ(通い猫名=クロちゃん)雄12歳
2006年6月17日消息不明