寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

二通の手紙~強い憤りとアイスクリームのお礼

2007年09月30日 05時39分38秒 | 生活手帳

私たちは社会の中に生きている。
社会を構成する一員として時に自ら進んで意思表示する場面に遭う。
故意に人の命を奪った者は、その命で罪を償わなくてはならない。
磯谷利恵さん拉致強盗殺害遺棄に対して強い憤りがある。
犯行に及んだ三人への極刑陳情書に署名した。


昼間、丹那牛乳の丹那農協からアイスクリームの詰め合わせが届いた。
夏の終わりにコテツの名前で100名抽選に応募したのをもう忘れていた。
いつも家族皆で飲んでいます、と一行添書きが功を奏したか。
コテツにひらがなで、「ありがとうございました」とお礼を書かせた。

私たちは社会の中に生きている。
泣いたり怒ったり笑ったりしながらこの社会をよくしていこう。

白内障の手術を終えて~バアバの視力は1,5

2007年09月27日 04時31分21秒 | バアバの生活手帳

白内障の手術から約一ヶ月、経過は良好。
バアバは8月22日・29日と片方ずつ手術を受けた。

其々手術前日、感染炎症を抑制するクラビット点眼薬を4回点眼。
当日、散瞳作用のミドリン点眼薬を朝6時30分から20分間隔で点眼(8時まで)
6時50分、自宅出発~途中時間を計りながらミドリンを継続点眼。
7時40分、順天堂伊豆長岡病院到着。
8時30分、パジャマに着替え、車椅子で手術室入室。
9時00分、手術開始~所要時間15分、術後30分安静。
9時50分、眼科外来で看護師の説明を受けた後、精算して帰宅。
手術翌日より紹介元の眼科医通院、眼内炎もなく経過を見ながら現在に至る。
術後一週間で入浴OK、洗顔・洗髪は大事をとって今月末まで不可。
常時ゴーグル(偏光)をかけて埃や汗が入らないよう注意。

手術費用は一回(片目)につき174,340円(348,680円)
但し保険適用にて本人一割負担17,430円(34,860円)
3万円強で視力が回復すれば眼鏡一本つくるのと金額は同じ。
その上、遠近ともによく見えて、当分の間は眼鏡も要らないとのこと。
白内障は老化現象の一つなので本人に自覚症状がなくとも
家族でよく注意して、おかしいと感じたら診察を受けたほうがよい。
ウチではコテツが指差すジェット機がバアバには見えなかったので気が付いた。
80歳の手術だったが、せめてもう5年早く気づいて上げられたらと後悔している。

今、うち中で一番眼がいいのはバアバだ。
両眼とも視力は1,5に回復した(手術前の検眼では0,15)
飛んでいる蚊を両手でパチンと潰してみせる。
自宅上空、豆つぶのようなジェット旅客機もよく見えている。

「さあ、これからはお部屋のお掃除が大変ですよ~」
笑顔で送ってくれた看護師さんの言葉の意味が解った。


好奇心も旺盛になったようだ~ノーマン・ロックウェル展にて/三島商工会議所

※追記(9/28)~昨日の診察では、遠くはよく見えているが手元で新聞を見るときなどピント調節がうまくいかないことがあり、視力はまだ安定していない。もう少し落ち着いてから(2~3ヶ月様子を見て)眼鏡をひとつ作ることになるかもしれないとのこと。

《サイト内関連記事》
白内障の手術を受けよう~バアバの決心。(07/6/13)
白内障と緑内障~中高年が気をつけたい目の病気。(07/5/16)

年金から天引き~高齢者医療制度が来春から変わる!

2007年09月22日 05時53分43秒 | バアバの生活手帳
役場から第3期分の国民健康保険の納税通知書と新しい保険証が届いた。
同封のチラシによると、来年4月から高齢者の医療制度が変更するらしい。
箇条書きで説明すると次のとおり~

『後期高齢者医療制度』
・すべての75歳以上の人
・自己負担率1割(現役並み所得者3割)

『前期高齢者医療制度』
・65~74歳の人
・自己負担率3割(65~69歳)
・自己負担率2割(70~74歳/現役並み所得者3割)
◎いずれの場合も、国保・健保から自動的に脱退、保険料は年金から天引きされる。

要するに75歳以上の人は、現在の医療制度(国保や健保)から強制的に脱退させられ、まったく新しい制度の枠組の中で医療を受けることになる。年金収入年額18万円以上では天引き、18万円未満では市町村窓口で納税が義務付けられる。これは昨年(2006年)6月の国会『医療制度改革法』で成立をみた。ウチの場合でもバアバは扶養家族の保険証がなくなり、「スズメの涙」ほどの年金から天引きされる。少子高齢化社会で財源不足とは言え、これでは弱い者いじめに等しいのではないか。格差社会は確実に年々そのスピードを増している。

《関連記事》
しんぶん赤旗日曜版、9月23日号
読売新聞の、医療制度改革法が成立の記事

かあさんのめまいは脳脊髄液減少症!?~その2

2007年09月10日 06時41分23秒 | 母さんのめまいは、脳脊髄液減少症

国際医療福祉大学熱海病院へ行った。
かあさんのめまいは「脳脊髄液減少症」という病気かもしれない。
この病気はまだ医学会で認知されておらず、治療に保険も利かない。
熱海にあるこの病院でその治療ができると教えてもらうも、
紹介状がなければ診療は元より受付すらできない。
幸い町内にある静岡医療センター(旧国立東静病院)で
進歩的な先生が、かあさんの熱意に折れて紹介状を書いてくれた。
今、やっとスタートラインに立った。


かあさんが話しを聞いている間、待合コーナーに居た。
最近の病院は何処もきれいで快適、暗いイメージは微塵もない。
眼下に熱海ビーチライン(有料)が走る。
碧い海が水平線でゆるやかな弧を描いているのが分かる。
コテツも「地球って丸いんだ」と納得。


帰り道、足を伸ばして熱海後楽園ホテルへ寄る。
駐車場が空いているので聞いてみると先日の台風9号で「みさき館」が浸水、
電気系統をやられて宿泊が出来ないらしい。
市街が一望できる「タワー館」18階スカイレストランで遅い昼食にした。
9月17日には季節外れの花火大会に宿泊客で賑わうとのこと。
右端の円内が国際医療福祉大学熱海病院で、
このホテルと病院は其々熱海市街の東西両端に位置している。
彼我の距離は直線にして1700m、この中に熱海温泉がひしめき合っている。

※脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)については現在、全国から受診依頼があり、
平成18年8月より診療受付は全ての場合において文書による予約受付のみ可。
以下の必要書類を揃えて週明け、郵送することになった。
・診療申込書
・脳神経外科・篠永教授診療予約申込書No1
・同予約申込書No2
・他医療機関紹介状
・80円切手貼付の返信用封筒

《かあさんのめまい、その主な症状》
・めまいがすると何もできない→寝て自然回復を待つしかない
(一週間程度の安静を要する顕著なめまいは隔月1回/重症では生理が止まる)
・自身が回ったり、或いは動きの早いもの、回転するものを見ただけで酔う
(車の後部座席は酔う→これ等の症状日常茶飯事/1~2日安静)
・一点を凝視、或いは下を向いてする仕事ができない→裁縫、パソコン、掃除機
・気圧が下がると頭が重い(頭痛)肩こり、鬱になる→雨予想(天気)が当たる
(耳鼻科三半規管異常なし/神経内科診察異常なし)
・過去に鞭打ち症がある(運転中の追突事故)
総じて、誰でも普通にこなす簡単な作業が出来なかったり時間がかかる為、
ぐうたら病、怠け病と悪口だけで片付けられてきた。
実際これまでいくつも病院を替え、原因も治療も曖昧で経過を見るしかなかった。
しかし今は違う、こういう病気は歴として存在するのだと思う。

《かあさんと同じ症状と思われる方へ一度見て欲しいサイト》
とりあえず、生きてみよか・・・。(ゆめさんの、脳脊髄液減少症体験克服記)
脳脊髄液減少症患者・家族支援協会(旧鞭打ち症患者支援協会)
脳脊髄液減少症の掲示板:脳脊髄液減少症と低髄圧症候群を治そう
国際医療福祉大学熱海病院

※このエントリーはカテゴリーを独立して不定期で連載します。

台風9号伊豆半島直撃

2007年09月06日 22時41分13秒 | 生活手帳

只今の気圧977hPa(ヘクトパスカル)
台風9号はまだ伊豆半島沖の南海上に居る。
これから7日未明にかけて伊豆半島に上陸するらしい。
家全体が今、凄まじい地吹雪きのような横なぐりの雨で揺れている。
サイポスレーダーで見ると狩野川徳倉橋の水位計も危険水位を超えた。
清水町でも200世帯に避難勧告が出た。
風雨の音に混じって消防車のサイレンがかすかに届いている。
こんな強い台風ははじめて。
バアバとかあさんに其々、懐中電灯を持たせた。
明日は新聞配達できるか。
今夜はまだ何が起こるか分からない、
もう寝る時間を過ぎているが
まだ起きてる・・・

《いざという時、見るサイト》
サイポスレーダー
沼津河川国道事務所・インフォメーション可野川
気象庁のホームページ

※追記~我が家の台風被害(9/7)


二階のベランダが水浸しになり、そこから伝わって雨漏りをした。


台所の外に置いてあったゴミの収納ボックス。
フタは何処かに飛ばされ雨は口まで満杯、一夜にしてこれほど降ったのか。


新聞配達もいつもより2時間遅れのスタート。
途中、近所を流れる黄瀬川を撮った。
これでも通常の水位より2mは高いと思うが、
サイポスレーダーで確認するとこのとき(朝8時30分)の水位は225cm。
昨夜22時の数値が最も高く、警戒水位の300cmをはるかに超えて513cm。
ニュース報道では流域住民に避難勧告が出ていたようだ。
狩野川放水路も作日、水門を開け分流措置を取った。
災害は忘れた頃に必ず来る、普段から備えたい。

スカンジナビア号沈没1年

2007年09月02日 22時03分04秒 | スカンジナビア号

昨年の今日9月2日、
遠い故郷へ向かい、35年振りに錨を揚げたスカンジナビア号は
わずか2日目にして和歌山県串本港沖合いに沈んだ。
あれから1年、西浦木負の海岸にもすっかり足が遠のいてしまった。


夏の終わりに、スカンジナビア号を見送った岸壁に海水浴に来た。
あの日の喧騒がまるで嘘のよう、誰も居ない旧道に車を止める。



コテツもスカンジナビア号が好きだと言う。
いつまでもみんな心の中に「白い貴婦人」は生きている。


海外の合同チームが5月31日に撮影したスカンジナビア号。
和歌山県串本町潮岬の沖合い3km、水深72mに今も鎮座している(静岡新聞9/1付より)


《スカンジナビア号を詳しく紹介しているサイト》
「ながれ星と花・葉・菜と」から、さようならスカンジナビア号のページ